はじめに

2025年の12月20日に、トークセッション「量子って、いったいボクらのなんなのさ? #3気象予測の未来」を開催しました。9月と11月に開催した連続イベントの第3弾で、本シリーズのラストを飾る回となりました。

2025年は「量子コンピュータ・ディスコ」のオープンや量子力学100周年のアニバーサリーイヤーとなりましたが、その年を締めくくるべく私が選んだテーマが「気象予測」でした。第1弾が暗号技術、第2弾がAIをテーマとしており、情報工学に寄っていたので、もう少し自然科学も関係しつつ、計算機の歴史とも関係が深い題材にしたいと考えて選びました。

気象の専門家としては長年気象庁で予測に携わっていた東京大学の隈健一先生に、量子コンピュータの専門家としては「量子コンピュータ・ディスコ」の監修も務めたソフトバンク株式会社の嶋田義皓先生にご登壇いただきました。

計算機の発展とともに歩んできた気象予測は、量子コンピュータと出会うことでどんな革新が起こるのでしょうか? その未来を想像するべく、トークセッションを行いました。

イベントではお二人の先生からのトークに加え、お互いに対して持ち込んだ質問をぶつけあう「質問合戦」や、参加者のみなさんがトークを聞いたうえで考えた質問に回答していただく「Q&Aセッション」の時間も設けました。

当日は多くの大人の方にご参加いただき、中には気象に詳しい参加者の方もいらしていたためか、先生方をうならせる質問を数多くいただきました。

今回、何度も登場したキーワードが「ナビエ・ストークス方程式」。これは流体の運動を記述する方程式で、気象予測の計算においても重要な役割を果たしています。当日の嶋田先生の言葉をお借りすると、この方程式は「人類が計算したい方程式におけるラスボス」であり、これを完璧に解くことができれば気象予測をはじめとするさまざまな分野で革新が起こるとされています。この方程式を量子コンピュータが計算しやすい形にうまく翻訳することができれば、ラスボスを倒すことができるかも……といった未来の姿が、今回のイベントから垣間見えました。

お二人の先生にはイベント中、多くの質問にご回答いただきましたが、時間の都合で全てにはお答えしきれなかったため、イベント終了後に残りの質問に対しての回答をいただきました。以下にご紹介しますので、イベントの動画と合わせてご覧ください。

延長戦スタート

前山:

残りの質問にご回答をいただきたいです! よろしくお願いいたします。

質問1
地球全体の気象モデルを量子ビットで表現することについて教えてください。

前山:

量子ビットで地球上の気象を丸ごとシミュレーションするということですね。これ、実際にやっている人がいるのでしょうか?

 

嶋田先生:

いえ、今やっている人はいませんね。でも、理論上は「いつでもできる」と言っていいレベルです。普通の数値シミュレーションって、地球を細かいメッシュ(格子)に区切って、その一つひとつに温度や風速といった「物理量」を割り当てるんです。その膨大なデータをもとにしたシミュレーションの時間経過を追いかけていくのが、これまでのやり方でした。これが量子コンピュータになると、もっと楽になります。量子ビットはそれぞれが表現できる情報量が多いので、膨大なメッシュのデータもそのまま「書き込む」ことができてしまいます。

 

前山:

それだけ聞くと、すぐにでも実現できそうですが……。

 

嶋田先生:

いや、問題はそこからなんです(笑)。量子ビットにデータを書き込むのは簡単ですが、そのデータを「どう動かすか」が問題です。気象予測は平たくいえば空気という流体の計算であり、流体の動きを計算するなら、本来は 「ナビエ・ストークス方程式」 というルールに従って計算したい。でも、量子ビットたちが元々従いたいのは、自分たちのルールである 「シュレーディンガー方程式」 なんです。

 

前山:

流体という大きなスケールのものと、量子というミクロなスケールのものでは、計算するのに適している物理法則がそもそも違うと。つまり、「ミスマッチ」が起きるわけですね。

 

嶋田先生:

その通りです。量子ビットに「君たちはナビエ・ストークス方程式に従うんだよ」と思い込ませなきゃいけない。こっちの意図は流体計算なのに、相手は量子力学で動こうとする。この「思い込ませる」ためのアルゴリズム構築が、もう超絶に大変なんです。

 

前山:

かなり奥が深い話なんですね……!

 

嶋田先生:

でも、みんながナビエ・ストークス方程式を気にする世界は素敵だと思います。

 

隈先生:

「ナビエ・ストークス」、流行語になったりしないかな。(笑)

 

前山:

お笑い芸人さんがネタに入れてくれたりとか、あったらいいですよね。(笑)

質問2
日時や場所をしぼって詳しい予報を出してもらうことは量子コンピュータでできますか?

