理化学研究所(理研)は2月9日、有機化合物「フェノール」の光化学反応を水表面で直接観測することに成功し、同じ反応でも水の表面は水中よりも約5万倍も早く進行することを発見したと発表した。

同成果は、理研 開拓研究本部 田原分子分光研究室の田原太平主任研究員(理研 光量子工学研究センター 超高速分子計測研究チーム チームリーダー兼任)、同・日下良二基礎科学特別研究員(研究当時)、同・二本柳聡史専任研究員らの研究チームによるもの。詳細は、化学を題材とした科学雑誌「Nature Chemistry」に掲載されるに先立ち、オンライン版で公開された。

液体の水はさまざまな分子を溶かし込み、多種多様な化学課程を進行させることが明らかとなっており、地球で生命が誕生したのもさまざまな物質を溶かし込める液体の水があったからといわれている。

一方、分子が水の内部で完全に溶け込んだ状態と、水の表面にあって半分だけ水に囲まれている状態とでは、その分子の示す性質が少なからず異なっている可能性が近年のさまざまな研究で指摘されるようになってきた。つまり、水の表面は水中とはまた異なる特別な環境である可能性があるということだ。実際、水中では反応しない分子が水表面では反応する例がいくつか報告されている。このため、水の表面で分子がどのように反応しているのか、その詳細な観察が求められていた。

しかし、水の表面で起きる化学反応が、実際にはどのように進んでいるのかはこれまであまりわかっていない。これを明らかにする最も確実な方法は、水の表面に存在する反応物、反応中間体、反応生成物などを、分子が反応する時間スケールで分解して観測することだが、分子レベルの薄い表面近傍を選択的にしかも時間分解で観測することは、現在の技術では極めて困難だという。そのため、水の表面における化学反応が直接観測された例は、これまでほとんどなかったのである。

そうした中、研究チームが2016年に開発したのが、界面選択的な超高速振動分光法「紫外励起時間分解ヘテロダイン検出振動和周波発生分光法」だ。同分光法では、試料を紫外光励起することで、1nm程度の薄い表面・界面領域で起こる化学変化のみを(水中の分子の反応を無視して)、100fs程度の高い時間分解能で観測することが可能なスペックを有する。しかも、分子の指紋ともいわれる「振動スペクトル」を検出することで、観測される信号の由来となる分子を高い精度で同定することも可能だ。

  • フェノキラジカル

    「紫外励起時間分解ヘテロダイン検出振動和周波発生分光法」の装置模式図。同装置では、まずパルス紫外光によって水表面のサンプルの光励起がなされる。そして、そのあとの水の表面の様子をヘテロダイン検出振動和周波発生分光によって界面選択的に(界面領域の化学変化だけを)観察するという仕組みだ (出所:理研Webサイト)

今回、この分光法が水界面の化学反応研究に初めて適用され、基本的分子であるフェノールの光化学反応(光酸解離反応)が、水の表面でどのように進んでいるのかという観測が行われた。フェノールの水中における光化学反応はこれまで研究されており、紫外線吸収後約5ns程度で反応生成物である「フェノキシラジカル」が生成されることが確認されている。

  • フェノキラジカル

    水表面のフェノールの光酸解離反応の概念図。黒丸は炭素、青丸は水素、赤丸は酸素を示している。水中のフェノールに267nmの紫外線が照射されると、約5nsでプロトン(H+)と電子(e-)が放出され、フェノキシラジカルが生成される光酸解離反応を起こす。今回、同じ反応が水表面では5万倍も速く起こっていることが確認された。水表面でフェノールは、分子の下半分だけが部分的に溶媒和された状態で存在しており、この特殊な溶媒和状態によって反応性が高まっていると考えられる (出所:理研Webサイト)

これに対して、水表面に吸着したフェノールに紫外線を当てた結果、光反応生成物が100fs以内で検出された。つまり、フェノール分子は水表面では水中より約5万倍も早く反応することが判明したのである。このような劇的な反応促進効果は、水表面に分子が半分だけ溶けた状態によって引き起こされたものだ。フェノールに限らず、多くの有機分子に起こり得る一般性の高い現象であると考えられるという。

今回の研究成果により、水表面の化学反応を実時間で直接観測することが可能になったといえるだろう。この方法なら、フェノールのみならず液体界面で進行するさまざまな化学反応の観測に応用できることから、界面における化学反応の本質が明らかになることが期待できるとする。

また、フェノールのような基本的な有機分子が水中と水表面で5万倍も反応速度が異なるという事実は、化学反応の促進やコントロールを目的とする学問分野である触媒化学においても非常に重要だとする。

さらに、自然界の水は海水(泡も含む)やエアロゾルとして存在し、広大な表面積を持つ。この水の表面にはフェノール類を含むさまざまな天然の有機分子が吸着し、化学反応を起こしていると考えられるため、水表面の化学反応は地球環境にも多大な影響を与えていることが考えられるという。今後、触媒化学的、環境科学的に重要な多くの水表面化学反応を解明し、広い学問分野における水表面の効果と役割を明らかにする道を拓くことが期待できるとした。