
トランプ後も続く「混沌の時代」を見据えて
─ 米トランプ大統領による相互関税は、日本の製造業に大きな影響を与えると見られていますが、どう見ていますか。
工藤 トランプ氏が大統領に就任して相互関税が打ち出されましたが、その渦中の4月10日に我々は経営説明会を行いました。
メディアやアナリストからは当然「トランプ関税の影響はどのくらいありますか」という質問がありましたが、私は「旭化成は日本からの輸出はほとんどないが、買収したアメリカの企業が海外から部品や素材を輸入する際の影響が大きい」と回答し、150~200億円の影響を受ける可能性があるということを示しました。
ところがその後、様々な国や地域の争い、アメリカに対する国際世論の問題などがあり、猶予期間が設けられたり、国によっては関税が下がったり、あるいは追加されたりといった動きがありました。そうするとメディアもアナリストも、影響に関する質問をしなくなりました。
─ この理由は何でしたか。
工藤 聞いてもまた変わりますし、あまりにも不確実性が高いということです。「影響」といっても、定性的にどういう影響があるかという感覚論になってきたと思います。
その中で我々も「トランプ大統領だから」、「共和党政権だから」というより、アメリカは今後変わっていくのだというように認識を改める必要があります。貿易赤字の問題、ドルが基軸通貨であり続けられるか、防衛関連で同盟国・交流国とのつながりを継続できるかといった様々なことが変わってくるタームに来たと見ています。
次期大統領が民主党になるのか、また別の共和党の人になるのかはわかりませんが、どちらにしても、このトレンドは続くのだろうと考えています。
一方、BCP(事業継続計画)の観点で、サプライチェーンの強化、複数購買をどうするか、アメリカでの工場新設・増設などアメリカ国内のサプライチェーンをいかに充実させるかといった施策は、明日明後日にできることではありません。
今の段階から、準備できることは準備すると。トランプ大統領の間、辛抱すればいいという考え方ではなく、こうした状況は続くだろうという前提で取り組み始めています。
─ 今後も、混沌とした時代が続くと。
工藤 ええ。その先にどういう世界が待っているかというのはわかりませんが。問題は、基軸通貨としてのドルがどうなるかです。貿易赤字を大胆に減少させるという意志が強ければ、逆に基軸通貨の立場は徐々に危うくなる可能性はあります。
トランプ大統領が最も問題視しているのが貿易赤字だというのが大方の見方ですし、私もそう思います。そう考えると、アメリカ国内生産を含め、相当大きく変えていかなければならないのではないかと思っています。
─ 厳しい環境下ですが、しなやかに、したたかに乗り切るということですね。
工藤 そうですね。旭化成は昔から「ダボハゼ経営」、「芋づる経営」、「多角化経営」などと言われてきました。そして今もヘルスケア、住宅、マテリアルの「3領域経営」を進めており、多くの事業を持っています。
ですから過去、先輩方がやってきたように我々のポートフォリオを変えながら、その成長機会をうまく使って、しなやかに成長を遂げていく。環境的には非常に厳しいですが、中長期的には、我々がやってきたことは間違っていないということを証明できるチャンスでもあります。
─ 3領域経営はバランスが取りやすい?
工藤 バランスは取れます。ただ、3領域それぞれが成長して初めてバランスが取れますし、どこか1領域だけが成長しても成長機会が限られます。それぞれが自立しながら、経営資産、経営基盤を縦横無尽に使って独自の成長を遂げていくのが、あるべき成長です。成長と安定を両立させる経営が、我々としては重要だと思います。
営業利益はV字回復も、あくまで「途中経過」
─ 社長就任から3年ですが、振り返っていかがですか。
工藤 2022年度はコロナ禍、インフレの影響もある時でした。そして我々が強い気持ちでM&A(企業の合併・買収)をしたポリポアというセパレーターの会社の業績が厳しく減損を計上しました。ですから22年度は20年ぶりに純利益が赤字に陥った年です。そこから新たな中期経営計画、社長1年目がスタートしたということです。
─ そこを乗り越えて、前期は増収増益となりましたね。
工藤 24年度は営業利益ベースでは過去最高の利益となりました。22年度が1200億円台、23年が1400億円台で、前期が2119億円でしたから、V字回復ということになります。
ただし、これは6年ぶりの最高益更新で、18年は2096億円でした。ということは6年経って変わっていないということです。我々は今、非常に厳しい環境から成長軌道に回帰させているところですから、「やったぞ、過去最高益だ」とは全く思っていません。これからさらに成長させる途中経過だと考えています。これからが勝負です。
─ 厳しい状況もあったと思いますが、嬉しかったことはありますか。
工藤 嬉しかったことは、正直あまりないのですが、ただ、22年度は非常に厳しい中でも営業利益は黒字でした。旭化成は営業利益で赤字になったことがないんです。
私が入社した後も、バブルが弾けた後の時代など苦しい時もありましたが、それでも乗り越えて順調に経営してきたわけですが、その中でも22年度は非常に厳しかった。
特に旧ケミカル、マテリアル領域の利益が打撃を受けました。この領域は旭化成のルーツでもある事業ですが、ここが最も厳しい環境になったことで、社員も危機感を持ってくれました。何としても成長しよう、もう一度、強い旭化成になろうという気持ちになってくれました。
私は旭化成の工場を回ってタウンホールミーティングを年間30回ほど開いていますが、この1、2年で従業員の顔つきが変わったことを実感として感じ取れるようになってきました。そうした表情を見て、そして議論を深められたことは非常に有意義でした。
─ 工藤さんから見て、伸びている社員はどういうタイプですか。
工藤 入社して10年経った頃から見えてくるのだと思いますが、その頃になると自分の思ったような道を歩んでいることはほとんどありません。人間関係でもビジネスでも、どこかで挫折を経験しています。その時に、自分の失敗した話を噛み締めながら、今の自分がどう成長してきたか、今後どうやりたいかを語ることができる人は、将来かなり期待できる人材ではないかと思います。
EVの成長率予想が低迷、セパレーター事業はどうなる?
