前回の中間処理施設に続いて、いよいよ最終処分場を見学する。

橋を渡った先が中央防波堤外側埋立処分場。ここから先は一般車両進入禁止である

中防は中央"防波堤"という名の通り、沖より寄せる波の力から東京港を守るために建造された壁だった。しかし、1973年から防波堤の内側(陸地に近い北側)がゴミの最終処分場となり、埋め立てが始まった。1977年からは防波堤の外側でも埋め立てが行われるようになったため、最初に建造された防波堤の大部分は、現在では埋め立て地と一体化している。

防波堤の内側の埋め立て地は「中央防波堤内側埋立地」、外側は「中央防波堤外側埋立処分場」および「新海面処分場」と呼ばれている。名称の微妙な違いからもわかるように、内側埋立地は既に満杯となっており、処分場としての利用は終了している(1987年に埋め立て終了)。外側埋立処分場は全域がすでに陸地となっているが、現在もその上に積み重ねる形で埋め立てが継続されている。新海面処分場は外側処分場のさらに海側(南側)で1998年より埋め立てが開始された区画で、東京港の中で埋め立て可能な最後の区画である。

周囲の海からは遮断されている処分場

内側埋立地と外側埋立処分場を結ぶ橋を渡ると、処分場の周囲が高いフェンスで覆われている様子が目に入ってきた。これは、風などでゴミが周囲の海上へ飛散するのを防止するもので、海面から12mまでの高さで処分場の周りに切れ目なく設置されている。

処分場の外周はフェンスで切れ目なく囲われている

処分場の周囲をガードしているのは目に見えているフェンスだけではない。フェンスの下には地中深くの粘土層に至るまで鋼製やコンクリート製の壁が構築されており、埋め立てたゴミの上に降った雨が海に流出することを防いでいる。ゴミの層を通過して汚れた雨水は「浸出水」と呼ばれており、地中に設けられた集導管を通じて集水池に集められる。集水池は処分場の外周に沿って10カ所以上が設けられており、それらに集められた水は、外側埋立処分場の一角にある調整池に汲み上げられる。

調整池は流量の調節と水質の均一化を目的としており、多量の雨が降ったときなどにも対応できるようになっている。その後、浸出水は内側埋立地にある排水処理場に送られ、浄化処理された後に海底圧送管を通じて東京都の下水道に流されている。海上にある処分場ではあるが、処分場と海との間は遮断されており、発生した水は陸地へ送られているというわけだ。中防では浸出水の処理だけで年間約26億円(2006年度実績)の費用がかかっており、最終処分に必要な経費のうち大きな割合を占めている。ゴミの埋め立てには、ゴミを積み上げたり土をかぶせたりする作業よりも、むしろその後に発生する水などをいかに処理するかのほうに多大なコストがかかっていると言ってよい。

浸出水の集水池(左)が外周の10カ所以上に設けられている。ゴミは地中で熱を帯びるので、冬は浸出水から湯気が立ち上っている

集水池に集められた水は、外側埋立処分場の丘の上にある調整池(左)に汲み上げられた後、内側埋立地にある排水処理場(右)へ送られる

集水池に溜まる浸出水はいかにも汚水という色をしており(左)臭気も強いが、排水処理場を経ると透明になり臭いもほとんどしなくなる。この後、海底圧送管を通じて都の下水道へ流される

原形をとどめたまま埋められるビニール袋

処分場の外周から内陸へ向かう斜面を上っていくと、前回、中間処理施設で見たトラックが、搭載したコンテナの中身を空けている様子が見えてきた。今まさに不燃ゴミを埋め立てているその現場に近づいてみると、パッと見て目につくもののほとんどは、食品や日用品などのパッケージとして使われていたビニールだ。固くて大きさのあるものは中間処理で破砕されているので、最後に残るのは柔らかく薄いビニールということなのだろう。

埋め立てられる段階になっても、ビニールに印刷された商品名などはハッキリと確認でき、見慣れた商品の袋も多い。これらのほとんどが、我々の世代から何代も先の時代に至るまで、半永久的にこの場所に埋まっているということになる。

