
スマホやPC(パソコン)にAI(人工知能)が搭載され、さらにフィジカルAIの時代になって、自動運転が現実のものとなり、ロボットが各産業領域で活動する今、材料メーカーとしての使命と役割は何か─。「フィジカルAIの頭脳の部分は結局、アメリカ主導になっていますが、メカニクス(機械や材料の製造)領域は日本が得意とする所」と信越化学工業社長・斉藤恭彦氏は語る。信越化学といえば、生活環境領域で広く使われる塩化ビニールで世界最大の会社というイメージが強いが、半導体の基盤材料や光ファイバー材料などAI関連の電子材料領域も得意とする。AIは莫大な電力を必要とするため、いかに消費電力をカットするかがこれからの社会課題。その解決のキーになるのが光ファイバーの開発。信越化学は光ファイバーの重要素材・インゴットを生産しており、「AI関連の売上は全体の15%に達している」と斉藤氏。米エヌビディアやグーグルといったAIの”頭脳づくり”を担う企業の動きに対応しながら、基盤材料メーカーとしてのポジションをどう固めていくのか─。
『フィジカルAI時代の材料メーカーの強みとは』
エネルギー効率をどう考えるか─。これは昨今、エネルギー事情が深刻化している国際情勢を見ても、また中長期視点での環境問題を見ても、最重要課題の1つ。
AI(人工知能)の活用が各領域で浸透し、AIが必要とする莫大なデータを集積するデータセンターへの投資が相次ぐ。データセンターの運営には膨大な電力を要し、データセンターでの消費電力量をいかに下げていくかという社会課題である。
電力ロス(損失)をいかに防ぐか─。
「電力の損失について、一つは、外で送電する間に失われる電力があるし、それから電圧を下げようとして電力が失われてしまうケースもあります。また半導体デバイスそのものが熱を発して、熱という形で電力が失われてしまう。
そういう事が起きる電力システムというのは20世紀型なんです。それを21世紀仕様にしていかなければならない。そういうことで、やはりわれわれのような材料メーカーの力も必要であり、また発揮できるということで、仕事に取り組んでいます」と信越化学工業社長・斉藤恭彦氏は語る。
では、電力を有効に使う21世紀仕様のシステムとは何か?
「米エヌビディアなども、まさに電力を下げるステップを踏めば踏むほど電力をロスするというので、高電圧でサーバーまで持ってくることをやろうとしているわけです。そうした課題解決に必要なデバイスがあるということ。そういった所でわれわれの役割を果たすことができるということで仕事に取り組んでいます」
エヌビディアは、米国・カリフォルニア州に本拠を構え、AIで世界をリードする半導体メーカー(1993年設立)。特に、画像や映像を処理するチップ、GPU(グラフィック・プロセッシング・ユニット)の開発を得意とする。
世界の株式時価総額ランキングでも、約4兆4503億㌦をつけ、これまで世界一だったアップル(約3兆7548億㌦)を抜いてトップの座に躍り出た。
日本円に換算すると、約690兆円もの時価総額。日本のトップ、トヨタ自動車のそれが53兆円強であるから、エヌビディアは13倍も高い評価を市場から得ている(3月13日現在)。
AIの進化を支える基盤材料メーカーとして、斉藤氏は、「今、データセンターへの相次ぐ大型投資が注目されていますが、普段われわれが使うPC(パソコン)ですとかスマホにAIが搭載されていますし、そういった所にもわれわれの材料が使われています」と自分たちの役割を語る(後のインタビュー欄参照)。
先述のように、AIの進化は実に目覚ましく、最近では、〝フィジカルAI〟という言葉も盛んに使われるようになった。
ロボットの領域では、人間の形をした〝ヒューマノイド(人型)ロボット〟が登場し、医療や介護の現場で使われ始めた。また自動車分野では、AIが自動車に搭載され自動運転が実用化されようとしている。
どちらもAIの活用で、自らフィジカル(物理的)に動くということ。
「エヌビディアなども、もう既にそこに莫大な研究投資をしている。そこで彼らはマーケットを押さえたいということですね。もちろんアップルなどのGAFAMも黙っていないと思います」と斉藤氏は語る。
世界で繰り広げられるAI開発の中、信越化学の存在意義とは何か?
