
「危ないか、危なくないかという感覚そのものは研修だけで教えられるものではない。その意味で車の交通安全教育は実践が重要」─。こう語るのは運転適性検査「OD式安全性テスト」の開発・販売などを行っている電脳社長の尾﨑保生氏。同氏は今こそ企業経営者に安全教育の徹底を提言する。道路インフラの整っていない開発途上国と先進国とでは安全に対する意識は違ってくる。安全をどう見るべきなのか。
中国の自動車学校からの要請
─ 尾﨑さんは安全運転の肝は技能やルールを学ぶことだけでなく、〝心の教育〟だと訴えています。これは日本のみならず、海外にも広げることができる考え方ではないですか。
尾﨑 その通りです。例えば中国です。当社は上海の自動車学校から依頼を受け、中国人向けに運転適性検査を開発しました。今は北京の自動車学校からも引き合いが来ています。足元の景気は揺れていますが、経済発展を遂げてきた中国でも交通安全教育に力を入れようとしています。
というのも、日本と同様に中国の自動車学校も過当競争に陥っています。人口そのものが減っているためです。ですから、自動車学校も差別化を図ろうと考えているわけです。そこで当社の運転適性検査を使いたいというニーズが出てきています。
─ 安全運転教育においても日本から学ぼうとしているのですね。
尾﨑 そうかもしれません。ですから、依頼はたくさん来ています。中国の自動車学校でも指導員の質をもっと高めなければならない、教育をしなければならない、という思いを強く持っているのでしょう。こんなことがありました。
中国の政治家・毛沢東が生まれた湖南省で自動車学校の全国大会が開催され、私も来賓として出席したんです。他にもオランダとフランスからも指導員が来ていました。
その大会のテーマは「指導員の質をいかに上げていくか。事故をいかに減らすか」でした。
このときにオランダの指導員は、「この会場に来るまでにタクシーを何回も乗りましたが、そのときの運転手が、もし私の国で試験を受けたら1人も受かりません」と言っていました。ですから、中国人の運転の質はまだまだ改善の余地があるということだと思います。
─ 今の事例は中国の自動車学校についての話ですが、電脳は国内の企業向けの研修も行っていますね。
尾﨑 はい。日本では自動車学校が企業から安全運転研修を依頼されるのが一般的ですが、人手不足などもあり対応できないケースが増えています。そこで私自身が前職で安全運転研修を行っていた経験を活かし、当社でも安全運転研修をお受けする事業を立ち上げました。
ただ、通常の自動車学校が行う安全運転研修とは一味違うものを提供しています。
─ どのような内容のものになるのですか。
尾﨑 企業の社員が自動車学校に出向いて教習車で研修するというのが一般的なのですが、それでは現場の運転実態とはまるで違う。当社ではその企業が使っている社有車で、日頃走行している道路やエリアで実践的な研修をするのです。
もちろん、教習車ではありませんから補助ブレーキはありません。それに対して社内から「安全に研修ができるのか」といった声が上がりましたが、そもそも企業が普段使っている社有車に補助ブレーキはついていません。
一応、簡易的な補助ブレーキも用意していますが、基本的には指導員が補助ブレーキに頼らず、口頭できちんと事故を起こさないような指導をすればいいわけです。
自動車学校では仮免取得や卒業検定の合格など試験に合格するという目標があり、それを目的としています。ただし、事故を起こさない運転ができるかどうかは別です。その点、当社が提供する安全運転研修は、運転者がいかに安全な運転をするかが目的です。
感覚やコツを教えることが大事
─ なぜその研修をするかという到達点が違いますね。
尾﨑 そうです。ですから当社では実践的な運転を身につけていただけるよう心がけています。例えば、自動車学校では左折するとき、30㍍手前から曲がる合図を出し、左端に寄せて曲がると教えます。
こうした指導は、法に基づいた運転の基本として大切であり、その意義を私も理解しています。ただ、実際の運転場面では、天候や歩行者など、教習だけでは想定しきれない場面も多く、判断や対応が求められます。
