AIが急速に進化するなかで、AIやAIエージェントを活用するには組織の変革も喫緊の課題となっている。村田製作所では、知識をいかに設計し、循環させて意思決定に結び付けられるかがそのカギとなると考え、「知の循環」、「知の設計」といった取り組みを進めているという。

9月15日~16日に開催された「TECH+データ×イノベーションEXPO 2026 Sep. イノベーションの停滞要因を打破するデータの活かし方」に、同社 ITビジネスエンジニアリング統括部 データ戦略推進部 部長の内海克也氏が登壇。AIの活用により、硬直化した組織を流動性の高いしなやかな組織へと変革し、意思決定のスピードと質を向上させるための取り組みについて説明した。

内製開発した生成AIプロダクト「Murata Coworker」

村田製作所は、今後AIの活用機会はさらに拡大すると考え、必要な機能を集約し専門性をもってAI活用を推進するための体制として、生成AI CoEを構築した。この生成AI CoEがユーザー部門と共創しつつ内製開発したのが、企業活動をサポートして価値創造を促進するための生成AIプロダクト「Murata Coworker」だ。現在はグローバルの利用者が約3万人、利用率は60%に達し、1人あたり3時間/月の工数削減を実現するなど、同社で業務に不可欠なインフラとなっている。

Murata Coworkerは当初、対話型チャットボットが中心だったが、その後RAGやCanvasなどの機能を随時追加。内製の強みを活かし、翻訳アシスタントに独自の社内用語を組み込み、Canvas機能にプレゼン資料を自動生成する支援機能も搭載するなど、同社独自の機能も追加した。現在は主に効率化や品質向上に活用されているほか、人間の業務プロセスの代替も一部で実現している。今後は知識創造過程に組み込み、汎用の機能と同社の業務に特化した独自機能を統合した知識創造基盤として活用する計画だ。

  • Murata Coworkerの施策一覧

    Murata Coworkerの施策一覧

AIエージェント活用に向けた課題

AIは従来、生産性向上に活用されることが多かったが、今後は新たな価値を創出することが求められる。村田製作所ではその実現に向けて3つのステップで進めている。

AIチャットボットにRAG機能を組み合わせるのがステップ1で、これはすでに実現。ステップ2はワークフロー内のタスクをAIが代替するAIアシスタントで、これも一部実現させた。そして今後目指すステップ3が、人間の関与を最小限にし、AIが自律的に判断するAIエージェントだ。

ステップ3を実現するためには課題もある。AIを活用するための基盤、とくに非構造データの活用基盤の整備が急務であるし、セキュリティと活用を両立させることも必要だ。さらに、組織文化的な障壁もあると内海氏は話す。

「Need to Knowを基本とした適切なアクセス管理を維持しながら、活用可能な情報についてはNeed to Shareの考え方を取り入れ、組織を越えて知識が循環する環境をつくる必要があります」(内海氏)

組織文化の課題に対しては、生成AI CoEを中心に攻めと守りの両面から対応している。独自データの活用を進め、ユースケースを提示することで価値を実感してもらうのが攻め、安全に使えることを訴求すべく、フレームワークを構築してガバナンスを強化するのが守りだ。

組織の硬直化を打破するための「知の循環」

すでにMurata Coworkerで得られている成果は、議事録作成や翻訳など個人の単発的タスクでの活用、つまり水平型のユースケースだ。内海氏は「組織としてのスループットの向上、あるいは成果そのものを大きく変革するには、営業支援、需要予測、経営判断支援といった垂直型のユースケースに変えていく必要がある」と話す。

  • ユースケースの水平型と垂直型

    ユースケースの水平型と垂直型

ただしそこには技術の進化に追いつくのが難しいだけでなく、組織とデータの障壁もある。とくに、新価値創造の最大の障壁となるのは組織の硬直化だ。

硬直化の原因として同氏は、その人にしか分からないことがある、権限に頼る運用が多いというように業務が属人化していること、そして効率化のために機能ごとに個別最適が進んだ結果、機能が細分化して連携が難しくなっていることを挙げた。こうした硬直化は変化への適応力の低下を招き、新たなことへのチャレンジを難しくさせてしまう。

「これは組織の血液とも言うべき“知の循環”がうまくいっていないからだと考えました。そこでトライしたのが、知識創造プロセスの変革です」(内海氏)