「われわれは、例えばロボットをつくるわけではありません。日本にはファナックさんや安川電機さんなど、ロボット技術を持つ所があるわけですが、それはメカの領域なんですね。それにソフトをどう加え、AIをいかに活用していくかという仕事をどう展開していくかが勝負になると思っています」
GAFAM(グーグル、アップル、旧フェイスブック=現メタ、アマゾン、マイクロソフト)にエヌビディアとテスラの7社を〝M7〟(The Magnificent Seven=秀逸な7社)と呼ぶ。そのM7にAI材料メーカーとして「どれだけ食い込めるかが大事」と語る斉藤氏である。
『日本にとっても勝負時』
「フィジカルAIについて言えば、頭脳の部分では結局、アメリカ主導になってしまっているんですね。だけどメカニクスとか、形にしていく領域は日本も強い。組み立て、デザイン、機能といった所で日本が何も出来なかったら、もう終わりだと。ここは日本も踏ん張り時だと思います」
今は経済と〝安全保障〟が密接に絡み合う。〝経済安全保障〟という概念も出現。米国と中国の対立が最先端テクノロジー分野でも影を落とし、半導体やAI分野で、二国間の激しい開発競争が繰り広げられている。
「アメリカが技術なり、例えばAIチップの輸出を規制するということをやればやるほど、中国は国家をあげて開発してきますからね」
斉藤氏はそうした国際環境下、「日本も頑張らなければいけない」という認識を示す。
同社は売上(2025年3月期で2兆5612億円)のうち約80%を海外であげる。グローバル企業として、その国や地域の顧客のために仕事をするという基本姿勢だが、日本に本拠を置く企業として、「それなりの働きをしていかなければ」と斉藤氏も決意のほどを語る。
『日本の時価総額ランキングでは18位』
「さすが信越と言ってもらえる仕事をしていきたい」というのが斉藤氏の考え。
同社は1926年(大正15年)に設立され、今年100周年を迎える。信越化学といえば、塩化ビニール樹脂や半導体シリコンウエハーで世界首位で、グローバル市場を生き抜く企業。
日本の化学トップの座にあり、株式時価総額は約12兆9600億円。2位の富士フイルムホールディングス(約3兆7500億円)、花王(約2兆8700億円)などをはるかにしのぐ数字である。
日本全体の時価総額ランキングで、同社は19位。18位に任天堂、20位に三菱電機という位置。
AI・半導体に関する企業では、日立製作所が3位(時価総額約22・2兆円)、ソニーグループ(同21・2兆円)が4位、ソフトバンクグループが7位(約20・4兆円)、東京エレクトロンが9位(約18兆円)、アドバンテストが10位(約17・3兆円)という並び。
AI関連ということについて斉藤氏は、「弊社は電子材料を幅広く手掛けているので、AIとの接点が多くあります。市場や投資家の方々からは、弊社を『AI銘柄』と認識していただけるよう取り組んでいます」と話す。
同社は早くから半導体材料のシリコンウエハーを手がけ、世界首位の業績をあげているが、それよりも塩ビで世界トップというイメージが余りにも強い。現実は、AI関連を含む〝電子材料〟分野が収益の大黒柱で、塩ビを含む〝生活環境基盤素材〟を大きく引き離している。
同社の2025年4月から12月までの決算を見ると、セグメント別売上高では、電子材料が一番多く、7503億円(前年同期は7091億円)、その次に生活環境基盤材料が7479億円(同7775億円)と続く。その他、機能材料3337億円、加工・商事・技術サービス1019億円という構成。
セグメント別営業利益では、電子材料が2592億円(前年同期は2605億円)、生活環境基板材料が1463億円(同2263億円)と、電子材料の利益が大きく、生活環境基盤材料は前年同期に比べ35%以上の減少となっている。
生活環境基盤材料部門の中核をしめる塩ビ事業は世界的な市況下落の影響を受けている。これは、もう1つの塩ビ生産大国である中国が国内経済の低迷で、需要が軟化し、中国国内の余剰分がアジアや、世界各市場へ向けられたことが大きな要因。
グローバルにこれからの産業構造を考えていく時に、中国の動向を考慮しなければいけないということだ。
そうした事情を含めて、今後、同社はどのような事業構造にしていくのか─。
『光電融合技術の活用でAI関連成長を加速!』