外周から処分場の内側へ入り、丘を上っていく。周りは不燃ゴミの山だ

近くに寄ってみると、ビニール袋はほぼ原形をとどめていることがわかる。そのほとんどは分解されず半永久的に東京湾に眠ることになる

コンテナからゴミが出されると、わずかに付着した食べ物などを狙ってカモメなどの鳥の群れがやってくるが、ゴミはすぐにブルドーザーで均されていく。中防では、ゴミを3mの厚さまで埋め立てるごとに、50cmの厚さで土をかぶせてから次のゴミを埋め立てるようにしている。ゴミの層と土の層がサンドイッチのように交互に作られる形だ。これによってゴミや臭いが飛散することを防ぐほか、空気を遮断することで害虫の発生や火災の発生もできるだけ抑えるようにしている。

コンテナから出てきたゴミの上にカモメの群れが集まる。ビニール袋に付着した食べ物を狙っているのだ

不燃ゴミでできた丘の上で、ブルドーザーが新しいゴミを平らに均らしていく。鳥たちも心得たもので、牽かれるような者はいない

奥の茶色の部分は土がかぶせられており、手前の白い部分はこれから土がかぶせられるところ

ゴミの埋設場所を作るため、一時的にゴミが掘り返されていた場所があった。さながら地層の露頭である

埋め立てる場所が決まっているゴミもある。右写真の場所は、同じ不燃ゴミでもベッドのマットなどウレタンが多く含まれているので、地面の色もそのようになっている。アスベストは飛散防止の中間処理がすでに行われたものが運ばれてくるが、埋め立て後は一定量が溜まるのを待つことなく、即座に十分な量の土がかぶせられるという

かつては火災も日常茶飯事

処分場内に一定間隔で立てられているガス抜き用の管。写真ではわかりにくいが、メタンガスが湯気のように出てきている。昔は生ゴミも埋められていたのでガスの発生量も多かったという

かつては、清掃工場の処理能力を超える可燃ゴミが発生しており、それらの一部は結局焼却されないまま最終処分場に運び込まれていた。当時の処分場の写真を見ると、我々が集積所に出したゴミ袋がまさにそのままの形で転がっている様子も確認できる。当然、残飯なども大量に含まれているため、上空は鳥の群れに覆い尽くされていた。不燃・粗大ゴミも破砕などの中間処理が十分に行われておらず、タンスや冷蔵庫のような家具・電化製品などが大きく場所を食っていた。

また、埋め立てた後もゴミからはメタンなどのガスが発生する。臭気の原因となるばかりか、生ゴミの発酵などで溜まった熱によって火災が起こることもある。処分場には水タンクと放水銃を備えた消防車が待機しているが、これが出動することも日常茶飯事だった。分解が進んで生ゴミの体積が減り、代わりに地中にガスが溜まることで、一部が陥没することもあったという。しかも、これらは昭和の時代の話ではなく、つい十数年前まで中防が抱えていた問題である。

処分場内で火の手が上がると出動する消防車。かつては日常茶飯事だった火災も、近年では年にわずか数回という

車両に止まったハエなどを市街地へ持ち込まないよう、車両は処分場から出る前に風の吹き出るゲートをくぐる

現在は清掃工場などの能力が上がり、ほとんどのゴミが中間処理を経てから処分場に運び込まれるため、上記のような問題はかなり減少したという。リサイクル活動なども進んだことで、東京湾に埋め立て処分されるゴミの体積は1970年代のピーク時に年間350万トン近かったのが、2006年度には年間100万トンを下回った。焼却炉の性能が向上し、23区全域でプラスチックが不燃ゴミから可燃ゴミに変わったことで、埋め立て処分の量はさらに減ると考えられる(※)。

※:プラスチックの焼却で発生した熱は発電などに利用される(いわゆる「サーマルリサイクル」)。埋め立てから焼却に切り替えることでCO2の排出量が増大するため、プラスチック焼却の是非については議論もあるが、熱エネルギーの回収で他の燃料消費を間接的に減らしCO2排出量の一部を相殺できること、CO2の20倍以上の温室効果を持つとされるメタンガスが埋め立て後に発生するのを抑えられること、埋め立て処分されるゴミの体積を削減し処分場の寿命を延命できることなどから、総合的に判断した場合、今のところ焼却が有力な手段とされている。しかしいずれにしても、そもそものゴミの量を削減するのが最も重要なことに変わりはない。