前山:

例えば運動会や遠足のために、日時や場所をピンポイントで予測することは量子コンピュータなら可能でしょうか?

 

嶋田先生:

それは量子コンピュータの問題というより、まず「気象予測モデルがその域に達しているか」の問題ですね。ただ、計算機の能力だけでいえば、量子コンピュータにとってメッシュを細かくすることはそれほど高いハードルではありません。

 

隈先生:

場所と時間、どちらもピンポイント予測は非常に難しいです。予測するには、膨大な計算量と同時に、圧倒的に「観測データ」が足りないです。データがなければ、どんなに速い計算機でも予測はできません。ただし風や空気の動きに関しては、細かい地形データ(建物や峠の形など)を入れれば、地形の影響に関する予測を良くできる可能性があります。例えば関東平野の細かな地形を表現できるくらいまで分解能を上げていけば、東京周辺の気温の予測ももっと良くなると思います。

 

前山:

具体的にはどれくらいの細かさが必要ですか?

 

隈先生:

理想的には山地のいろいろな峠とかを表現できるぐらいのモデルですね。5キロとか10キロ四方だと、そのあたりの精度が落ちてしまうので、それよりも細かいモデルが必要だと思います。

 

前山:

なるほど。では、もう一方の長期的な予報についても、やはり難しいでしょうか?

 

隈先生:

そうですね。数ヶ月先のある日の天気を知りたいというのは、カオス理論(ごくわずかな初期値の違いが、将来的に予測不可能なほど大きな変化を生むこと)の観点からも原理的に不可能に近い部分があります。そういったニーズは実際にありますが、どれだけコンピュータが進化しても、できないものはできません。そこは諦めるしかありませんね(笑)。でも3ヶ月先の7月の天候を確率的に予測するような技術はいまよりも進歩すると思います。

 

嶋田先生:

やはり最後は「カオスの壁」ですね。計算能力の問題ではなく、自然現象そのものの複雑さが限界を決めているということでしょう。

ひとつひとつ、じっくりと目を通していただきました
質問3
量子コンピュータは今のパソコンのように一般の人にも利用できるようになりますか? 使うためには専門的なスキルが必要になるでしょうか?

前山:

量子コンピュータを動かすには、やはり専用の難しいプログラミングが必要なのでしょうか?

 

嶋田先生:

今はPython(パイソン)というプログラミング言語が主流ですね。AI開発などに携わっている人なら、それほど大きな壁は感じないはずです。ただ、スパコンと連携させるとなると話は別で、Fortran(フォートラン)といった科学計算に用いられる言語が必要になってきます。

 

前山:

スパコンではPythonを使わないのですか?

 

嶋田先生:

Pythonよりも、スパコンの性能を最大限引き出せる言語がFortranなので、スパコンの利用者たちはそちらを使います。

 

隈先生:

Fortranは伝統的な言語ですが、最近使う人は減っている印象でした。

 

嶋田先生:

たしかに絶滅危惧種かもしれませんね。でも、量子コンピュータの専門家とスパコンの専門家が同居する研究では、スパコン側はFortran、量子側はPythonを使いたいわけですが、結局はスパコン側の作法に寄せていくこともあります。

 

隈先生:

Fortranが勝っているんだ(笑)

 

嶋田先生:

そうですね。今はスパコンが最大限実力を発揮できることを優先していますね。

 

前山:

そういったプログラミング言語を、いずれは誰もが扱えるようになるのでしょうか?

 

隈先生:

私たちが量子コンピュータを直接動かすプログラムを書くのは非常に難しそうですよね。なので、AIが仲介する形になるのではないでしょうか。「こういう計算をして」とAIに頼むと、AIが量子コンピュータ用のプログラムを書き、量子コンピュータに問い合わせて、答えを返してくれる。そういうことができれば、誰もが気軽に使えるようになりますよね。

 

前山:

気軽に人間の言語でお願いする感じですね。

 

嶋田先生:

そうですね。実際、プログラミングのありようは今まさに変わりつつありますもんね。

 

隈先生:

「スパコンと量子コンピュータ、両方で計算して結果を比較して」なんて指示が簡単に出せるようになると面白いですね。

質問4
AIと人間の関わり方について考えていることはありますか?

前山:研究者にとって、AIはもはや「仕事のパートナー」と言える存在ですか?

 

嶋田先生:

いや、僕はもっとドライに「文房具」だと思っています(笑)。最近は研究者仲間もみんな使っていますよ。例えばメールへの返信内容を考えてもらったりとか。

 

前山:

単純な事務作業においては、やはり効率は劇的に変わりますか?

