
1964年東京オリンピックの余韻が残る66年に父が創業した当社は、ベローズの製作を中核とした金属加工会社です。父は旧国鉄(JR)で新幹線の設計にも関わったエンジニアでしたが、開通後、退職し、起業しました。
ベローズは日本語で「蛇腹」と訳され、金属で製作した筒状のものにひだを設け、伸縮性・気密性・バネ性を持たせたもの。幅広い分野でシール用部材として使われ、生活になくてはならない製品です。当初は、空調用や鉄道用、原子力関係のベローズ製作が主でしたが、80年代に大型加速器、核融合炉の超高真空分野に進出。電子部品、食品から半導体製造、医療、人工衛星部品などの宇宙関連にも拡大。とくに核融合エネルギーや宇宙関連は未知の分野で夢があって面白く、いろいろ挑戦しています。
私の転機は、30代で出場したハワイ・ホノルルマラソンです。当時、走る習慣はなかったのですが、ランニングをしている仲間から誘われて1991年5月にグアム駅伝に出たのがきっかけ。私の担当は3キロでしたが、1.5キロの折り返し地点までしか走れず、復路は歩きでした。ところが、表彰式でマラソン大会の招待があたり、12月のホノルルマラソンに出ることになったのです。
その後、トレーニングを始めましたが、それでも12キロを走るのが限界。どうやって42.195キロを走るか、辞退しようかとも思いながら、頭にあったのはマラソンへの憧れでした。6歳の時に東京オリンピックのマラソンを見て銅メダルの円谷幸吉に感激し、いつか自分もマラソンを走りたいと思っていました。そんな私に友人が授けてくれたのが「50分走って10分歩く」を繰り返すという秘策。これなら走れるのではないかとやる気になり、実際に約5時間半のタイムで完走できたのです。レース中は苦しみながら、ゴールの瞬間には、また走りたいと思いました。その後は何回か大会に出た程度ですが、この前の東京オリンピックで聖火ランナーも務めました。
ホノルルマラソンに出場し、完走できたことで努力だけではなく、やり方次第で目的は達成できる、無理なチャレンジでも夢がかなう可能性はあるのだと学びました。趣味のひとつでフルートもやっていて、練習法や時間のやりくりにいろいろ工夫していますが、今年5月には国際音楽祭にも出場できたのです。工夫が人生を変えていく。仕事も同じで状況に応じて改善、工夫していかないといけない。これからも工夫の連続で、クリエイティブなものをどんどん創っていきたい。
1991年12月、ホノルルマラソンに出場した入江社長のゴール写真