新海面処分場の南端では、可燃ゴミの焼却灰を溶かしてガラス状の物質に加工した「スラグ」が埋め立てられていた(黒い部分)。不燃ゴミと異なり、焼却・スラグ化された後の可燃ゴミからはそれが元々何であったかをうかがい知ることはできない。埋め立て作業もゴミの処分というより純粋な土木工事のように見える

スラグ化された可燃ゴミ焼却灰のサンプル

中防には風力や太陽光による発電設備や、すでに埋め立ての完了した内側埋立地でまだ発生しているメタンガスを集めて有効利用する施設なども作られている

処分場の寿命はあと50年

冒頭、新海面処分場は「埋め立て可能な最後の区画」であると書いた。東京港は名古屋港に次ぐ貿易港で、大型船舶が毎日ひっきりなしに行き来している。港としての機能と安全を確保するため、これ以上航路を狭めるような形での埋め立ては行うわけにいかない。「沖に出ればいいじゃないか」と思われるかもしれないが、この先は東京港湾区域の外であり、東京都の権限が及ぶ場所ではない。東京から出るゴミを処分するために、都の都合で埋め立てることはできないのである。

中防の中央付近にある見晴らし台から真南方向を眺める。あと数ブロックは処分場を沖合に広げることが可能だが、その先を埋め立てられることはできない

では、いまのペースで埋め立てを続けると、この処分場はいつまで使うことが可能なのだろうか。きっちりした数字は示されていないが「おおむねこの先50年以上は持つだろう」と言われている。かつては「あと30年くらい」と言われていたこともあるのだが、先に挙げたような埋め立て量の削減努力による一定の成果が得られたこともあり、当初の想定よりはかなり寿命が延びたのだ。

とはいえ、将来いよいよ中防が満杯となった後、ゴミをどう処分するのかについては完全に未定であり、将来の世代に課題を丸投げしている状態だ。また、「埋め立て地は土地として使えるのだからどんどん増やせば良い」というわけでもない。ゴミで埋め立てた土地はやはり、土砂だけで埋め立てた土地とまったく同じ堅固さを備えているわけではなく、高層ビルなどを建てることはできない。ゴミを埋めた後の土地は、決して自由に使えるわけではない。

となると、我々が今すぐにできることは、ゴミの量を減らし、現在の処分場が少しでも長く使えるようにすることに他ならない。処分場の見学中にもゴミを載せたコンテナが続々と運び込まれてくるのを見ると、この大量のゴミをどうすれば良いのかという無力感が漂ってこないこともないが、少なくとも、現在日本ではゴミの総排出量の増加がほぼ止まり、一般廃棄物については減少傾向も顕著になってきた。「やればできる」ことは間違いないのである。

2000年3月、見晴らし台に設置された「限りある埋立空間大切に」の碑。もう2世代も後の東京都民は、東京湾にゴミを埋め立てることはできないのである

大人にこそ見てほしいゴミ処理の現場

中防では処分場の見学を積極的に受け入れており、2007年度には6万人以上の一般都民が見学目的で中防を訪れている。その多くは小学生の社会科見学だが、むしろ大人にこそ、最新のゴミ処理の現場を見てほしいというのが、取材を終えての正直な感想だ。この10~20年でゴミ処理の技術は大きく進化している。確かに、臭気や一部での鳥の群れは今でも処分場にはつきものだが、かつて夢の島がクローズアップされた時代にテレビで流れた映像のイメージとは異なり、現在の処分場は一見普通の工事現場と変わらない、整然とした印象だった。人がゴミとどのように付き合っていくかには、まだまだ工夫の余地があるということの証左である。

個人や小グループの場合は処分場内までの見学はできないが、中防では年数回「大人のための環境見学会」として、休日に処分場内を含めた見学会を開催することもある(2008年度は終了)。また、海上から中防を見ることができる見学会を東京都環境整備公社が定期的に実施しているので、それぞれWebサイトなどをチェックされたい。

また、東京以外でもゴミ処理施設や処分場の見学を受け付けている自治体は多い。日々捨てているゴミが最後はどこへ行き着くのか、一度自分の目で確かめてみてはいかがだろうか。