「全てのセグメントにわれわれは力を入れていくわけですが、(塩ビが入る)生活環境基盤材料への投資を細くして、電子材料に集中するとか、そういう考えでいるわけではありません。(AI関連の)電子材料の伸びが非常に大きいですし、それをさらに加速させていかなければいけないという意思表示です」
AI需要が高まり、各国、各地域でデータセンターへの一大投資が続く。AI用の半導体は米エヌビディアが設計し、世界最大の半導体受託製造メーカー、TSMC(台湾)が生産するという構図が定着している。
データの蓄積が重要となる時代にあって、そのデータを記録する記憶装置、半導体メモリの存在も極めて重要。それらの半導体製造に同社の電子材料が使われている。
さらに、モノを製造する際の電力コストをいかに下げるかは重要な死活問題。昨今のエネルギー事情も加わり、生産拠点をどこに構えるかということを含め、いかに電力を使わずに生産するかという課題だ。
そこで今、注目されるのが〝光電融合〟技術。これは光信号を扱う回路と電気信号を扱う回路を融合すること。この光電融合技術を使えば、コンピュータ内でやり取りする電気信号を光信号に置き換えることができる。
光は電気よりも伝送中のエネルギー損失が少ないため、光信号に置き換えることで、コスト削減や通信の高速化を実現できるというメリットがある。この光電融合技術は、NTTが進めている次世代通信基盤『IOWN』(アイオン)にも生かされている。
斉藤氏もこの光電融合技術について、「光でデータのやり取りを行い、計算の機能だけ電子回路が担うという研究が進んでおり、私たちもこの領域での事業を広げていく考えです」と話す。
『現在、AI関連の売上は15%。今後、売上増を加速』
現実と仮想が融合することで新たな可能性を生み出すデジタル空間として〝メタバース〟が登場。さらに、IT(情報技術)機器と機器、また機器と人など異なる2つのモノを仲介、つなぐ役割を担う〝インターフェイス〟という概念も出てきた。
米企業のオープンAIやアップル、グーグルなどのAI開発競争は激しさを増す一方だ。そうした世界的な流れの中で、信越化学は記憶媒体製造に強みを持つ。
DRAM(ダイナミック・ランダム・アクセス・メモリ)にしろ、集積度の高いHBM、フラッシュメモリといった記憶媒体製造に、信越化学の基盤素材が使用されている。
「現在はデータを扱う量が急速に拡大していますから、大容量の記憶媒体の必要性が増しています。その中で、HDD(ハードディスクドライブ)には私たちが手掛ける希土類磁石が欠かせません。HDDは高密度でデータを書き込んでいきますから、この分野では高度な製造技術が必要になります」
斉藤氏は、AI開発で記憶媒体の果たす役割をこう説明し、「この分野で弊社はかなりのシェアを獲得しています」と語る(インタビュー欄参照)。同社でのAI関連の売上は現在、全体の15%を占めているが、今後、「さらに売上増を加速させていく」方針。
『創業100周年を迎えて』
1926年(大正15年)9月設立の同社は今年、100周年を迎える。この100年を振り返ると、わが国の中堅化学企業であった同社が、急速に成長・発展するきっかけは、今から50余年前の1973年(昭和48年)にあった。
米資本との合弁で、米国で塩ビを生産する『シンテック(SHINTECH)』を設立。折しも、第1次石油ショックの時であったが、当時の社長・小田切新太郎氏(1907―1997)が投資を決断。
その後、合弁相手が経営に躓き、信越化学がシ社を100%子会社化するのだが、これを強く進言したのが、前会長・金川千尋氏(1926―2023)。
シンテックの経営を任された金川氏は、同社を世界一の塩ビメーカーに育て上げ、信越化学グループを超優良企業にした(金川氏は1990年8月社長に就任。2010年6月から逝去する2023年1月まで会長を務めた)。
現社長・斉藤恭彦氏(1955年12月生まれ)は、2016年6月に社長に就任。社長在任8年余で、塩ビと半導体シリコンウエハーの世界一体制を強化し、高収益会社としての基盤を固めてきた。
先述したように、現在〝化学日本一〟の座にある同社だが、斉藤氏の視座は、どうやってグローバル市場での地位をさらに高めていくかというところにある。それは、同社の売上の8割がグローバル市場であげられている事にも表れている。
