【 追悼 】元経団連会長・奥田碩さん

「自分の城は自分の手で守る」

「常在戦場」。奥田碩さんの経営者人生を見ると、常に戦場に在りという意識だったと思う。

 1995年(平成7年)、トヨタ自動車社長に就任。創業家の豊田家以外から社長に就任したのは28年ぶりのことであった。

 社長就任時、業績は低迷していたが、「自分たちの足元を固め、世界に打って出る」と社内を叱咤激励。国内市場でシェア40%台を確保するところまで業績を伸ばした。

「未来を見つめる」、そして「世界を見つめる」の2つが大事として、世界一の自動車メーカーに育て上げた。

 1932年(昭和7年)12月生まれで1955年一橋大学商学部卒業後、トヨタ自動車販売に入社。当時は『自工』、『自販』と工販分離の経営体制だったが、1982年に両社が合併して、今日のトヨタ自動車になった。旧自販出身者が社長に就いたということでも話題になった。

 歯に衣着せず発言する─。若い時から物事の本質を突き、おかしいことはおかしいと言ってのけることで、しばしば上司ともぶつかった。経理畑に在籍していた時のことである。それもあってフィリピンの子会社に〝左遷〟されたという体験も持つ。その時、同国の有力実業人から売掛債権の回収を図るという重責があったが、それを見事やってのけたのも奥田さんである。

 そうした奥田さんを掘り起こしたのが、後に社長になる創業家の豊田章一郎氏(1925―2023)であった。「理非曲直」をはっきりさせる性分が買われて、奥田さんは新しいステージを一歩一歩登っていく。

 本拠・愛知県豊田市から世界を眺めるというのがトヨタの真骨頂。東京一極集中が進む中で、このトヨタの姿勢は他の企業に多くの教訓を与える。「自分の城は自分の手で守る」を原則にトヨタイズムを構築し、世界のトヨタとして打って出た功績は大きい。

 こうした性分と実績から、1998年に日本経営者団体連盟会長に就任。その日経連と旧経団連が2002年に統合して、日本経済団体連合会(現経団連)が発足すると、その初代会長に推された。時代の変わり目の中を、覚悟を持って生きる姿勢が財界リーダーとしてふさわしいという周囲の評価であった。

「経済と政治は一体となって国富を高めるべき」というのが持論。経団連会長時代は郵政改革を進めた小泉純一郎内閣とも連携し、諸改革を推進。経済財政諮問会議の民間議員なども務めた。

 グローバリゼーションも今はトランプ関税や安全保障問題も絡み、その中を生き抜くことが難しい状況に多くの企業が直面。

 いついかなる状況でも「未来を見つめ、世界を見つめることが大事」と説き、いついかなる時も「自分の足で立って仕事をしていく。それはいつの時代でも必要な生き方です」と説き続けた。

 レジリエンス(忍耐力、柔軟性)のある生き方であった。合掌。