大手日用品メーカーライオンは、創業以来取り組んできた「習慣づくり」を見直して、「より良い習慣づくりで、人々の毎日に貢献する(ReDesign)」をパーパス(存在意義)として掲げている。さらに、これを起点とした中期経営戦略「Vision2030」を策定している。

  • これまで100年以上、口腔衛生の啓発に取り組んできたライオンがDXで狙う次の一手とは?

そうした中で、同社がこれまでに蓄積してきた口腔健康データを活用して事業変革を先導するとともに、業務の効率化や生産性の向上を目指して、2021年1月にDX(デジタルトランスフォーメーション)推進部が発足した。デジタルテクノロジーを活用して同社の業務改革を担うDX推進部の2人のメンバーに、ヘルスケア業界のDX導入のコツとデジタル人材活用のすべを聞いた。

DX推進部の取り組みとヘルスケア業界全体でのDX導入について話してくれたのは、同社のDXをけん引するDX推進部長 黒川博史氏だ。

  • ライオン DX推進部長 黒川博史氏

--DX推進部を設立した経緯について教えてください

黒川氏: 当社は2019年頃から研究開発本部内にデータサイエンス室を設置して、データ分析に取り組んできました。当社の強みとしてオーラルケアが挙げられますが、毎日の歯磨きをはじめとした健康情報をデータ化して、より良い習慣づくりを全社的に目指しています。

研究開発本部の業務を通じて、データ分析のための知見が蓄積されてきていましたので、「習慣を科学する」をキーワードに全社横断的な組織を作ろうということで2021年1月にDX推進部が発足しました。研究開発本部が母体となっているので、データサイエンティストが多く所属しています。

DX推進部のミッションは、デジタルテクノロジーを活用して当社グループ全体の業務活動の変革を先導し、他社様や生活者の皆様の習慣を変えていけるようなプロダクトおよびサービスを提供することです。当社のDX全体を担っているので、データ分析だけではなく業務の変革にも取り組んでいます。

DXは「攻め」と「守り」に分けて考えられることが多いですよね。当社でもその2つの面でDXを進めたいと思っています。攻めのDXとしては、よい習慣づくりを提供するためのサービサーとして、新たな顧客接点や価値の提供を目指しています。一方で、守りのDXとしては、AIやデータを活用した業務効率化や生産性向上に取り組んでいます。

当社の中期経営戦略「Vision2030」に対して、DX推進部では2つのテーマを掲げています。1つ目は持続的に成長するための体質づくりです。ヘルスケアデータの活用やAI技術を用いた業務変革によって、組織の風土や基盤を変えることで、目指す姿やそのロードマップを全社に浸透させていきたいです。

もう1つのテーマは、オーラルヘルスケアの実装です。当社の事業の中心であるオーラルケアをさらに進化した考え方として、オーラルヘルスケアを設定しました。歯磨きなど口腔の健康に関わるデータを活用して、生活者一人一人にパーソナライズされた健康サービスを提供する狙いです。

--DX推進部にはどのような経歴の方が所属しているのですか

黒川氏: さまざまなメンバーがいます。データサイエンティストはもちろんですが、生産部や情報システム部から移動してきた社員や中途入社の社員など、経歴はさまざまです。データ分析の専門家だけではない、多様なスタッフで構成されています。

私たちDX推進部は「翻訳家」だと思っています。そして、この翻訳家の役割は大きく2種類に分けられます。1つ目は人間の言葉を機械の言葉に翻訳するデータサイエンティストです。もう1つは、社内の課題をどのようにデジタルで解決していくかを人間の言葉で翻訳するデジタルナビゲーターです。ある課題に対して適切なツールを選択して、データ分析を行ったうえで実際の業務に落とし込むために、デジタルの専門用語を翻訳してくれるスタッフですね。

--DXを取り入れた業務の取り組みの例について教えてください

黒川氏: AIを活用したハミガキのフレーバー開発があります。当社の歯磨きのフレーバーはミントを中心に組み合わせているのですが、その味と香りにこだわるために、専門のチームが北米に買い付けに行っています。その後、全部で500種類程度ある原料の中からフレーバリストと呼ばれる調香士が、よりおいしい味の組み合わせを探していきます。

熟練のフレーバリストとして活躍するためには豊富な経験が必要であり、育成に10年以上かかることもあります。そこで、熟練のフレーバリストが持つ知識や経験をデータ化して、当社のノウハウとして蓄積できないかと考えました。限られた開発期間の中で適切な調合を探すためには、AIの活用が必要だと思ったのです。

AIを活用するために、当社では3つのデータを持っています。1つ目は約500種類の原料の特徴を数値化したデータベースです。2つ目は過去の処方(レシピ)の調合をリスト化したデータベースです。3つ目が処方を作るための思考や判断を言語ネットワーク化したもので、「ブレインモデル」と呼んでいます。この3つのデータをつなぐことで熟達者の技術をAIで活用しています。

将棋を指すAIが話題になりましたが、AIは時に人間には思いつかなかったような一手を示してくれる時があります。当社でも、フレーバリストが思いつかなかったような組み合わせの処方をAIが提案してくれたことで、新しい発見になったという事例がありました。さらに、実証実験の段階では開発期間を約50%短縮できたという報告もあります。

--ヘルスケア業界全体で考えた時に、DXを推進する上で何が必要でしょうか

黒川氏: 私たちがDX推進部を立ち上げる際、海外の事例をたくさん探しました。私は、日本と比較して海外でDX導入が進んでいる要因は、人材の流動性だと考えています。海外では会社間での人材が流動的であり、非競争領域ではお互いに情報を共有して、デジタル活用を業界内で広げている印象を持ちました。

対して日本は、海外と比較すると人材の往来があまり活発ではありません。しかし、各社が抱えている課題が似ていることはよくあります。そこで、さまざまな会社での情報共有が必要だと考えています。社内でのデータのサイロ化が問題になることがありますが、会社間ではさらにサイロ化が進んでいます。

そこで、私たちは他社様のDX担当の方たちとの対話を積極的に進めています。私たちの成功事例を紹介することもありますし、困っていることを相談することもあります。人材が流動的にならない代わりに、各社がお互いの事例や悩みを共有して業界内に成功事例を広げていくことが、グローバルと戦うための1つの方法ではないかと思います。

当社は2020年に副業が解禁になりました。副業人材の受け入れも同時に開始しましたので、中に入ってくる社員も増えています。有用な技術を素早く導入する際には社内の人間だけでは対応しきれないことも多く、当社で副業している社員やフリーランスのエンジニアの力を借りています。このような事例を増やすことで、業界全体でDXの導入を進めていけたらと思っています。