大規模自然災害が相次ぐ日本ですが、30年前の阪神淡路大震災から、1年前の能登半島地震の間に重要性が大幅に高まっているのが携帯電話です。それだけに、災害発生からの早期復旧に向け携帯電話会社同士が協力し合うなど、取り組みにも大きな変化が見られるようになってきました。ただ一方で、今後を見据えると新たな課題も浮上しつつあるようです。→過去の「ネットワーク進化論 - モバイルとブロードバンドでビジネス変革」の回はこちらを参照。

主要インフラとなった携帯電話、早期復旧が重要に

この記事を執筆している2025年1月17日は、1995年の同日に発生した阪神・淡路大震災からちょうど30年が経過した日となります。兵庫県を中心に甚大な被害をもたらした震災は、それまでの自然災害の規模を覆し、大きな衝撃をもたらしたものであったことに間違いありません。

しかし、2011年にはそれをも大きく上回る規模の東日本大震災が発生、原子力発電所の事故を招き、現在にも続く甚大な被害と影響もたらしているほか、2016年には熊本地震、そして2024年には能登半島地震と、やはり大規模な地震が相次いで発生し、大きな被害を残しています。それに加えて大規模な台風や豪雨も頻発していることを考えると、いかに日本で甚大な自然災害が多発しているかが理解できるでしょう。

そして阪神・淡路大震災が発生した30年前と、能登半島地震から1年が経過した現在を比べた場合、大きく変化しているのが携帯電話のインフラです。30年前は普及途上だった携帯電話も、東日本大震災の発生時にはすでに広く普及しており、被災地との連絡手段のみならず、避難や救助、被災地の支援などさまざまな用途で活用されていました。

現在では、人々が持つデバイスが音声通話主体の携帯電話から、インターネットの利用が主体のスマートフォンへと大きく変化。能登半島地震では連絡や情報収集などに広く活用されていますし、ビジネス目線からしてもIoTの広がりで、携帯電話のネットワーク利用が人以外にも広がっていることから、その重要性が大きく高まっていることが理解できるかと思います。

それゆえ携帯電話のネットワークは、今や電気や水道、道路などと並ぶ必要不可欠なインフラの1つされ、災害時もその早期復旧が強く求められるようになりました。ですが自然災害が携帯電話のネットワークにどのような影響をもたらすかは、発生した場所や被害状況によってかなり異なりますし、それだけに復旧方法にも違いがあります。

例えば能登半島地震の場合、携帯電話基地局やそのバックホール回線となる光ファイバーの物理破損が多く生じるなど、従来の自然災害とは異なる傾向が見られました。また能登半島という地形上、陸路でのアクセスが限られるにもかかわらず地震の被害で多くの道路が寸断、被災地へのアクセスが限られたことも復旧を遅らせる大きな要因となったようです。

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