知識創造プロセスの著名なモデルであるSECIモデルは、暗黙知の共有による共同化、暗黙知を形式知化する表出化、形式知を組織全体に共有して体系化する連結化、そして内面化というサイクルで知識創造を行うが、ここに生成AIを組み込むことでハイサイクル化しようというのが村田製作所の試みだ。例えば共同化において経験者のヒアリングにAIを活用し、そこでデータ化したものを生成AIで体系化して表出化する。こうすることで、情報の探索、抽出、統合が容易になり、新たな知見の発見にもつなげられる。

「生成AIを組み込むことによって、このサイクルを高速で回す“知の循環”を起こすことができると考えています」(内海氏)

  • AIを中心とした知識創造プロセス

    AIを中心とした知識創造プロセス

生成AIによる知の循環が実現するとどうなるか。まず、社内コミュニケーションの質が向上する。例えば会議の前に、生成AIがその会議の論点や必要な準備を示すため、会議冒頭での参加者の目線合わせ、レベル合わせが不要になる。新たな課題に直面したときには、生成AIがまず必要な部署、必要な論点を示してくれるので、多くの部門から大人数を集めて会議をする必要がなくなる。つまり変化への適応力が向上し、組織の意思決定のスピードと質が大幅に改善されるのだ。

組織そのものにも変化が起きる。人と人の対話では言葉や場所、専門知識などの壁によってコミュニケーションが制約されることがあるが、AIが入ればこれらの壁はなくなり、場の自由度が増して多様な人とさまざまな議論が可能になる。本質的な議論ができるようになり、対話の質が向上するし、会議や業務が効率化され時間の余裕が生まれるため、人同士が話すための余白が生まれる。そのため人間関係を深めることにつながるのだ。このように多様性、偶発性、変化適応性が向上し、新価値を創出できる知識創造の場を、同社ではワークプレイスと呼んでいる。

「ワークプレイスを増やしていくことで、硬直化した組織からAI中心の流動性の高いしなやかな組織へと変革できるのです」(内海氏)

AIエージェント活用に不可欠な「知の設計」

内海氏は、知の循環を構築するなかで、暗黙知の形式知化だけでは不十分であることに気付いたという。形式知化したものを、さらに組織で使える知識にしなければならないのだ。「そのために必要なのが知の設計であり、それがAIエージェントの活用に不可欠なもの」であると話す。知の設計とは、意味・概念、利用文脈、権限・責任、関係性、階層・粒度、属性をしっかり設計することだ。例えば用語や概念を統一して共通理解をつくる、知識同士のつながりを明確化する、業務に応じて適切な粒度で設計するといったことが必要になる。

現在、商品企画の事業価値評価に知の設計が取り入れられている。市場データ、業界データ、自社データ、財務・コストデータをオントロジー、つまりAIが理解できるように構造化し、情報収集、評価、強みやリスクの示唆、レポートといった機能を持つAIエージェントがそれらのデータを利用して評価を支援する。これにより事業価値評価を高速、かつ高精度に行うのが狙いだ。

しかしここにも課題がある。情報の所在や更新責任が不明確であることや、事業や拠点ごとに用語が異なること、暗黙知を表出化するプロセスが不足していることのほか、AIに参照させて良い情報かどうかの区別があいまい、権限や責任の境界があいまいといった課題も新たに見えてきている。これら1つ1つの課題については、データカタログやオントロジー、ナレッジ抽出、アクセス制御、データガバナンスなど、使うべき技術や仕組みは揃ってきているが、それぞれが相互に関係しているため、個別に対応するわけにはいかない。同氏は、「どう組み合わせるか、全体の設計図をつくることが必要」だと強調する。

最後に内海氏は、組織として目指しているのは知識創造の場であるワークプレイスが自然発生的に増加することで、新たな価値が創出される状態だと話した。そのためには知識が生まれて価値に変わるまでの「知の循環」を意図的、体系的に設計して回し続けることが重要なのだ。

「そうすることで、事実と洞察に基づく意思決定のスピード、質が劇的に向上していく。それを繰り返すことによって、成長し続けていきたいと考えています。生成AIは効率化のツールではなく、組織変革のエンジンであると捉え、生成AIを大いに活用してください」(内海氏)