今、世界は混沌とした状況にある。米国とイスラエルによるイラン攻撃で中東地域全体がキナ臭くなり、イランのホルムズ海峡封鎖などで、世界全体が先行き不透明感を増している。
不安定な時代に、信越化学はどのようなスタンスで経営のカジ取りを進めていくのか─。
『顧客のニーズを先回りしての開発も』
「私たちはとにかく素材分野で、お客様の課題を解決する製品や技術を提供していくということに尽きます。お客様のためになることであれば、素材にこだわることなく何でも手掛けて事業を拡大していくことも選択肢です」さらに斉藤氏が続ける。
「私たちは対話を通じて、お客様から学ぶことも多いですし、お客様からのご要望にお応えし続けることで信頼を獲得し、事業を拡大させてきました。お客様に先んじて様々な技術などを提案できれば、それが理想です。しかし、お客様の取り組みのスピードが速いので、そのスピードに付いていくことが必要です」
いわば、ユーザーオリエンテッド(顧客第一)でやってきたという同社のこれまでの歴史。素材・材料メーカーとしての立場もあったのだろうが、AI開発というスピードの速い事業領域に立ち向かう今、「『お客様の先を行こうじゃないか』と、各事業の担当者を鼓舞しています」と自己変革を志向する斉藤氏である(インタビュー欄参照)。
それには、大学などの研究機関との協力や、スタートアップとの提携も不可欠。
スタートアップとの提携といっても、そこに出資、上場して、キャピタルゲインを得ることを目的にするのではない。「産声を上げたばかりで会社の形が出来上がっておらず、投資家がまだ様子見の段階にある会社にも投資をしています」とスタートアップのアーリーステージ(初期段階)で提携していると斉藤氏は語る。
スタートアップは大学発が多く、米国の大学発ベンチャーとの付き合いが多いという。しかし、提携が常に成功するとは限らない。提携先を見定める力も求められる。「だから、ある程度、踏ん張るということ」と斉藤氏は挑戦が大事という考えを示す。
『無資源国・日本が成長し続けるには?』
新しい日本の成長戦略をということで、高市早苗・政権は17の成長戦略分野を掲げて、『強い経済』を創ろうとしている。AI・半導体、量子、バイオ、造船、航空・宇宙など計17にわたる成長戦略分野である。そうした中で、〝日本の強さ〟をどう見極め、企業は成長戦略を描いていくべきなのか?
「アメリカは国土が広く、人口も多く、それなりに資源もあります。今はトランプ大統領が政権を担っていますが、基本的にはいろいろな人が交流し合うという社会。そういうアメリカのモデルがある。一方で中国のモデルもあります。アメリカのモデルの一方で中国のモデルがあるという中で、日本はどうするのかということです」
米中対立が生まれ、経済安全保障が重要視される今、政治だけでなく、経済人の使命と役割も重くなってきている。
「日本はよく言われているように資源がありません。特にエネルギーに限ればほとんど存在しません。そうした環境下で、国としての繁栄を維持するには『人』しかありません。高市早苗首相が『強い日本』を唱えていますが、『強い日本』を実現するのはやはり『人』です。『人』に投資をしなければなりません」
人への投資─。これを大事にするかで、その企業の将来の成長が決まるという斉藤氏である。
『「人への投資」が大事』
『人口減、少子化・高齢化が続く日本。全産業で人手不足が起こり、新卒学生は就職活動で内定を4つも5つももらうのが当たり前になっている。学生から〝選ばれる会社〟であり続けるには、やはり成長し続ける企業でないといけないというのが斉藤氏の認識。
具体的に会社業績でいえば、信越化学はコロナ禍の2023年3月期に経常利益で1兆202億円と1兆円超えを達成(営業利益は9982億円)。「わたしも70歳ですからね。そんなに残されている時間はないので、また利益も1兆円に戻さなければならない」斉藤氏が続ける。
「最近の若い人たちは、1つの会社で人生を終えるなんてことは有り得ないという人も多いかもしれませんが、やはりいい会社であるならば、そこで勤め上げるという選択もあると思います。そうであるならば、会社は成長しなければ、また、伸びなければいけない」
AI時代を支える基盤材料メーカーとして、「人に投資していく」という斉藤氏の信念である。