2023年は「生成AI」がIT業界のみならず、社会的に大きな話題となる1年となった。そのような中で、日本IBMはAI&データプラットフォーム「IBM watsonx」や量子コンピュータの施策に関する発表など、年間を通して枚挙にいとまがないほど革新的な取り組みを進めた。
今回、2019年の社長就任から5年目を迎える、日本IBM 代表取締役社長執行役員の山口明夫氏に2023年を総括してもらうとともに、2024年の展望について話を伺った。
山口明夫(やまぐち あきお)
日本IBM株式会社 代表取締役社長執行役員
1964年8月29日生まれ、和歌山県出身。1987年に大阪工業大学工学部を卒業。同年に日本IBMに入社し、技術統括本部ソフトウェア技術本部 第三技術所、2009年7月に執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業 アプリケーション開発事業担当、2012年5月に同 金融サービス事業担当、2014年10月に常務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業 サービス事業統括担当に従事。
2016年4月に専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業本部アプリケーション・イノベーション・コンサルティング 兼 統合サービスソリューション&デリバリー担当、2017年1月に同 サービスデリバリー統括 兼 クラウドアプリケーションイノベーション 兼 グローバル・バンキング・サービス事業部担当、同7月に取締役専務執行役員 グローバル・ビジネス・サービス事業本部 本部長を歴任した。2019年5月から現職。
生成AIが異常な盛り上がりを見せた2023年
--まずは、昨年を振り返ってみていかがでしょうか?
山口氏(以下、敬称略):テクノロジーの凄まじい進化を見た1年でした。新規のお客さまと取り組んだプロジェクトもあれば、従来からのお客さまとのプロジェクトにも取り組みました。
また、国内各地に2022年から設置している地域DXセンターでは、地域との共創を目指し、大きいビジネスと言うよりは、地域が協力してさまざなまことに取り組めていければという想いで7カ所開設(北海道、沖縄県、宮城県、福岡県、広島県、香川県、長野県、開設順)しています。地域との関係を深化させていきたいと考えており、今後も地域金融機関の本店がある場所などに設置するかもしれません。
当社では、2023年にさまざまな業界のお客さまやパートナー、行政、教育・研究機関、地域と協力し、重点的に価値共創に注力する領域として「社会インフラであるITシステムの安定稼働」「ハイブリッドクラウドやAIなどのテクノロジーを活用したDX」「CO2やプラスチック削減などのサステナビリティー・ソリューション」「半導体、量子、AIなどの先端テクノロジーの研究開発と社会実装」「IT/AI人材の育成と活躍の場」の5つを価値共創領域に定めました。
これらの領域それぞれについて深掘りができました。ITシステムの安定稼働は手法がさまざまありますが、AIを活用した事前の障害検知などに取り組んでいます。DXについては、順天堂大学さんやトヨタ自動車さんなど、多くのDX案件も支援しました。
サステナビリティでは三菱重工業さんとCO2排出量可視化と環境価値移転が可能なプラットフォームのデモシステムの構築を行っています。先端テクノロジーでは、東京大学さんと127量子ビットのプロセッサを搭載した量子コンピュータの稼働、半導体はRapidusとの協業を深めました。人材の育成については官民連携の新しい教育モデルの「P-TECH」プログラムなどを展開しています。
2023年を一言で表すと自分たちがやるべき価値である5つの領域に対して、突き詰めつつ落ち着いて取り組めました。個人的には世の中の大きなテクノロジーのトレンドを見たり、日本における経済の変革を含め、正しいことに取り組めているフェーズを迎えていると思います。
--昨年は生成AIが非常に盛り上がり、昨年5月の年次カンファレンス「IBM Think」においてAI&データプラットフォームとして「IBM watsonx」を発表しました。生成AIに関して国内企業における活用のフェーズは、どのような状況でしょうか?
山口:OpenAIの「ChatGPT」は一般的な生成AIのため、さまざまなデータが含まれています。こうしたものが展開されていくことにより、世界中で生成AIの利用価値が浸透したという点では意味があります。
現在、多くの企業においてChatGPTをはじめとした生成AIを利用する側ではありますが、次のフェーズでは基盤モデルが重要になります。今後はさまざまな企業・業界ごとの基盤モデルが自社内で構築され、利用するだけはでなく、外部に提供していく側になると想定しています。
世の中に多様な基盤モデルが登場することで、それらを用いてサービスを提供するケースやビジネスを提供するケースが出てくるのではないかと思います。
そのため、各企業がビジネスクリエイターになりましょう、というコンセプトのためwatsonxを推進しています。これに加えて、リスク対応を含めたガバナンスも重要です。
今年は“エンタープライズ生成AI”というものが一気に広がっていくことが想定される一方で、リスクも同時に発生するため、両方のバランスが必要です。
いずれにせよ、生成AIは働き方を変え、仕事のやり方も変えますし、企業の価値を高めていくものであることは間違いないことから、正しく利用することで正しい生成AIを自ら構築していくことに対して、重要な年になるでしょう。
新しいビジネスを共創していくPoCを
--日本企業におけるIBM watsonxの引き合いについてはいかがでしょうか?