 

嶋田先生:

本当に、事務作業の多い場所ほど便利ですよ。もちろん、AIに丸投げしてチェックしないわけじゃないです。「こんな感じで書いて」とプロンプトを指示して、出来上がったものに目を通す。フリーハンドで一から書く必要がないというだけで、劇的に楽になります。

 

前山:

「もう一人の自分がいる」という感覚に近いのでしょうか。

 

嶋田先生: 理想はそこですね。今は「文房具」と言っていますが、実際のところは「優秀な部下」に近いかもしれない。メールアプリと連携させて、AIが僕の過去のメールをスキャンして「あの時なんて言ってたっけ?」という探し物もしてくれる。指示一つで要約までやってくれますからね。

 

隈先生:

一方で、研究者の間では不安の声はありますよ。研究者同士のコミュニケーションも、AIのエージェント間で勝手に進められるようになってしまったら?と。

 

前山:

AIに取って代わられてしまう職業がよく議論になりますが、気象予報士などはどうなるでしょうか?

 

隈先生:

実はAI気象予報がやっていることって、昔の予報官が手書きで天気図を書いていた頃のプロセスと、本質的にはすごく似ているんです。昔の予報官は、「昨日はこうで、今日はこう。自分の経験上、こういうパターンの時は低気圧がこう動くはずだ」と、過去の膨大な経験に基づいて明日の図面を引いていました。AIも全く同じで、過去数十年分の気象データを学習して、「このパターンなら明日はこうなる」と予測を出します。

 

前山:

やっていることは、人間と同じなんですね。

 

隈先生:

そうなんです。ただ、圧倒的に違うのはその「記憶力」と「空間認識」ですね。人間が一生かけて覚えられる経験値には限界がありますが、AIは何十年分ものデータを一寸の狂いもなく完璧に学習できます。しかも、気象は複雑な「立体構造」ですが、AIはその3次元の動きを丸ごと把握してしまう。正直、このデータの処理能力に関しては、もう人間は到底かなわない領域にきていますね。

 

前山:

それでは、予報の現場から人間はいなくなってしまうのでしょうか?

 

隈先生: いや、そこが面白いところで。AIのおかげで予測の精度は劇的に上がりますが、最後はやっぱり「人」だと思うんです。AIが弾き出した高精度な情報を、最終的なユーザー(一般の人たち)にどう届けるか。そこで気象予報士のようなプロフェッショナルの出番がくる。

 

前山:

「伝える」という最後のステップですね。

 

隈先生: ええ。単なる数字や予報データを、どう解釈して、どう生活に役立ててもらうか。情報の「受け取り手」に寄り添って、文脈を添えて伝える。そういった人間ならではの関わり方や活躍の余地は、むしろこれからもっと重要になってくるんじゃないかなと思っています。

 

前山:ありがとうございます。すごく腑に落ちた感覚があります!

さいごに

2026年は量子力学101周年、量子にとっては2世紀目に突入です。私たちは普段意識していませんが、日常には半導体やディスプレイなど量子力学を利用したテクノロジーが溢れています。そして量子コンピュータという大きな技術革新の足音も聞こえつつあります。

果たして「量子2世紀」には、どんなイベントが待ち受けているのでしょうか?

次の100年の量子の冒険を、みなさんも一緒に見守ってみませんか?

関連リンク

  • 「量子って、いったいボクらのなんなのさ?#3 気象予測の未来」アーカイブ動画 https://youtu.be/3y-20nmD6CE?si=Waj39oEz4FlnoO_L
  • 「量子って、いったいボクらのなんなのさ?#3 気象予測の未来」イベントページ https://www.miraikan.jst.go.jp/events/202512204319.html


Author
執筆: 前山 凌雅(日本科学未来館 科学コミュニケーター)
【担当業務】
常設展示やイベントの企画を担当し、科学トピックのリサーチや情報発信を行っている。
現在は、2025年4月公開予定の「量子コンピュータ」に関する新常設展示を担当している。

【プロフィル】
大学では地質学を専攻していましたが、たまたま参加した小売業のインターンシップをきっかけにマーケティングや人を惹きつける売り場づくりに興味を持ち、その道に就職しました。その後、売り場だけでなく、幼少期から好きだった「科学館」の展示づくりに携わりたい思いが芽生え、未来館に辿り着きました。
みなさんに楽しんでもらえる「場所」や「仕掛け」を考えることが大好きです!
趣味は国内旅行ですが、ただ地図を眺めているだけでも楽しめるタイプです。

【分野・キーワード】
地質学、マーケティング、量子コンピュータ