
女性の結婚後の キャリアをつくる
─ 産業界では人手不足が大きな問題となっています。御社はしゅふに特化した求人媒体を展開していますが、改めて創業の動機を聞かせてください。
三原 2002年に創業してから23年目に突入しました。創業当時はまだ寿退社があった時代で、女性は結婚してから出産、育児のタイミングで会社を退社し、家の近くでアルバイトをするのが定番でした。まだまだ結婚後の女性のキャリアは開かれていない頃です。
将来的な日本の人口の数字から言えば、マクロ的に見れば若年労働人口がなくなることは明白です。代替労働力はしゅふ、シニア、外国人、ロボットしかないという流れの中において、女性の結婚後のキャリアは非常に重要な問題です。新聞社の当時の調査によれば、女性は働きたいけど働き続けられないという声が95%で、それを解決することと、企業側もそういう人材の採用ができる時代にすることが重要だと考え創業しました。
─ 当時、リクルートやパーソルなど大手も多い中で、あえて人材派遣をやろうと思ったのはなぜですか。
三原 わたしは結婚や出産を機にキャリアを諦めざるを得ないしゅふ層が多い現状に問題意識を抱いていたので、彼女たちの結婚後のキャリアをつくろうというのがパーパスにありました。社会課題の解決と、売上利益の最大化を果たせる会社をつくりたかったためです。
─ 昨年末には上場しましたね。この23年間の手応えはどうですか。
三原 リーマン・ショックもありましたが、コロナ禍が一番大変でした。派遣事業の売上は3分の1に減少、メディア事業も売上が半減し、組織的にも非常にぐらついてしまい退職も増えてしまいました。
加えてリモートワークが精神的に非常に厳しかったですね。業績が落ち行く中で、会社に誰もいない状況が続き、顔が見えないことへの不安が大きく膨らんだ時期でした。
─ それをどう持ち堪えていったんですか。
三原 やはり目の前の課題をしっかりと見つめ直して解決し、一歩ずつ進むということを積み重ねていきました。ちょうどコロナのタイミングが上場申請期のタイミングで、結局全然立ち行かなくなってしまいました。ですから再度また挑戦するための準備をしっかりすべく、いくつか事業を整理し投資配分を変えました。求人媒体事業の「しゅふJOB」にとにかく投資を集中させ、成長軌道をつくることで無事上場できました。
非正規雇用の活用をどう図るか
─ 現在日本の非正規労働者の割合は約4割です。人手不足を補うために非正規労働の活用は非常に重要ですが、このことについてどう考えていますか。
三原 現在は正社員か非正規労働かという雇用形態ではなく、働き方自体における自由度が正社員の中でも認められてきています。働き方における自由度が高ければ高いほど、優秀な人をより雇用できる時代に変化していますよね。
最近では特に、昼間は正社員として働く人の中で、優秀な人は夜も副業したいというニーズが高いです。大体月間30時間以内であればやりたいという人がたくさんいます。それを考えると、これからの時代はポートフォリオで組織を回す時代だとわたしは考えています。
正社員だけでなく、パートタイム、派遣、アルバイト、業務委託、副業、さまざまな働き方があり、AI導入で自動化することも可能です。組織全体をさまざまなオペレーションかつ雇用形態で、テクノロジー活用も含めて置き換えていくかということが重要だと思います。
それをやっていかないと、結局採用コストがかかりすぎてしまいます。仮に運用できたとしても利益が出ないということになってしまうと思います。
─ 個人も多様な働き方ができる時代だと。
三原 ええ。それだけではなく、企業自体も結局目的は何なのかということでいくと、価値を創出してそれを生産・提供してお客様へ届け、売上利益を最大化していくことですよね。それを目的に考えていった時に、どういう組織ポートフォリオを組みながら運用していくのかがすごく重要な気がします。
─ 人材派遣事業においてもコンサルティング的な機能が求められますね。
三原 そうなんです。今までお客さんがAという使い方をしていたのを、Bという使い方をしましょうという提案や、ここは自動化して、ここはしゅふ層を使いましょうという提案ができるかが重要になってきます。今まで使っていたやり方自体を、見直し新しい使い方を提案するのが、われわれの事業です。
いま既存のしゅふ層の人たちが働く場所を見つける際、当社の「しゅふJOB」は35歳以上の女性認知度ランキングで全国6位の位置です。認知度も高く、北海道から沖縄まで全国10万件以上の求人があるので、しゅふ層を採りたいというお客さまニーズと、なかなか採用コスト、オペレーションコストがかかって苦しんでいる企業に対して、代替労働力を提案する。大体この2つが一番大きなファクトです。
─ 人手不足は全産業界、どの地域でも深刻ですが、解決策をどう提案していきますか。
三原 地方は特に人が足りないです。われわれはパケットタレントというサービスを新しくスタートしていて、まさしく正社員副業の人たちをリモートで活用しましょうというサービスです。全国各地でリモートであれば、場所に縛られませんから、都内の優秀な人を地方で積極的に使っていただいた方がいいと思っています。
─ 例えばどういった仕事の求人があるんですか。
三原 例えば経理は一番多いジャンルだと思います。中小企業では伝票の数もそれほど多くなく、必要に応じて対応する形になるため、マッチングしやすいです。
お客さんからご依頼をいただいて人材を供給できなかったのは2%くらいで、98%は決まります。それくらい労働の拘束性を下げれば下げるほど、まだまだ人材は供給できるのです。
