国際電気通信基礎技術研究所(ATR)、日本医療研究開発機構(AMED)、科学技術振興機構(JST)の3者は8月3日、脳の価値判断に関わる領域において「抽象化思考」が行われていることを実証したと発表した。

また、fMRIとAI技術を組み合わせて、対象とする脳領域に特定の活動パターンを誘導する「デコーディッドニューロフィードバック」技術を用いて、抽象化された情報に対応する脳活動に人工的に価値を付加することで、抽象化思考の使用を促進させることに成功したことも合わせて発表された。

同成果は、ATRのAurelio Cortese氏(英・ロンドン大学(UCL)と併任)、同・山本明日翔氏(奈良先端科学技術大学院大学と併任)、同・川人光男氏(理化学研究所 革新知能統合研究センターと併任)、加・アルバータ大学のMaryam Hashemzadeh氏、UCLのPradyumna Sepulveda氏、同・Benedetto De Martino氏らの国際共同研究チームによるもの。詳細は、生物学と医学を扱う学術誌「eLife」に掲載された。

ヒトの脳が得意とする機能に「抽象化」があるが、これまで、脳が感覚情報から抽象化思考を構築する仕組みを科学的に実証した研究はなかったという。その理由は、これまでの実験では、複雑な課題や刺激を用いていたため、個々の課題の特徴を追うことができなかったためだという。

そこで今回は、有名なゲームキャラクターを用いて、どちらの果物が好きなのか、それはどんな規則に基づいているのかという連合学習課題を33名の参加者に実施。そのときの脳活動を機能的MRI(fMRI)で計測するという実験により、脳が視覚などの感覚情報からどのようにして抽象化思考を作り出すのかという謎へのアプローチが行われた。

このキャラクターは、実際のゲーム中のように黄色一色ではなく、3種類の、赤か緑の「色」、縦縞か横縞の「線」、そして左右どちらかの「口の向き」という視覚的要因から構成されている。

  • 抽象化思考

    連合規則学習課題。実験参加者は視覚的要因と果物の関連規則を学習する。(A)どちらの果物をキャラクターが好んでいるかを聞く画面。(B)キャラクターを構成する3つの視覚的要因と果物の組み合わせの一例。参加者は色、模様、口の向きと果物の組み合わせを学習。ただし、実際には2つの視覚的要因からのみでキャラクターの好みを予測でき、もう1つの視覚的要因は無関係(点線内が意味のある2つの視覚的要因) (出所:JSTプレスリリースPDF)

実験はブロックに分けて行われ、各ブロックでは、ランダムに決められた2つの視覚的要因だけが規則を学習する上で意味があり、3つ目の視覚的要因は無関係となるように設定された。ただしこの設定は参加者には知らされず、早く学習すればするほど、より大きい金銭報酬が得られることだけが伝えられた。

視覚的要因を3種類としたのは、判断する手法を2種類用意するためだという。1つは、利用可能な3つの視覚的要因をすべてて使って判断する「時間がかかる」手法で、もう1つは、意味のある2つの視覚的要因のみで判断する「抽象化思考」を使用する「早くできる」手法で、このどちらかにしたがって解くことが可能だという。

また実験の参加者は、各課題の最後にタスクをうまくこなせたかどうかという確信度の度合いについても尋ねられ、1(自信がない)~10(自信がある)の10段階の数値を用いて回答が行われた(これらの問題を解く間、fMRIで脳活動も記録された)ほか、参加者がどのような手法を用いてタスク問題を解決したかを理解するために、報酬だけを手がかりに教師なしで、試行錯誤から学習が可能な強化学習モデルがコンピュータ上で設計・実装され、比較も行われたという。

まず、参加者がどのようにして正しい規則を学習したかを明らかにするために、「特徴モデル」と「抽象化思考モデル」という2つの単純なモデルが用いられ、あるブロックで参加者がどのモデルを使う可能性が高いかの判断が行われ、その検証の結果、課題をたくさん解けば解くほど、「抽象化思考モデル」を使う傾向が強くなることが明らかになったとするほか、金銭的価値への期待が抽象化思考の選択へ導くことがわかったとしている。また、参加者の確信度(自分自身の心的な能力や認知過程を監視する「メタ認知能力」の重要な要素)は、抽象化思考の能力と正の相関を示したとする。

  • 抽象化思考

    抽象化思考と強化学習モデルの関連。(A)「特徴モデル」と「抽象化思考モデル」の違い。(B)課題数と強化学習モデルの関連。課題の前半(Early)から後半(Late)にかけて、抽象化思考のレベルが上がっている。(C)確信度と抽象化能力の関連。確信度と抽象化思考の能力は正の相関が確認された (出所:JSTプレスリリースPDF)

さらに、今回の研究からは、報酬を期待する意思決定に大きく関与している脳の領域「腹内側前頭前野」(ventromedial prefrontal cortex:vmPFC)が、新しい価値信号を構築する際に、視覚野と機能的につながっていることを示すことにも成功したほか、参加者が抽象化思考を用いたときにも、vmPFCが優先的に使われることを確認し、これらの結果から、vmPFCは、(この課題ではコンピュータの画像を使用したため)視覚情報について価値信号が構築され、抽象化思考の過程でこの価値信号が使用されることが判明したとする。

  • 抽象化思考

    (A)価値信号を構築する際のvmPFCと視覚野の機能結合。(B)vmPFCは抽象的な戦略を用いるときに活性化する(海馬(HPC)との比較) (出所:JSTプレスリリースPDF)

そこで、具体的にどのようにして価値信号が抽象化思考の生成に使われるのかの調査を実施。具体的には、ATRが開発したfMRIと人工知能技術組み合わせ、対象とする脳領域に特定の活動パターンを誘導する「デコーディッドニューロフィードバック(DecNef)」技術を活用することで、脳活動の調査が行われた。

  • 抽象化思考

    デコーディッドニューロフィードバック(DecNef)の模式図 (出所:JSTプレスリリースPDF)

その結果、参加者は抽象化規則に「関連する」特徴が強化された場合にのみ、抽象化思考の使用が増加することが確認され、研究チームでは、この結果について、vmPFCとその視覚野とのつながりが、価値を期待する信号を通じて抽象化思考を構築し、それが感覚野のトップダウン制御として実行されていることを示す証拠となるとしている。

  • 抽象化思考

    DecNefトレーニングの前後比較。DecNefにより価値付けされた特徴のある(「関連する」)ブロックの方がより抽象化思考が用いられている (出所:JSTプレスリリースPDF)

今回の成果について研究チームでは、ヒトが抽象化思考を用いて学習する際に、脳内の価値付けメカニズムを用いることの実証に成功したとする一方で、この領域は、情報の構造や新しい概念の学習にも深く関わっており、価値判断と抽象化思考が関連していることも明らかにされたことから、今回の研究は、そのような2種類の異なる研究を統合するものであり、vmPFCの計算は関連する情報を選択し、抽象的・概念的な表現を構築するために金銭的価値が必要な場合に行われるということが示されたことから、価値付け・抽象化思考・学習についての新しい考え方につながることが期待されるとしている。