自動車学校は免許取得のための「教習」を担い、安全運転研修は運転者の実践力を育てる「教育」と考えます。教習と教育は一字違いですが、目的が異なります。
そこで自動車学校で学んだ基礎を踏まえ、状況に応じてより実践的で安全な運転を心がけることが重要なのです。そうであるならば、指導員自らが行っている運転のコツを教えればいい。
─ 考えてみれば、「後方確認するときに後ろを見なさい」と教わったりしますが、実際の場面によっては、かえって危険に見えてしまうこともありますよね。
尾﨑 その通りです。事故を起こさない運転をするために大事なことは自動車の後方を見ることではないのです。運転中に視界に入るものをチラッと見て、その存在を把握しておきながら、危ないと思ったら再度見る、こういったテクニックが重要なのです。
あるいはそういったテクニックを行うタイミングを教えることです。私自身はそういう教え方をしてきました。
─ きっかけは何ですか。
尾﨑 JICA(国際協力機構)の海外協力隊の専門家として開発途上国で安全運転の普及のお手伝いをしたことです。
アフリカなどの経済的に余裕があるとは言えない国で海外協力隊の若い日本人の隊員に運転を教えたことがあります。標識や境界線はもちろん、道路もない。そんな国で安全運転をどう教えるか。
私が選択したのは実践してもらうことでした。理屈ではありません。いかに人の命や自分の命を守るか。危ないものを感じる感性やコツを学んでもらうことが重要だったのです。委嘱された十数年、それを続けました。
─ どうして、それほどまでの長期間だったのですか。
尾﨑 私が1990年からアフリカで安全運転教育を担当したのは二輪車でした。というのも、活動中の若い隊員が二輪車で命を落とすことがあったからです。そのためにJICAも安全運転教育を行わなければならないと考えたのです。
最初は日本での訓練から始まったのですが、国内で教育していても結局は現地で事故を起こしてしまう。道路環境が整備されている日本と任国とではあまりにも違いますからね。
やはり現地で教えることが大事。現地のルールを教えることも必要ですし、生きるための術を教えなければなりません。
「交通安全」でなく「生活安全」
─ アフリカ独特の環境があったのではないでしょうか。
尾﨑 そうですね。私にとってもJICAの仕事は非常に刺激的でした。
最初に行ったのがガーナ、その後、セネガル、ニジェール、タンザニア、コートジボワール、ボツワナ、ザンビア、その他、アジアの国々にも行きましたが、共通するのは「交通安全」という言葉ではふさわしくないということ。
毎日のように強盗や事故が起きているし、病気もあるわけですからね。私は「生活安全」という言葉を使って安全運転教育を行うようになりました。
生活安全とは、病気にならない、強盗に襲われない、交通事故に遭わない・起こさない。これらに共通していることは「油断」です。つまり、自分の気持ちなのです。
任国に入って半年から1年ほどは病気にかかるケースは低いのです。誰もがそれだけ細心の注意を払っているからです。ところが、それ以降になると罹患率が高まります。
次第に現地での生活に慣れて油断してしまうからです。飲んではいけない飲み物を飲んだり、食べるべきではない食べ物を食べてしまう。自宅の鍵のかけ方が甘いために強盗に襲われてしまう。交通事故も同じです。気の緩みなのです。
─ まさに油断ですね。
尾﨑 ええ。ケニアにいたときのエピソードが今も印象に残っています。新たに派遣されたJICAの若手隊員が私の歓迎会を開いてくれたのです。現地でフランスパンを買ってくれたのですが、その中身がくり抜かれていた(笑)。
その若手隊員が「こんなものを売るなんて!」と怒っていたら、先輩隊員が「なぜそんなものを買ってきたの。確認しなかった君が悪いんだよ」と。これが海外だと感じましたね。
一方、日本では他人の責任にしようとしてしまいます。危険を感じ取る危険感受性が弱いのです。何をすると危険なのかが分からない、知らない、考えない。あまりに安全に慣れ過ぎてしまっている。多くの人が危険に反応するアンテナが研ぎ澄まされていないのです。
