1876(明治9)年にわが国初の広域地質図「日本蝦夷(えぞ)地質要略之図」が発行されて、10日で150年を迎えた。縮尺200万分の1の北海道のもので、石炭の予想埋蔵量などが記され、明治政府が資源開発を重視した背景がうかがえる。地質図は、地層や岩石の関係を地形図に表現したもの。専門家は「地質図やその仲間は種類が多彩で、今は各種情報がオンラインでも利用可能。AI(人工知能)の時代になり、新しい活用も広がるだろう」とアピールする。

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    産総研が所蔵する日本蝦夷地質要略之図=4月27日、茨城県つくば市

日本蝦夷地質要略之図は、北海道の開拓や行政を担った政府機関「開拓使」が発行した。開拓使が米国から招いた地質技師、ベンジャミン・ライマン(1835~1920年)が中心となって作成。ライマンは助手と共に開拓使仮学校(現北海道大学)の生徒を連れ、当時は未開拓の北海道で苦労を重ねて測量や地質調査を進めたという。

同じ5月10日は1878年、地質調査を扱う内務省地理局地質課が規定された日でもあることから、地質関連の組織や学会が2007年、この日を「地質の日」と定めた。同課は1882年に地質調査所となり、2001年には産業技術総合研究所地質調査総合センター(茨城県つくば市)に。地質図作成の基となる地質調査を引き継いでいる。

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    ライマンの地質図や当時の説明書を示す、地質標本館の中澤努館長=4月27日

地質調査所の設立を提案したのは、やはり政府が招いたドイツ人地質学者のハインリッヒ・ナウマン(1854~1927年)ら。ゾウの化石の研究業績を称えられてナウマンゾウの名の由来となり、また本州中央部を分断する大地溝帯「フォッサマグナ」の発見でも知られる人物だ。一方、ライマンも同様に地質調査所の設立を構想したものの、調査旅行中にナウマンらに先を越された。しかしライマンが育てた弟子の何人かが、地質調査所で活躍したという。

ライマンによる初の広域地質図には石炭や石油、硫黄、鉄、鉛などの予想埋蔵量が記され、資源探査を主目的としていたことが分かる。同センター地質標本館の中澤努館長が、地質の日を前に4月27日に会見し「時代を反映していて面白い。当時の政府はやはり、資源が大事だと認識していたのだろう」と話した。

地質の日や地質図150年に合わせ、各地の博物館や研究機関、団体などが記念のイベントを開催している。産総研地質標本館では、ライマンの地質図の実物などを6月7日まで特別に展示中だ。入場無料で予約不要、月曜日休館。

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