私が30年にわたる半導体業界での経験の中で見聞きした業界用語とそれにまつわる思い出を絡ませたコラムをしばらく続けている。これはあくまで外資系の半導体会社の日本法人での私の経験に限られた用語解釈であることを申し上げておきたい。今回は法律用語に関するものとして、「Copy Right(著作権)」と「Trademark(商標)」を取り上げてみたい。なお、これらはあくまで外資系の半導体会社の日本法人での私の経験に限られた用語解釈であることを申し上げておきたい。

IntelとAMDが繰り広げた著作権の闘い

著作権などと言うと音楽などのアート作品が頭に浮かぶが、半導体でも著作権は大きな問題となる場合がある。

AMDとIntelの間でもこの著作権が大きな問題となった、これまでも何度もでてきた「Am386」の時である。AMDはIntelとのセカンドソース契約が破棄されたことを知ると独自開発のAm386を設計したが、このプロセッサーにはIntelのマイクロコードが使用されていた。

ご存じのようにマイクロコードはシリコンに焼き付けられた回路というハードウェアに対し動作命令を出すためのソフトウェアで、プログラミング言語などの高級言語とハードウェアの間を取り持つ機械語により近いソフトで「ファームウェア」などとも呼ばれる。

AMDはAm386を自社開発をするために回路パターンは自前だが、マイクロコードはIntelからライセンスされたものを使用するという決定をした。と言うのも、まったく独自のハードとファームウェアを同時に自社開発すると開発期間は延び、完全互換性を保証するための設計が困難になるからである。このAMDの戦略をIntelは見逃さなかった。Intelは、「マイクロコードには著作権が成立する、故にAMDはIntelの著作権を侵害している」という斬新な切り口で提訴をした。これは半導体の世界でも初めてのケースだったが、AMDの法務部は「著作権の成立」で争うのではなく、あくまでIntelとの1982年締結のライセンス契約でのAMDの権利を主張する訴訟戦略であった。この裁判では契約当事者であったCEOのジェリー・サンダース自らが証言台に立った。

長きにわたる法廷闘争の結果裁判所の判断は「マイクロコードには著作権を認めるが、AMDにはライセンス契約によって386までの製品についてはIntelのマイクロコードの使用権を認める」と言うところで決着したが、そこに至るまでの経緯はまさにハラハラドキドキの連続であった。Intelは同じ著作権での提訴をVシリーズでIntel互換を謳っていたNECにも仕掛けたが、NECはIntelとの正面からの争いを避けたためにx86の市場から姿を消すこととなった。

Intelを世界的なブランドに押し上げた商標「Pentium」

Am386についてはAMDは商標権についても提訴された。Intelは80386の「386の部分についてIntelには商標権がある」という主張でAMDを訴えた。これにはAMDの法務部もあきれ返っていたが、裁判は粛々と行われた。

この裁判はそう長く続かず、「単なる数字の羅列に商標は成立しない」という裁判所の常識的な判断でIntelの主張は退けられた。この裁判には同じシリコンバレーの盟友National Semiconductor(NS)社が「LM386」というかなり古いアナログの製品を持っていて「386に商標があるとすればうちの方が先なんですけど…」などといった横槍証言も入ったのを憶えている。

Intelはこの経験もあってか80486の次期製品には「Pentium」というオリジナルな商標を付けて大々的なマーケティング「Intel Inside」を行うことになった。

  • Pentium

    Intel Insideキャンペーンとともに大成功したPentiumブランド (著者所蔵の雑誌に掲載されていたものを撮影)

結局Intelのプロセッサーブランド戦略は大成功し、その後のIntelの地位を不動のものとすることになった。半導体ビジネスで起こる法律問題は正義の問題ではなくほとんどがマーケティング戦略の一環だと考えてよい。

ただしこの後、Intelが仕掛けたAMDに対する独禁法違反の妨害は一線を越えた正義の問題で、AMDは全社を挙げて戦い、そして勝利した。この経験は私にとっては非常に大きなインパクトのある経験だったと思っている。イノベーションを阻害する行為はこの業界にはそぐわない。