慶應義塾大学医学部の仲嶋一範教授と田中大介特任助教らの研究グループは、高度な知能・精神活動などを担う大脳新皮質を、哺乳類が進化の過程においてどのように獲得したのかの仕組みの一端を解明し、他の神経細胞の活動を抑制する働きをする「抑制性神経細胞」と呼ばれる細胞の移動能が、哺乳類で変化したことが鍵を握ることを発見した。同成果は、米国科学雑誌「Proc.Natl.Acad.Sci.U.S.A.」のオンライン速報版で公開された。

人間の脳には沢山の神経細胞があるが、それらは互いにつながりあって、ネットワークを作っている。それら神経細胞は大きく分けて2種類あり、1つはつながっている相手の神経細胞の働きを強めて活動を高める細胞(="興奮性"神経細胞)で、もう1つは逆に相手の働きを弱めて活動を抑える細胞(="抑制性"神経細胞)である。

また人間の脳の中には「大脳新皮質」と呼ばれる部分があるが、これは脳のさまざま役割の中でも高度な機能を有し、何かを覚えたり、考えたり、人と話をするときなどに働く大切な部分であり、同新皮質で興奮性神経細胞と抑制性神経細胞のバランスが崩れると、統合失調症やてんかんなどのさまざまな脳の病気になる可能性が近年、指摘されていた。

大脳新皮質は、ヒトを含む哺乳類にしかなく、鳥や亀、魚などは有していない。そのため、哺乳類の祖先が、かつてその進化の途中でこの能力を獲得したものと考えられているが、ヒトの祖先がどのようにして、大脳新皮質を獲得したのか、その仕組みはこれまでわかっていなかった。人類の祖先は、現代の人間が、"ヒトらしく"生活するために必要な大脳新皮質をどのようにして獲得したのか。この疑問に答えることが、ヒトがどのようにして生まれたのか、そしてヒトと他の動物たちとどんな違いがあるのかを教えてくれるとの考えのもと、研究グループは脳が動物の胎児の中で発生して大きくなってくる時期に着目した。

胎児の脳の中では沢山の神経細胞が生まれているが、神経細胞が生まれる場所とそれらの細胞が大人の脳で働く場所は異なっており、生まれたばかりの1つ1つの神経細胞は、脳の中で自身が働くべき場所に向かって元気良く動いていくという。例えば、大人のマウスの大脳新皮質にある抑制性神経細胞は、胎児の大脳新皮質の外で生まれ、生まれた場所から大脳新皮質に向かって、生まれた場所から大脳新皮質に向かって長い距離を移動していき、大脳新皮質に到着すると、突起を伸ばして周りにいる他の神経細胞とつながり、そこで働くようになる。

ヒトの統合失調症などの精神疾患では、大脳新皮質の抑制性神経細胞の働きが鈍っている可能性が近年、注目されてきているが、このことは、抑制性神経細胞が、ヒト特有の高度な脳機能に重要な役割を担っている可能性を示唆している。

そのため、研究グループでは、1つの仮説を立てた。それは、哺乳類以外の、爬虫類や鳥類の抑制性神経細胞は、例え哺乳類の胎児の脳の中にいても、哺乳類にしかない大脳新皮質にたどり着くことはできないのではないか、というもので、これが正しい場合、抑制性神経細胞は哺乳類の祖先で初めて大脳新皮質へ動いてたどり着く能力を獲得したことになり、結果としてヒトの祖先がどのようにして興奮性神経細胞と抑制性神経細胞がバランスよく働く大脳新皮質を獲得したのかについてのヒントになるのではないかと考えたという。

同仮説の実証のために、研究グループはニワトリ(鳥類)、カメ(爬虫類)、またはサル(哺乳類の中の霊長類)の胎児の脳の中から抑制性神経細胞を作る細胞を取り出し、マウス(哺乳類)の細胞と一緒に子宮にいるマウスの退治の脳に移植した。

図1 子宮内のマウス胎児の脳へ色々な種類の動物の抑制性神経細胞を移植して、移植した細胞がマウス胎児の脳の中でどのように働くかを調べた

そして数日後、どの種類の細胞が大脳新皮質にたどり着いているのかを調べた。その結果、マウス細胞やサル細胞は大脳新皮質にたどり着いていたが、ニワトリ細胞やカメ細胞は大脳新皮質のすぐそばまでたどり着いていてもそのまま素通りしてしまい、大脳新皮質の中に入れないことが判明した。

図2 ニワトリやカメの抑制性神経細胞は、マウス胎児の脳の中で、ニワトリやカメの脳にもある部分にはたどり着けたが、大脳新皮質については近くを素通りしてしまい、たどり着けなかった

ニワトリ細胞やカメ細胞は、大脳新皮質に入れなかったかたといって、決してマウスの脳の中で元気がなくなっていたわけではなく、大脳新皮質以外の、ニワトリやカメにもある脳の部分に入り込んでいたという。

また、ニワトリ細胞やカメ細胞をマウスの大脳新皮質に直接移動すると、元気良く突起を伸ばして周りの神経細胞とつながっている様子で、少なくとも数カ月は生き残っていたという。このため、ニワトリ細胞やカメ細胞は大脳新皮質に自分自身では入り込めないものの、それ以外はほとんどマウス細胞と同じに見えたという。

このことは、大脳新皮質という環境(場)は、ニワトリやカメの抑制性神経細胞を分化成熟させるために必要な機能を十分持っていることを示している。つまり、ニワトリやカメの抑制性神経細胞は、移動中にはその環境をなぜか認識できず、そのためにその中に入り込めないと考えられることから、実験結果により、研究グループの仮説が正しいことが確かめられたこととなり、哺乳類の祖先では、抑制性神経細胞が大脳新皮質にたどり着くことができるように進化し、それに伴って興奮性神経細胞と説く生計神経細胞がバランスよく働く大脳新皮質が獲得されたと考えられるという。

図3 哺乳類の祖先で抑制性神経細胞が進化し、大脳新皮質にたどり着けるようになった。それにより、神経ネットワークの中の興奮性神経細胞と抑制性神経細胞のバランスがとれ、正常に働く大脳新皮質が成立した

同研究成果より、新たに抑制性神経細胞はどのような仕組みで大脳新皮質にたどり着くことができるようになったのか、という疑問が生じることとなった。今後、この疑問に答えることができれば、人類の祖先が大脳新皮質を獲得した仕組みについてさらに深く理解できるようになり、ヒトが高度な知能を獲得した仕組みの解明にもつながるものと期待されると研究グループでは説明している。

また、今回の研究成果は、抑制性神経細胞の働きが鈍っていると考えられている統合失調症などの脳の病気の解明や、その防止や治療方法の開発に、"進化"という新たな視点を提供できる可能性があるともしている。