人材サービスは、企業の一時的な人材不足を埋めることに重きを置き、課題の根本解決には必ずしもつながらない場合があります。当社は、短期対応にとどまらず、持続的な人材確保の仕組みを構築しています。万が一、派遣スタッフが離職した場合はグループ全体の人材プールを活用することで追加の採用コストを抑えつつ、早期に人員確保ができる環境を用意しています。
─ そういうトータル提案型の派遣が御社の強さですね。
三原 はい。当社はなかなか人が採れない、採用に苦戦されている企業の方が、お役に立てると思います。
外国人労働者の活用は
─ 外国人労働者に関する問題が話題となっていますが、これについてはどう考えていけばいいですか。
三原 各種データが示す通り、外国の方に働いていただかなければ、この国の経済を持続するのは難しくなる可能性が高いです。国の推計でも示されているように、医療・福祉分野の人材不足は今後さらに深刻化すると見込まれています。
今現状約230万人の外国人労働者が日本にいて、一部の調査では2040年には日本経済を維持するために、外国人労働者が約1千万人規模に達する必要があるとも言われています。
今でも人が採れないという倒産が始まっていますし、医療・福祉分野の中でも介護施設が運営できなくなれば利用者の生活に深刻な影響を及ぼします。現在「しゅふJOB」は医療、福祉関係の採用は増えています。
─ これは有資格者の人も結構いるということですか。
三原 はい。有資格者もいらっしゃいますが、無資格の方からの応募も多く、無資格で担える業務を切り出した求人が増えています。生産労働人口の中で、約3千万人いる日本の女性は4人に1人が医療、福祉分野で働いています。
「しゅふJOB」は地域を支える仕事に強いんですね。医療、介護、福祉、家事代行、飲食店など、全部地域での需要です。最近増えているのが保育の分野です。こういった地域系の仕事が当社は非常に得意です。約1200万人のしゅふ層の方が見るサイトになっていますので、その層で切り取れば、おそらく日本最大のサイトだと思います。
─ これからこのビースタイルという会社をどういう会社にしたいか中長期的見通しを教えてください。
三原 そうですね。やはり時価総額を上げ続けていくということがまず基本にあって、成長率と収益率を急拡大させ続けていくというのがまず1点です。
二つ目の方向性としては、ビースタイルという会社は、世界を変えるソーシャルカンパニーというかたちで定義しています。一番の社会課題としてわれわれが取り組むのは人口減少という問題です。
人口減少の中でどれだけ代替労働力を生み出すことができるかということが当社に求められます。しゅふの部分と、IT、ロボットを活用したDX事業は約2200件の実績が溜まってきました。テクノロジーを強化して、人でやらなければいけないところについては人でやり、そうでないところはどんどん置き換えていくというコンサルティングを行って業務を最適化しています。
企業側としても、代替労働力をどう活用したらうまくいくかという採用、運営、マネジメントの問題を、大企業や中小企業も含めた中で提供していくというのが当社の戦略です。
─ 川口市の例を見ると、海外の方に来ていただき定着してもらうということは非常に難しい面もあります。今回の参院選でも日本人ファーストを掲げた参政党が大きく躍進するなど、反発もあります。
三原 ええ。ですが現実問題として外国人労働力は必要です。外国の方が日本で働くことが、日本人ファーストになることだと個人的には思います。
経営者としての父からの影響
─ 三原さんの出身は東京ですか。
三原 はい。父親が海産物の問屋の経営をしていて、母親は専業主婦に近いような家庭で育ちました。実のきょうだいは3人でわたしは2番目で、トータル4人のきょうだいがいました。
─ 経営者のお父さんは忙しそうにしていましたか。
三原 そうですね。父親は2週間に1回しか帰ってこないワーカホリックでした(笑)。海産物だからあちこち仕入れに出向いて全国飛び回っていた感じですね。
─ そういう中で、経営者になろうという気持ちは若いころからあったんですか。
三原 いえ、それはあまりなかったですが、経営をすることや仕事をすることに対しては、相当ポジティブな考え方だったと思います。うちの父親が2週間に1回しか帰ってこないみたいな感じでも、家の中的には、あんなにたくさん働いて素晴らしいみたいに言う母親でしたから。ですから、思いっきり仕事をしたり、自分のビジネスをしたり、昼夜働くことに対してはポジティブな考えでした。
自分がサラリーマンとして仕事をし始めた時も、結局朝から晩まで会社で働いていましたね。そこに対する全然疑問も抵抗もなかった。それは両親の影響だったと思います。
─ 芝浦工業大学での専攻は何だったんですか。
三原 工学部機械工学科で、内燃機関とか車の設計です。今の仕事には直接的に役に立っているわけではありませんが、ものごとを構造的、理論的に考えられることはよかった点かもしれません。
大学3年生の頃は派遣会社のアルバイトに全力を注いでいたのですが、その会社が倒産してしまったのです。それで、大学の同級生と派遣スタッフと案件をマッチングするようなシステムをつくって、それをインテリジェンス(現パーソルキャリア)に売り込みに行ったんです。
そのままそこで2年程働き正社員として働くことになりました。仕事がとにかく楽しく、大学は卒業しましたが、設計や実験は肌に合わずもう二度とやりたくないです(笑)。
─ しかし実際そういったシステムづくりには工学系の勉強が役立ったのではないですか。
三原 そうですね。インテリジェンスの中では派遣事業部をやって、その後エンジニア派遣事業部の事業部長をやりましたので、結局は役立ちましたね。そのままパーソルプロセス&テクノロジーという今では大きな事業会社に育っています。その創業もわたしがやらせてもらったので、その時の経験は非常に今に繋がっていると思います。