本連載では、コロナ禍において急速に普及が進む電子契約について取り上げます。3回目の今回は、電子契約の展望や導入時の注意点について解説していきます。

電子契約は法的に有効という政府の公式見解が普及を後押し

日本国内では、オンラインショッピングなど、対個人の電子契約は普及していますが、企業間取引においては、紙の契約書が圧倒的に多く、電子契約はまだまだ普及の途上にあります。

これまで電子契約の普及を阻んでいる要因として、大きく2つありました。1つは、心理的な問題です。紙の契約書であれば、原本を手元に残せますし、日本の商習慣に馴染んでいる押印もあるので、本人性の確認、改ざんされにくいといった信頼感がありました。また、電子署名を定めた法律の解釈が人によって異なっていたため、慎重派にとっては積極的に導入しにくい側面がありました。

しかし、第1回と第2回で紹介したように、政府が電子契約、電子署名の見解を具体的に公開し、押印のない契約書であっても、法的な効力があることが明確になりました。政府としても、行政処理や企業活動のデジタル化を推進しており、この流れは今後も続くでしょう。政府の公式見解がバックアップとなって、今後民間企業での電子契約は加速度的に普及すると予測されます。

なお、電子契約サービスを提供している事業者でも、電子契約に関するセミナー開催をはじめ各種情報提供を行っており、企業が抱えている不安を払拭するための活動をしています。電子契約についての正しい認識が広まるほど、導入企業は増加していくことになるでしょう。

従来の仕組みをどう変えていくのか?

もう1つ、電子契約の普及を阻んでいるのは、組織的な問題です。具体的には、従来の社内の決裁フロー、決裁後の管理方法などが紙の書類を前提に策定されているため、すぐに電子契約に移行できないという問題です。電子契約に移行する場合は、従来のやり方を抜本的に見直し、新しい様式に応じたフローや管理方法を再構築することになります。そのためには、業務プロセスの棚卸し、見直し、社内規程の変更が必要です。しかし、このような組織改革には労力と時間がかかりますし、運用に乗せるためには関係者の理解、教育も必要です。特に意思決定やプロセス策定において重要な役割を果たすことになる、経営者、事務担当者、ITシステム担当者が足並みをそろえて、新しい仕組み、ルール作りを推進していかなければなりません。

  • 紙から電子へ移行するには、新しい仕組みやルール作りが必要

    紙から電子へ移行するには、新しい仕組みやルール作りが必要

ところが新型コロナウイルス感染症の拡大により、多くの企業がリモートワークを取り入れることになったため、この組織的な改革が期せずして大きく進むことになりました。あわせて、働き方改革の文脈からも、効率の悪い文書での管理から解放されて、デジタル化により効率的な業務を推進することが推奨されるようになったことも大きく影響しています。

仕組み、制度の改革は、すぐにできるものではありませんが、できるところから少しずつ整えていくことで、徐々に適用範囲を拡大していくことができるでしょう。

電子化は従来のやり方を単に置き換えることではないことに注意

前述のように、従来の紙の申請書類でワークフローや契約書のやり取りを、単純にそのまま電子に置き換えればいいというものではないことに注意してください。申請書類のフォーマット1つとっても、記入項目の過不足、書式なども見直して、電子申請で運用可能なスタイルに変更していくことになります。いままでのやり方に固執して、「承認者の印鑑を電子化しなければ」、「紙書類を残すルールだったから電子でやり取りした書類を印刷して保管すればいいのか?」などの質問が多く来ますが、今回新たに発表された政府の見解を参考に、電子サインサービス事業者などと相談しながら新しい運用方法を適用していくことが重要です。

契約書についても、従来の押印、印紙の消印、割印、捨印などは、そのまま電子化で踏襲することはできません。それぞれどういう目的でその処理をしているのかを考えれば、電子化によって必要十分な対応ができているため、不要な処理になります。

どの業務から導入するべき?電子化したときのリスクを検証しよう

すべての業務のワークフローを一度に変更するのは、大変ですし、時間がかかって実運用が回らなくなります。集中と選択で、どの業務から手を付けるかを検討することになります。定型的な処理、分量が多い業務を中心に検討すると、効率化の効果が大きく得られやすい傾向があります。次のようなものが該当します。

