苦難を乗り越え、祖国へのプレゼント

零戦里帰りプロジェクトを実施しているゼロ・エンタープライズ・ジャパン取締役の石塚政秀氏は、ニュージーランドで航空機パイロット用のジャケットを製造販売する仕事を35年間営んでおり、パイロットや愛好家のほかハリウッド映画などにもジャケットを納めてきた。

フライトジャケットを着て質問に答える石塚氏。1940年代のアメリカを舞台とした映画に登場するパイロットと言えば、間違いなくこのスタイルだ。

もともと零戦の里帰りを発案したのは石塚氏ではない。石塚氏はプロジェクトの依頼を受け、保証人になっていた。ところが2008年に契約を結んだ直後、リーマンショックが起こる。投資家が次々と撤退しプロジェクトが雲散霧消すると、石塚氏は保証人として全責任を負うことになった。しかし石塚氏は私財を投じ、違約金を含む全額を2年掛かりで調達、2010年にようやく機体を買い取った。2011年には日本への輸送を予定していたが、今度は東日本大震災により頓挫。資金を補うためにアラスカで貸し出した後、2014年に日本に到着して準備を進めてきた。これまでに費やした費用は約5億円に達するという。

2015年の7月にはエンジンのテストまで済んでいたが、夏の初飛行は見送られた。「戦後70年の節目の夏に飛べば、零戦の存在意義が違った意味で理解されてしまうことを危惧した。零戦は機械であって、機械に戦争の責任はない。明治以来150年の近代化の歴史の中で、日本人がどうやって現在の豊かさと平和にたどり着いたのか。零戦はその道しるべであり、それを日本へ持ち帰ることが、海外で35年間働いてきた自分の祖国へのプレゼントだ」と、石塚氏は晴れやかな表情を浮かべた。

パイロットはエアレースの覇者

零戦の操縦かんを握る、パイロットのスキップ・ホルム氏は72歳。NASAのテストパイロットを務め、引退後もアメリカの航空イベント「リノ・エアレース」で5回優勝している。その名を聞けばプロのパイロット達がサインを求めるほどの有名人だという。

石塚氏(右)と海上自衛官(左)の出迎えを受ける、パイロットのスキップ・ホルム氏(中央)。ラフなジャンパー姿に貫禄が漂う。

飛行場に到着したホルム氏は、「零戦を日本で飛ばせることを誇りに思う。日本のパイロットも、飛ばしてみたいでしょう?」と笑顔を見せた。零戦を飛ばすためには特別なライセンスが必要だが、日本で公開するたびにホルム氏を招かなくても済むよう、石塚氏は日本人パイロットの養成も考えているとのことだ。