私自身が証人尋問に…

供述記録は弁護士事務所の会議室などで行われる(著者所蔵イメージ)

2005年の7月、私はロスアンゼルスにいた。カリフォルニアの初夏の空は真っ青で、あっけらかんとした太陽の光がさんさんと降り注いでいる。 あの独特な乾いた空気の中で街中を歩くとTシャツ1枚でも熱いほどの気温であった。これでゴルフでもすれば、この世は天国である。しかしその時の私の気分は非常に重かった。というのも、私がその日にロスにいたのは次の日から法律事務所で始まるDepositionと言うセッションに召喚されていたからだ。"デポジション"、と言ってもすぐに解る方は少ないと思われるので解説すると、日本語で言う"供述記録"である。

2005年6月9日、AMDはインテルを相手に"インテルによる独占禁止法違反行為の結果AMDが被った損害賠償請求"について、デラウェア州地方裁判所に民事訴訟を起こした。これにより、審理準備が始まり、私自身が裁判開始前の証人尋問の目的で呼ばれ、供述記録のセッションが翌日から行われることになっていたのだ。米国では法廷審理が始まる前に原告、被告両方の側から重要と思われる証人をあらかじめ召喚し供述手続きを進める。たいていの場合、ホテルとか弁護士事務所の会議室などで行われることが多い。テーブルを挟んで原告、被告側がたてる証人を双方の弁護士が両脇を固める形で座り、供述をする。一部始終をビデオレコーダーで録画し、供述の内容は収録後、双方の弁護団が吟味の上で正式に法廷に提出する部分を選ぶ。

ということは、その供述集録中に証言した事は全て後に開かれる実際の法廷審理の証言と同じ扱いを受けるということである。証人尋問を行う権利は原告、被告両方に認められており、私は原告側の証人として被告のインテルの弁護士から質問を受けるという立場である。私は60年の生涯でこれまで証人尋問に呼ばれたのは後にも先にもこれが初めてである。しかも場所はロスアンゼルス、法制度は全て米国流、質問は全て英語で行われる。

その前日の晩、AMDきっての切れ者弁護士であるべス・オズモン(かなりの美人である)とAMDが雇った弁護士事務所の優秀な弁護士デビッド・ヘロンとの夕食がセットされた。2人とはこのプロジェクトですでに何度も会っていて気心が知れている。夕食の時間が5:30PMと早めにセットされていたのは私の時差ぼけを気遣ってのことだろうと思っていたが、そんな甘いものではなかった。

最初の10分くらい差しさわりのない会話の後で、私が夕食の前のお気に入りのカクテル、ドライ・マティーニを注文したところでべスが真面目な顔で言った。"あなたがその飲み物を好きなのはよく知っているけれども、1杯だけにしておいた方がいいわね、結構長丁場になる可能性があるから。今晩は十分に休養を取ることが大切、後半は体力勝負だから。大丈夫、あなたの両側で私とデビッドがしっかり支えるから。そうそう、明日の朝は10:00AMに尋問が始まるけれど、その前にこれを読んでおいてね、"と言って厚さが10センチもあろう英文の書類をどさっとテーブルに置いた。

私はちょっとだけ口をつけたドライ・マティーニのグラスを置いて、この尋問はどれくらい時間がかかるのか聞いた。すると、デビッドが、"それは相手次第だな、相手はできるだけたくさんの証拠書類を持ち込んで君を質問攻めにするだろう。最大で3日間くらいだろう。君のために通訳を雇っておいた。君が英語に堪能なのはよく知っている。しかし君は彼らの前では英語がわからないふりをするのだ。そうすれば質問に答える前に考える時間を稼げるからね…"と言ってウィンクする。私は思わず心の中で叫んだ、"そんなの聞いてねー!!!"。

供述記録では膨大な量の書類が用意される (著者所蔵イメージ)

その晩はゆっくり休むどころではなかった。書類は明日から始まる供述記録でインテル側の弁護士たちが繰り出してくるだろうと予想される書類の束だった。ほとんどが過去の会社のEメールのコピーで、私が発信したものが主だった。べスが私のためにあらかじめ選別していたものらしい。これらのメールの内容について質問してくるのだろう。それにしても3日間も体力が持つだろうか?と不安になり、時差ぼけもあってろくに眠れなかった。

尋問当日、膨大な資料が私を待ち構えていた

さて、当日の朝ベスとデビッドから朝食を交えて説明を受けた。主な注意点は以下の通り。

  1. 供述はすべてビデオに記録されるので嘘を言ってはいけない(後で偽証罪になるリスクがある)。
  2. 答えたくないもの、よく覚えていないものは無理に答えない。
  3. 疲れてきたら自分で休憩を要求するか、デビッドが休憩を提案する。

さて、10:00AMになり、相手方の弁護士事務所に到着。相手はこちらと同じ3人だ。真ん中に恰幅のいい弁護士がいてニコニコしながら握手を求めてくる。こいつが質問をするらしい。"おはよう、日本からはるばるロスにようこそ、夕べは眠れたかい?昨日まで君のところの大将(AMDのCEOジェリー・サンダースのことだろう)が来ていたよ。すごい人だね"、などと言ってウィンクする。"さて、始めようか?ちょっと今日いっぱいでは終わらないかもしれないね"、といっ席の後ろのカウンターに置かれた10個くらいのダンボール箱にぎっしり入った書類をいかにもわざとらしく見やりながら言った。

"そのメールに覚えがありますか?そのメールの主はあなたと同じ名前ですが、あなたで間違いないですね?"、という具合に質問が延々と繰り返される。その供述の内容についてはここでは書けない。しかし断片的にではあるがいまだにいろいろと内容を覚えているのは、私がよほど集中していたからだと思う。1時間くらいやると疲労で朦朧としてくるのでデビッドが休憩を入れてくる。休憩の都度"なかなかうまいぞ"、"気分悪くないか?"、"チョコを食べろ、コーラも飲め、糖分補給が重要だ"、"後ろにあるダンボール箱はブラフ(はったり)だ、気にするな"、などと話をしているうちに15分の休憩が終わり、またあの部屋に戻るのだ…それを昼食をはさみ5回くらいくりかえしただろうか。初日は16:00くらいまで、2日目は17:00くらいまで、3日は午前中で終わったと記憶している。2日目の後半でデビッドが雇った通訳は"これ以上できません"、と言って帰ってしまった。

2日半のセッションが終わった後、完全にぼろ雑巾のようになった私にベスが"お疲れさま。今晩はマーティーニOKよ"、と言ってくれたので飲んだが、一口で完全に酔っ払ってしまった。生涯に一度きりの貴重な経験だろうが、もう二度とやりたくない。

著者プロフィール

吉川明日論(よしかわあすろん)
1956年生まれ。いくつかの仕事を経た後、1986年AMD(Advanced Micro Devices)日本支社入社。マーケティング、営業の仕事を経験。AMDでの経験は24年。その後も半導体業界で勤務したが、今年(2016年)還暦を迎え引退。現在はある大学に学士入学、人文科学の勉強にいそしむ。
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