・購買プロセス
・下請け企業との契約処理
・社内稟議のワークフロー

もう1つ電子化に切り替える業務の選定ポイントとして、リスク評価があります。電子契約にした場合、どんなリスクが発生するか、発生するリスクにどのような対応をすれば、リスクを回避または低減できるかを検討します。

インターネット銀行のソニー銀行では、Adobe Signを導入し、住宅ローンの契約手続きに電子証明書を用いない「電子サイン」で行っています。電子サインの導入にあたって、本人性の確認のリスクを事前に検証しました。従来の書類による手続きでは、契約書に実印の押印と印鑑証明書を添付して、本人性を確認していました。しかし、第1回目でも解説したように、電子サインは実印にあたる電子証明書を利用しない方式です。電子サインで、本人性確認のリスクをどのように減らせるかを何度も議論しました。

議論の結果、契約書の締結は、住宅ローン契約において最後のプロセスであることに着目しました。そこに至るまでに、電話での契約申し込みのやり取り、住所、勤務先、年収などの情報の登録、融資審査などを通して、返済能力や本人の契約の意思を確認しています。こうした条件があることから、契約内容の証跡としての契約書では、電子サインと電話認証の組み合わせで本人性を確保できるという意思決定をしました。

  • 契約書類の署名欄をタップするとウィンドウが現れ、タイピングによって署名が完了する(出典:アドビ株式会社)

どの業界、業種であっても、電子契約の導入にあたっては、「やらない理由」がたくさんみつかります。ですから、導入したときに得られるメリットを明確にし、導入で何を目指すのかゴールを決めて、どうすればそこに到達できるかという観点から要件やリスクを検証したほうが、導入をスムーズに進めやすくなります。

なお、導入の検討にあたっては、経営者、法務部、業務担当者など、複数の関係者でそれぞれの視点から検証してください。検討する観点が違っても、ゴールを共通化して達成する方法を検討すれば、導入プロジェクトは進みます。ソニー銀行の場合は、顧客利便性の向上と業務効率化をゴールに設定し、その達成のために何をすればよいかを前向きな視点で検討を重ねた結果、導入に至りました。ちなみに電子サインの導入後は、電子化により住宅ローン契約1件あたりに費やしていた時間が短縮され、業務効率化を実現できました。業務時間の短縮により、より多くの顧客との契約処理が可能になり、契約件数の増加にもつながっています。

ニューノーマルにマッチした電子契約

3回にわたって、電子契約の基礎知識、法的な有効性、導入にあたって気をつけるべきことについて解説してきました。河野太郎行政改革大臣が行政手続きでの印鑑やFAXの廃止に取り組む昨今、民間企業におけるペーパーレス化の動きはさらなる加速が予想されます。電子契約は法的に有効であり、これからのニューノーマルの生活様式、働き方にもマッチした手法です。今後、さらに多くの企業が導入していくことになると予測でき、社会も電子化にあわせて最適化されていくことでしょう。

【著者】浅井 孝夫(あさい・たかお)

アドビ株式会社 法務・政府渉外本部 本部長

2000年東京大学大学院法学政治学研究科修士課程卒業。2001年弁護士登録後、アンダーソン・毛利・友常法律事務所にて勤務。2007年韓国最大手の金・張法律事務所にて勤務。2008年米国カリフォルニア州立大学バークレー校ロースクール(LL.M)卒業後、米国ニューヨーク州にて弁護士登録。2009年北京滞在を経て法律事務所に復帰。2011年アドビ に入社。

【著者】昇塚淑子(しょうづか よしこ)

アドビ株式会社 デジタルメディア事業統括本部 営業戦略本部 ドキュメントクラウド戦略部 製品担当部長

アドビにてドキュメントソリューションの市場開発を担当。2016年の日本市場におけるAdobe Signの立ち上げ時より、製品担当としてAdobe Signの事業開発とマーケティングに従事。