カプセル回収現場の様子

回収チームとしてカプセルを出迎えた月・惑星探査プログラムグループはやぶさプロジェクトチーム教授の國中均氏は、カプセル回収後の14日夜の会見において、「(地球再突入による)火球の発生は当然」としながらも、「その後のビーコンの発信。ここを心配していた。高度200kmから再突入をし、パラシュートが開いてビーコンが発せられるまで2~3分。その間が永遠のように感じた」とその瞬間を振り返る。

6月14日の日本時間20時過ぎから開始されたはやぶさの地球帰還に関する最後の会見。モニタ上に写っている左から2人目が國中均教授

また、回収現場に赴き、カプセルを見た様子について、「接近した状態では非常にきれいだった。外傷は見られず、かつフタには断熱材がついており、熱の影響を受けなかったことが感じられたほか気密性が保たれたままだと思っている。また、母船とのアンビリカルケーブルは切り離しの時に切断されるが、少しだけ出た状態で降下してくる。これは降下時の熱でなくなると思っていたが、若干残っていた。これは背面への熱の入り込みがほとんどなかったことを意味しており、ちょっとすごいものを見たという気がした」とまさに理想的な降下だったことを表現する。

はやぶさのマイクロ波放電式イオンエンジンの開発を担当した國中氏であるが、そのイオンエンジンをあの手この手でここまで活用してきたことについて、「虚仮の一念だけです」とエンジニアとしての意地を語ったほか、運用に関しては「TCM-2以降はオーストラリアに先に来ていたので、チームのみんなに任せてきたが、よく運転してくれたと思っている」とし、「イオンエンジン単体だけを運用できるのであれば、もう1周くらいはしてみて、いけるところまで行ってみたかった」と1人のエンジニアとしての私見を披露した。

ただし、当初の5年間の運用について、「運用が3年延びたということは猶予ができたということ。当初予定の5年間でミッションをこなすのは相当厳しかったと思っている。それは、行きの2年だけでも相当シビアで、少しでも電力をエンジンに回すなどの運用面の努力を行ってきたが、大変苦しい運用だった。そうした中、2005年から2007年で地球に帰ってくるのは非常にタイトだと感じていた」と、むしろ地球帰還が3年間延びたことによってはやぶさは地球に帰還できたのかもしれない可能性を示唆した。

また、母船、カプセルともに地球再突入時に色とりどりの火球となったことについて、「実は窓のない部屋に居たため直接は見てない」としながらも、「詳しい分析をしていないので、詳細はなんともいえないが、映像で色々な光が見え、例えば紫だと残っていた20kg程度のキセノンガスが漏れた色だとか、そういった話をした」と、イオンエンジンに関する想いを交えた説明をしてくれた。

その火球が確認された6月13日、オーストラリアの天候はまさに快晴だったが、「実はここまで快晴だったことはこの2週間なくて、必ずどこかに雲があった。13日の夜だけが快晴で、本当にはやぶさは強運だな、と感じた」とはやぶさが地球に戻ってきた運がここでも発揮されたことを強調した。

また、当初オーストラリアに行くとしていたものの、とんとん拍子に回収作業が進んでしまった結果、JAXA相模原に残っていた川口淳一郎プロジェクトマネージャは、はやぶさを含めた日本の今後の宇宙開発について、「おかげさまで今日の午前中に菅総理から電話があり、プロジェクトチームの人たちには今後も頑張ってもらいたいと言ってもらった。また総理は電話で次代を育てることが重要と強調しており、私もそのとおりを述べた」と、はやぶさで得た知見や技術を引き継いでいく必要性を強調、「はやぶさ2のことが話題に上るが、あれは後継機ではない。ぜひ後継機を作ってもらいたい。今日、運用エリアに行ってみると、電気が消えて人がいない。これは通信が途絶した時以上の暗転。このまま消えると何も残らなくなる。後継者を育てないといけない大きな例を見た。きっちりと世代の交代が行われなければ日本の国にとって大きな損失になる」と語気を強め、より多くの人にそうした必要性を認識してもらいたいとした。