先日、米ボストンで年次カンファレンス「IBM Think 2026」を開催した米IBM。2日目にはグローバルのメディア関係者を対象に、MIT(マサチューセッツ工科大学)との共同研究拠点「MIT-IBM Watson AI Lab」を公開。その場でIBMが4月に発表したMITとの共同研究10年延長と「MIT-IBM Computing Research Lab」への改称について説明した。AIに加え、量子コンピューティングまで領域を拡張し、AI・データプラットフォーム「IBM watsonx」などの中核技術を担う同拠点の戦略的位置づけが一段と強まっているようだ。

  • 取材時点(5月6日)では「MIT-IBM Watson AI Lab」のロゴは残されていた

    取材時点(5月6日)では「MIT-IBM Watson AI Lab」のロゴは残されていた

IBMとMITの関係は1956年 - AI誕生から続く共同研究

MIT-IBM Watson AI Labは、マサチューセッツ州ケンブリッジのMIT構内および周辺エリアに位置し、チャールズ川を挟んで隣接するボストン市街を望む場所にある。両者の関係はAIという学術研究分野を確立した1956年の「ダートマス会議」までさかのぼる。

  • 名称を変更した「MIT-IBM Computing Research Lab」からチャールズ川を挟みボストン市街が見える

    名称を変更した「MIT-IBM Computing Research Lab」からチャールズ川を挟みボストン市街が見える

IBMのNathaniel Rochester(ナサニエル・ロチェスター)氏、MIT人工知能研究所の創立者の1人であるMarvin Minsky(マービン・ミンスキー)氏、情報理論の考案者で「情報理論の父」と呼ばれたClaude Shannon(クロード・シャノン)氏らが、同会議において「人工知能(Artificial Intelligence)」という言葉を初めて使用した。ちなみにAnthropicのLLM(大規模言語モデル)「Claude」は、シャノン氏が由来とされる。

  • 一番左から2番目がナサニエル・ロチェスター氏、中央奥で左から4人目がマービン・ミンスキー氏、一番右端にクロード・シャノン氏

    一番左から2番目がナサニエル・ロチェスター氏、中央奥で左から4人目がマービン・ミンスキー氏、一番右端にクロード・シャノン氏(ダートマス会議当時の関係者を写したとされる写真)

Head of Engagement, IBM Research Cambridge; Business Development Executive, MIT-IBM Computing Research LabのAdam Bogue氏は「つまりAIというテーマにおいて、MITとIBMは文字通り“初日”から協力してきたのです」と話す。

  • Head of Engagement, IBM Research Cambridge; Business Development Executive, MIT-IBM Computing Research LabのAdam Bogue氏

    Head of Engagement, IBM Research Cambridge; Business Development Executive, MIT-IBM Computing Research LabのAdam Bogue氏

そして、時を経て10年間のプロジェクトとして、2017年にIBMが異例の規模となる約2億4000万ドルを投資し、MIT-IBM Watson AI LabをMIT内に設立。同ラボはIBM Researchの研究者150人と、MITの教授が共同研究を行い、その後も追加投資を実施している。

2017年に約240億円投資、MIT-IBM Watson AI Labが発足

ラボは両者による共同・対等な意思決定体制とし、MITとIBMそれぞれ1人、計2人のディレクターが統括。両組織から同数のメンバーで構成される委員会が資金配分を決定し、コントロールの半分をMITに委ねているという。

共同研究はコンピュータサイエンス分野のみならず、数学や物理、化学、またMITスローン経営大学院と複数のプロジェクトに取り組んでいる。

Bogue氏は「IBMが大規模な資金提供をしていますが、50%をMITに任せており、これは強固なパートナーシップの証です。プロジェクトベースで運営し、すべてのプロジェクトには、必ずMITの教授とIBMの研究者が共同研究責任者として関わらなければなりません。研究テーマの立案から実行までを共同で行い、双方のリソースを活用して進め、常時50以上のプロジェクトが進行しています」と説明する。

また、同氏は「ラボを設立したタイミングは先見的でした。というのも、われわれはAI分野における最先端の研究機関、おそらく最も先進的な研究機関の1つであるMITと戦略的パートナーシップを築くことができました。結果的にAIが大きな転換点を迎えるタイミングに備えることができ、IBM watsonxやLLMの『Granite』シリーズの開発を担う中核拠点となっています」と話す。

  • MIT-IBM Watson AI Labの概要

    MIT-IBM Watson AI Labの概要

10年間のパートナーシップ延長と名称を「MIT-IBM Computing Research Lab」へ

そして、2026年4月29日に今後10年間のパートナーシップ延長と、ラボの名称をMIT-IBM Computing Research Labに変更。今後、共同研究はAIだけでなく、量子コンピューティング、両領域を支えるアルゴリズムの開発なども含まれる。すでに、9月の開始予定で次期プロジェクトのテーマについてアイデア出しを行っているという。

同氏は「IBM側から持ち込む課題が『実際の顧客から生まれたリアルな問題』という点は、非常に評価されています。MIT側でも、従来は気づかなかった新しい研究テーマの創出にもつながっています」と述べている。

一方、IT業界では大規模なモデル開発とデータセンターへの投資が加速しているが、IBMとしては「速く進むが壊さない」というスタイルを一貫しているという。

Bogue氏は「われわれのアプローチは実用志向であり、ニーズに対応したソリューションを提供することです。コストは顧客にとって非常に重要なため『より小さく、よりコスト効率の高いモデル』を重視しています。研究テーマは常に“ビジネス有用性”と“純粋科学”の両立であり、単なる応用研究は行いません」と強調する。

ただ、AIと量子コンピューティングの関係については、まだ新しい領域でもある。その点について同氏は「完全に整理されているわけではありませんが、日々理解を深めています」と述べており、両分野の融合は今後の重要な研究テーマになるだろう。

研究拠点の名称から「Watson」を外した理由 - AIから量子へ広がる研究領域

余談ではあるが、実は今回の名称変更で「Watson」が外れているのだ。WatsonはIBM初代社長のThomas J Watson(トーマス・J・ワトソン)氏に由来し、2011年のクイズ番組「Jeopardy!」での勝利を契機に同社のAIブランドとして、世界的に認知を高めた存在である。

その後、同社のAI戦略を象徴する名称としてラボにも採用されたが、同時にAI領域に特化したブランドイメージが強く、研究対象の拡張に対して制約にもなり得る。

Bogue氏は「今回は研究の対象領域を拡大するため、その枠を超える必要がありました。新しい方向性を明確に示すためです」と述べている。単なる名称変更ではなく、研究戦略そのものの転換を示すシグナルといえる。

  • 名称を「MIT-IBM Computing Research Lab」に変更し、AIだけでなく、量子コンピューティング、そして両領域を支えるアルゴリズムの開発などに研究対象を拡張する

    名称を「MIT-IBM Computing Research Lab」に変更し、AIだけでなく、量子コンピューティング、そして両領域を支えるアルゴリズムの開発などに研究対象を拡張する

AIに特化したラボから、量子コンピューティングを含む計算科学全体へと対象を拡大したことで、IBMは次世代の基盤技術を見据えた体制へと移行したといえる。特に、巨大モデル開発競争が激化する中で、コスト効率と実用性を重視する同社の姿勢は、エンタープライズAIの現実解を示すものだ。MITとの連携を軸に、科学とビジネス双方の価値を追求するモデルが、次のAI時代においてどのような成果を生むのか注目される。