約2年前、何の気もなしにネットの記事をサーチしていたら大変奇妙な、しかし面白い記事を見つけた。たぶん一般の読者であれば全く関心がないし、見過ごされてしまうものと思われるが、私にとっては仰天の記事であった。

その記事が出ていたサイトは主にCPUコア・ユーザーが読者のExtremeTechという。記事の日付は2014年の11月になっている。タイトルは"インテル遂にP4ユーザーへ15ドルの返金に合意 - P4対Athlonのベンチマークごまかしにつき"、とある。大いに興味がそそられたので本文を読んでみると、どうも下記のようなことであるらしい。記事は英語でかなり長いので、ここでは私が要約する。

  1. インテルのPentium 4 CPU(P4)対AMDのAthlon CPUの性能比較ベンチマーク結果について複数のユーザーがインテルを訴える集団訴訟があった。
  2. 訴訟の内容:インテルが2002年版のSysmarkというベンチマークプログラム(CPUの世界ではかなり一般的に使われているベンチマークの1つ)でのP4のベンチマーク結果をインテルに有利になるように改ざん。ユーザーは改ざんされたベンチマークの情報に基づいてP4を買わされたことは損害賠償に当たるとして、訴えを起こした。
  3. インテルはユーザー側と和解合意に達し、インテルのP4ユーザーに対し購買したP41個につき15ドルの返金に応じた。
  4. 対象製品は、2000年11月20日から2001年12月31日までに出荷されたP4あるいはP4ベースのパソコンすべて、およびWillametteコアのP4の2Gヘルツ以下のシステムで、2002年の1月から6月に出荷された分のもの。対象地域はイリノイ州を除く全米。

Pentium 4(上段)とAthlon (写真提供:長本尚志氏)

要するにインテルがベンチマークでズルをしていたというわけだが、この話は次の点で明らかに奇妙であった。

  1. 2000年初頭の出荷の製品に対する集団訴訟の結果が2014年になって出てくるのはなぜ?
  2. 技術革新が激しいCPUの世界ではP4は完全に骨董品であり、しかも補償の対象はパソコン製品そのものではなくその中に使われているCPUのみを対象とした返金である。金銭的、経済的にどれだけ意味のあるものなのだろうか?
  3. これだけ対象製品が期間的に限定されているのはなぜ?イリノイ州は対象外というのは?

などなど、いろいろ腑に落ちない点が多々ある。この種の訴訟は解決までに時間がかかるもので、2014年になってインテルがユーザーに損害賠償について和解したということであろう。しかし、損害賠償額はCPU1個につき15ドルであり、微々たるものである。訴えたユーザーはインテルの"ベンチマーク結果の改ざん"、という不正行為に腹を立てたのであり、賠償額の大きさよりも、"インテルがベンチマークを改ざんし、故意に結果をごまかそうとしたかどうか"、について白黒つけたかったとみるのが妥当である。対象地域からイリノイ州が除外されている理由はわからない。しかしテック・ユーザーが技術的信義に基づいて起こした訴訟であることは確かなようだ。記事にはベンチマーク改ざんについての非常に詳細な技術的説明が加えられている。

ベンチマーク結果は常にCPUの売り込みに欠かせない重要資料である(著者所蔵イメージ)

インテルとの果てしない競争に挑んだAMDのかつての社員として、私にとってはまことに興味深い記事である。というのも、私はこのP4のシスマーク・ベンチマークの件についてははっきり記憶があるからだ。CPUのビジネスでは、ベンチマーク結果というのはユーザーに対する性能表示の絶対的な方法であり、公明正大に行われるはずのものであらなければならない。これに改ざんを加えてユーザーを故意に自社の製品を購買する方向に誘導したということは、インテル自身が当時競合関係にあったAMD製品のAthlonに優位性を認めていたというはっきりした証拠である。CPU業界の王者インテルとしてまさにあるまじき行為と言わざるを得ない。"やっぱり…本当にそういうことまでやっていたのだ"、と感慨深い気持ちになった。

インテルがここまでしてP4というCPUを“よく見せようとしていた"事実が明らかになったということは、結局当時のAMDのAthlonがインテルのP4よりも優れた製品であったことをインテルが公に認めたことになる。しかし問題はそのタイミングである。AMDのAthlonもインテルのP4も既に製造中止になっており、現在稼動しているシステムがあったとしても、それは骨董品的価値しかないだろう。しかし、当時の有力なベンチマーク結果でP4がAthlonよりも優れた性能を示したということが、市場に広く認知されていた事実は厳然として存在する(存在した)のである。

シリーズ完結へ

この私のAMDシリーズの最後の章は、私がAMDで過ごした最後の5-6年間、私が直接かかわったインテルとの法廷闘争について書くことにした。ただし、読者の皆様の興味はあくまで半導体メーカーAMDの巨人インテルへの挑戦であると思われるので、できるだけそのテーマに沿って書くつもりである。

昨今、半導体製品の価値はハードそのものというより、そのソフト的な価値(知的所有権、特許、アイディア、新技術、アプリケーション、ひいては経済規模などのビジネス的な側面など)にその実体を移行している。この最終章は、このような業界の今日の状況を考えながら読んでいただけるとよいかもしれない。実際、AMDのインテルに対する数々の挑戦の中でも、この法廷闘争は規模が大きく、K7、K8の登場に匹敵するイベントと言える。特に初期段階から最後の劇的な結末まで直接かかわった私としては、全く未知の経験の連続ではあったが、AMDでの大仕事として今でも誇りに思うものである。

半導体業界における競争は、一見技術競争に明け暮れているようであるが、実際はその裏側で政治的な取引がたくさん行われているのが現実である。"政治的取引"などという話になるとエンジニアの方々の興味を一気にそいでしまう懸念もあるが、それが厳しい現実である。業界で切磋琢磨される賢明な読者の皆様は、技術的に優れたものが必ずしも勝者とはならないことを経験値として認識しておられると思う。その現実ゆえに、自身に苦い経験を持たれた読者も少なくないかとも思われる。その意味でも、この私の最終章は内容的には"法廷闘争"になるが、半導体ビジネスにおける戦い方は実際には技術を超えて、多面的な分野で行われるという戦略的意味を考える話として読んでいただけるとありがたい。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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