大阪大学(阪大)は10月4日、スーパーコンピュータ(スパコン)を用いて、数億光年にわたる大規模な領域の宇宙論的スケールにおける構造形成の進化に関する宇宙論的シミュレーションを実施した結果、「ライマンアルファの森」の「バリオン音響振動」のピークのシフトを統計的に高い精度で発見したと発表した。

同成果は、スイス・ジュネーブ大学のフランチェスコ・シニガーリア氏を論文筆頭著者とし、阪大大学院 理学研究科の長峯健太郎教授、奥裕理大学院生(現・中国・浙江大学 博士研究員)らも参加した国際共同研究チームによるもの。詳細は、米天体物理学専門誌「The Astrophysical Journal Letters」に掲載された

宇宙の全エネルギーの内訳において、生物や星などを形作る、観測可能な通常物質(バリオン)は5%ほどにすぎない(残りの約70%がダークエネルギー、約25%がダークマターとされている)。全体としては少量だが、重要な存在であり、初期宇宙におけるバリオンとプラズマの振動現象である「バリオン音響振動」(BAO)を用いた宇宙論的スケールの探査手法も存在している。

同手法では、BAOの波の痕跡が銀河やガスの分布に影響を与えることで、銀河同士の平均距離に特徴的な「BAOスケール」が生じるという。同スケールは宇宙論モデルで計算できるため、銀河分布の観測と比較すれば、宇宙の膨張速度やその歴史を詳しく知ることが可能であり、その精度と信頼性から、宇宙における「標準的物差し」として機能し、観測データから宇宙論パラメータを測定するために広く用いられているという。そこで研究チームは今回、遠方宇宙にある「高赤方偏移クェーサー」のスペクトルに刻まれた一連の吸収線であるライマンアルファの森を宇宙論的シミュレーションを用いて計算することにしたという。

クェーサーからの光は地球に届くまでにいくつもの中性水素の雲を通過し、エネルギーが吸収される。その結果、クェーサーのスペクトルに吸収線が生じることとなるが、ライマンアルファの森は、その吸収線がいくつも重なって、複雑な森のような形状になっていることを指すもので、これを調べることは、遠方宇宙におけるバリオンの分布を調べるのに役立つとされている。

今回の研究では、2つの異なるタイプの宇宙論的シミュレーションが用いられた。1つは、星形成や超新星爆発フィードバックの効果も加えられた演算をスパコンで行う「宇宙論的流体シミュレーション」。もう1つは、「ラグランジュ的摂動論」を用いた高速シミュレーションで、こちらはノートPCを用いて5分足らずで実行できるが、事前に宇宙論的流体シミュレーションを用いて比較較正をしておく必要があるという。

研究チームによると、宇宙論的な大きな体積をそれぞれカバーする1000個の高速シミュレーションが実行され、それを平均化して統計的誤差を抑えたことで、中性水素分布からBAOのピーク位置のシフトが検出されたという。これは線形理論の計算結果に対する微小(数%)な負のシフトで、ライマンアルファの森を生じるガス雲が、銀河間空間の比較的密度が低い領域に存在することと関連しているという。また、今回のBAOシフトの検出については研究チームでは、「ボイド」(宇宙の大規模構造における銀河や銀河団が少ない、もしくはほぼ存在しないような空洞の宙域)に関連した先行研究における知見に基づいたものとしている。

BAOは宇宙論にとって基礎的な測定であり、バイアスのない測定を行うためには、潜在的な系統的効果を理解し、考慮することが不可欠とされる。そのため、BAOの理論的理解を深めることは、大規模銀河サーベイのデータを精確に解析するために重要とされるが、これまでライマンアルファの森におけるBAOは、この微妙な効果を考慮せずに解析されてきたという。しかし観測データの精度が上がったことで、現在はこの効果をより正確に扱う必要が出てきたと研究チームでは説明しており、今回の成果によって、今後はさらに精確な宇宙論パラメータを測定することが可能になるとしている。

なお、研究チームでは今後、今回発見したBAOシフトをさまざまなシナリオのもとでさらに特徴づけ、BAOからシフトを除去し、BAOピークの幅を縮める枠組みを開発する予定だとするほか、現在は全天をカバーする何百もの大規模なライマンアルファの森の模擬カタログを作成しているという。これらの新たに同定された効果を組み込んだ模擬カタログは、次世代の大規模観測プロジェクトの標準となることが期待されるとしているほか、今回の成果により、宇宙の大規模構造の進化に関する理解が深まり、ダークマターやダークエネルギーなどに関する宇宙論パラメータをより精確に導出することが可能になるとしている。

  • いくつものBAOを重ね合わせて作成された概念図

    いくつものBAOを重ね合わせて作成された概念図。ある特定のBAOピークスケールにおいて密度が高くなっている(明るい部分)ことがわかる (出所:阪大Webサイト)