─ 電脳ではそういった教育を企業に行っていくと。
尾﨑 はい。それを実現していきます。当社が安全運転研修をしたある企業からは、当社の研修を受けていない協力会社の車は工場の構内には入れないと言っていただきました。本当に嬉しかった。最高の誉め言葉ですからね。
当社が研修するまでは事故が多かったようですが、当社が担当してからは、ほぼ無事故。私は偶然ではないと思っています。他にはない工夫をしていると自負していますから。
交通事故がなくなれば皆が幸せになれる
─ 経営トップもそういった危険感受性を持って安全運転教育に臨まないといけませんね。
尾﨑 はい。私が経営者に言いたいことは安全教育をもう一度真剣に考えませんかということです。どこの企業でも安全教育の担当者がいると思いますが、交通教育の専門家という立場の方は多くないように思います。
一般的な社員教育も難しい時代ですが、車の交通安全教育は特に難しい。危ないか、危なくないかという「感覚」は教えられるものではありません。味や、痛いといった「感覚」と同じで体験して分かるものであり、言葉で言っても分からないのです。
安全教育は経費ではありません。未来を守る投資です。自動車もどんどん高性能化し、損害保険料もどんどん上がっていきます。損害保険会社も交通事故の保険金で経営が厳しくなっています。だからこそ、損害保険会社も安全教育に力を入れているわけです。
事故を未然に防ぐことができれば企業の損失は発生せず、損害保険会社の保険金負担もなくなり、けが人も出てきません。誰も損はしない、皆が幸せになれるわけです。
─ 自動運転の普及により運転者は多くの危険から守られる一方で、危険を察知する感覚が鈍ってしまう可能性もあるかもしれませんね。
尾﨑 その通りですね。加えて、外国人労働者の増加です。先ほど申し上げたように、海外と日本では習慣やルールが大きく違います。お互い違うのですから、その違いをお互い理解するということから始めなければなりません。
我々日本人には気配りといった文化があります。海外の方に日本の文化に対する理解を深めていただくことも大切だと思います。
一方、海外から学ぶべきものもたくさんあります。例えばオランダでは街の信号機を全て取り払い、交通事故がどのくらい増減するかといった実証実験を行ったりしています。信号機があるから過度に依存してしまう。そうであるならば、信号機をなくして自ら気をつけるという発想で行ったそうです。
あるいは交通事故の罰金もそうですね。先進国では所得に応じて罰金の金額を変える国もあります。富裕層が1万円の罰金を払っても痛くも痒くもない。
一方、低所得層にとっては死活問題です。そこで富裕層には同じ内容の罰金でも100万円にする。日本は法律で金額が決まっていますからね。
─ 制度設計も含めた議論が求められますね。最後に経営トップに求められることとは。
尾﨑 多くの企業が安全教育に取り組まれていますが、期待する成果へつながらない場合もあるかと思います。教育は外部任せだけでは十分な効果を得にくいものです。まずは、自社の教育がどのように行われ、社員にどう受け止められているかを改めて見つめ直すことが大切だと思います。
そして、社員の安全運転研修を単なる義務や経費と捉えるのではなく、未来への投資として考えていただきたいですね。事故を未然に防ぐことは、企業の損失やブランドリスクを減らすだけでなく、社員や社会にとってもプラスになります。
安全運転教育の肝は技能やルールだけではなく、「心の教育」です。一人ひとりの運転適性や性格特性を把握し、個別に教育することで、より効果的に事故を防ぐことができます。
さらに、自動運転の普及や外国人労働者の増加など、社会環境は日々変化しています。その変化に対応できるよう、経営トップ自らが安全意識を示し、実践的な教育を企業に浸透させることが大切です。
交通安全教育を通じて、社員と社会の双方に利益をもたらす。それが経営トップに求められる役割だと思います。(了)