─ ところで、24年にカナダでリチウムイオン電池用のセパレーター工場への投資を決めましたね。トランプ政策の影響も含めて、今後どう取り組んでいきますか。
工藤 タイミング的には一番いい時期に投資を決定できました。稼働は27年後半くらいですから、そこに合わせて意思決定をしたわけです。
EV(電気自動車)の成長率が、投資決定をした時に比べると相当低い状況になっていますが、我々はバイデン政権時に行われていた市場調査で出たEVの成長率は相当高すぎるのではないかと見ていました。成長率見通しよりも2~3割落ちても、我々に勝算があるかを検討した結果、投資を決定したわけです。
─ 保守的に見積もっても勝算があると。
工藤 ええ。元々、市場見通しよりも需要が減る前提にしていましたから、そこは慌てていませんが、さらに需要が減るリスクもあるわけです。ですから我々が想定しているホンダさんを始めとする日系自動車メーカー、日系電池メーカーだけでなく、日系以外のところもチャンスがあればと考えています。
もう1つ、EVの成長率が予想よりも低く、トランプ関税、米中デカップリング問題もあり、セパレーターのサプライヤーで積極的に北米に進出するところがあまり見当たらないんです。旭化成はすでに工場建設をスタートしていますから、日系企業以外からのお声がけに加えて、競合相手からも一緒にできないかという話が来ているんです。
我々として、どう戦略的に進めていくか、慎重に検討する必要があります。どういう進め方に勝ち筋があるのか、収益性が高めるための施策は何かを検討している最中です。
─ 混沌状況だからこそ、つながりも含めて様々な動きが出てきたということですね。
工藤 社内でも「危機バネ」が効いて、セパレーターをマネージしている組織全員が社内に相当人脈を広げており、また、日本政府、アメリカの電池業界などに人脈を深く築くことができています。ですから、この周辺情報については、おそらく世界でも当社が最も多く持っているのではないでしょうか。
今後、提携やM&Aなども戦略的に使っていく必要性が、今まで以上に高まっています。逆に言うと、その巧拙が会社の将来の勝ち負けに相当なインパクトを与えると思います。
3領域それぞれが「独自性」を追求
─ 改めて「3領域経営」の良さ、課題を聞かせて下さい。
工藤 3領域経営の中で、例えばマテリアル領域でも、様々なことを手掛けており、ニッチなビジネスも多いんです。その中で我々のライバルは、いわゆる「ピュアプレイヤー」が多いんです。製薬ビジネスであれば、ライバルは製薬メーカーが中心ですし、住宅の「ヘーベルハウス」でも専業ハウスメーカーがライバルになります。
我々は専業と競争して、独自性を持ったユニークな製品、サービスを供給し続ける義務があります。3領域経営であり、競合が専業であるがゆえに、旭化成の「独自性」を徹底的に追求する必要があるわけです。
ヘーベルハウスは創業から50年以上が経ちましたが、立ち上げ当時は資金がありませんでした。しかし「人」はいましたから、徹底的に効率を追求することから始まりました。都市に集中し、土地を買わず、付加価値のある戸建て住宅のビジネスからスタートし、ブランド価値を高めてきたのです。業界内に独自のポジションを占めていると自負しています。
また、医薬も昨年カリディタス社という腎疾患の治療薬に強い企業を買収しましたが、疾患領域を徹底的に絞り、グローバルに展開できる薬に集中しています。「グローバルスペシャリティファーマ」を標榜していますが、これも旭化成らしさです。
─ 事業に他社とは違う付加価値を付けていくと。
工藤 そうです。ただ、3領域のうちマテリアル領域が石油化学を中心に厳しい状況にあり、旭化成らしさを発揮できていません。どの技術、ビジネスを強みとしてやっていけるかという意味で、構造改革が極めて重要です。
3領域それぞれが独自性、ユニーク性を持ち、収益性の高い領域経営を築く。その土台が人材、無形資産、知的財産、DX、カルチャー、ブランドということにつながってくると思います。
─ 人材や技術など、自らの強みを活かしていくということですね。
工藤 もう1つ、我々の強みは全部、自分たちで立ち上げた事業だということです。一部、住宅や医薬でM&Aも行っていますが、元は旭化成という会社の名の下にゼロから立ち上げています。
ですから、各事業には旭化成で採用された人間が行っていて、カルチャーが自分たちの体に染み付いていますから、人材交流も含めてスムーズなんです。他社と比較した時に、この差は大きいと思います。
─ 改めて、旭化成らしさを言葉にすると?
工藤 旭化成は健全な危機感を持ち続けており、その気持ちが自らを強くしようとする姿勢や、新たなことにチャレンジする原動力になっています。それが旭化成らしさではないかと思います。