山口:PoC(概念実証)は100件以上がスタートし、ITシステム部門やコールセンター、新しいビジネスモデルを共創して利用しているケースがあります。
ITシステムで言えばプロジェクトマネージメントや要件定義、プログラミングの生成、テスト、運用、障害対応といったことを生成AIで高度化していくことを狙っています。今年の第1四半期あたりから、さまざまなソリューションを発表できればと考えています。
お客さま、ひいては当社もそうですが、生成AIを適用して一番初めに効果が出る領域はITシステムなのではないかなと思います。これまでのシステム開発や運用を抜本的に変えて、新しいモデルが構築されていくのではないでしょうか。
単に生成AIを利用して業務が効率化できたという話だけだと、競争力に影響があまりないです。生成AIを活用して自社のデータで新しいモデルを構築すれば機密性があるため、公表されるケースは少ないです。なぜなら、その企業にとっては差異化になるからです。
--IoTの文脈で言えばPoCで終わってしまうことが多々ありました。そういった懸念は生成AIではないのでしょうか?
山口:それは今回はないと思います。経営者の方と話をするときに移動の際に乗用車が突然登場したと思ってくださいということを伝えます。
これは、乗用車があれば移動時間が短くなるし便利なため、皆さん使いますよね?と。この場合は、移動のための効率化となります。
ただ、移動はバスやタクシー、トラックなどもあります。バスであれば観光業など、タクシーであればタクシー業、トラックであれば運送ができる訳です。
こういった新しい差異化された生成AIを活用して、新しいビジネスをいかに構築していくかということが問われている時です。
そのため、私が申し上げているのは新しいビジネスを共創していくPoCです。インターネットが登場した際、日本では「これは便利だ!」ということで盛り上がり、検索すれば情報が取れるため生産性が向上するという文脈がありました。
しかし、その時に日本以外の国・地域で何が検討されていたかと言うと、インターネットを使って新しいビジネスができるではないかということでした。その一例がEコマースなどであり、同様のことが生成AIでも起きているのではないかと思います。
日本の企業も視点、取り組み方を変えれば一気に伸びるのではないかと感じているため、watsonxで支援しているのです。例えば、難病のデータベースを管理するAIについてwatsonxは非常に強いです。
難しい言葉で質問しなければならないということがあるため、フロントエンドはそのほかの生成AIを使い、そこからwatsonxに聞いていくという組み合わせだけでも、さまざまなソリューションが構築できます。ユーザーにとって適材適所の生成AIをマルチAI環境で開発できることが理想です。新しい業務を作ることもできます。
ChatGPTありきではなく、生成AIを活用して何ができるのかを考えて、その時に必要なものを組み合わせることが重要です。プロダクトアウトではなく、何がやりたいのか、何ができるのかということを議論しながらソリューションを構築するべきです。そのためにはプラットフォームは重要となります。
生成AIは生産性の向上に着目されすぎな面もあり、間違いではないし良いことです。しかし、新しいアイデアで何をするのかというのは、アイデア勝負な側面があります。
勢いを増す量子コンピュータ、そして2024年の抱負
--昨年は、先ほどの東大さんとの取り組みをはじめ、新プロセッサ「IBM Quantum Heron」など、さまざまな発表が量子関連でありました。今年の見通しは、いかがでしょうか?
山口:今年は当社初のモジュール式量子コンピュータ「IBM Quantum System Two」の世界になるでしょう。
これは量子コンピュータと従来からのコンピュータ(古典コンピュータ)がつながり、量子コンピュータ自体が進化し、できる処理が増えるとともにスピードの向上が期待されており、多くの新しいことが実現可能になります。
従来は把握できなかったことも把握できるようになります。これは指数関数的に増加していきます。そのうち、日本国内にも設置されると思います。
そして、人材育成も重要です。量子コンピュータを扱える人材がいないとままならないことから、東京大学さんと米シカゴ大学に対して量子人材の育成に1億ドルを提供するパートナーシップを締結しています。量子ネイティブな人材を育てなければなりません。
グローバルにおいても日本は非常に重要な国であるという位置づけです。お客さまの技術力はありますし、投資の領域としても重要です。
--デジタルサービス・プラットフォーム(DSP)の進捗については、いかがでしょうか?
山口:DSPは、従来の基幹システムと業界ごとの業務アプリケーションの間のプラットフォームです。
基幹システムを変更することなく、クラウドなどに新しいアプリケーションを構築する際に、認証といった共通の機能はプラットフォームの中で提供されます。
外部からのトランザクションをDSPで処理する場合もあれば、オンプレミスの元帳を更新して処理する場合もあり、業務により処理の仕方が異なります。
DSPの利用にあたっては、まずは自社のシステムを4象限で考えてほしいと思っています。それはメインフレーム、UNIXサーバ、オンプレミス、クラウドであり、この組み合わせでシステムは構築されていきます。
全体のポートフォリオ、経済合理性や柔軟性、迅速性などの要素をふまえると、必然的にどの業務も4象限の中に納まります。
そのため、どこでDSPを動かすかということが肝要です。すでに、金融向けDSPは数十行に利用されており、保険、医療、流通向けのDSPも提供しています。
--2024年の抱負について教えてください。
継続的に成長していくとともに、社員が輝ける環境にしていければと考えています。1月末には虎ノ門ヒルズステーションタワーに新オフィスを開設し、東京は箱崎と丸の内を含めて3拠点体制となります。
これに加えて、サテライトオフィスや自宅など働く場所を好きなように選べるようにしてもらいたいです。効果的、機能的かつ楽しく働ける環境を構築することが今年の大きな目標です。ベースとなる考えは先ほども話した5つの価値共創領域となります。
個人的には、仕事の範囲が広くなっていることから、こういうことを通じてIBMのブランド、当社が取り組もうとしていることをもっと社会に伝えたいし、認識してもらいたいと思っています。そして、賛同していくれる方々とエコシステムを構築し、社会課題を一緒に解決できればと感じています。