先月、日本でも公開されたマイケル・ムーア監督の「SiCKO」をご覧になりましたか? イラク戦争で傷ついた米兵を医療費原則無料のキューバに連れて行って、治療を受けさせようという奇想天外な発想と、アメリカの保険制度の不備を徹底的に批判したこの映画。全米で大きな反響を呼んだようだ。

私も、88年から92年まで毎日新聞社の特派員としてワシントンDCに勤務した時、米国の医療制度と、高齢者介護のシステムについてだいぶ調べてみたし、いくつかの現場を歩いてみた。理由の一つは、個人的な話なのだが、妻が滞在中、乳がんで手術、入院生活を送ったためだ。検査から入院、手術、退院、アフターケアに至るまでのアメリカ医療システムの素晴らしさをこの目で見ることができた。

ヴァージニア州のこじんまりした医療施設でのささやかな経験なのだが、ここには常勤医はいなかった。町で開業している主治医が、必要な医療関係者を症例に応じて集め、この施設を使って検査、手術などの処置していた。

今では日本でも当たり前になったが、インフォームド・コンセントの丁寧さに感銘した。多くの選択肢を含めて患者との話し合いに十分な時間をかける。「さもないと説明不足で裁判に訴えられるための予防線」という皮肉な説明をする人もいた。そうかもしれないが、何よりも医師と患者との間に「直してやる側」、「直してもらう側」という立場の壁が存在しない所がよかった。

各種検査が終わり、妻の手術方針が決まった時、主治医(エール大学を卒業した若い外科医だった)は患者、家族、麻酔科、免疫療法士、看護婦で編成したチームを前にこんなスピーチをした。「私たちは共通の使命を持って今、ひとつの船に乗り合わせた。ミセス・カワチを先頭にがんと闘い、勝つという使命だ。我々は必ず勝つ。みんなが船長だ。力を合わせて向こう岸に到達しようではないか」。何かフットボール試合前、ロッカールームでの"ゲキ"のようだったが、妻は感激してウルウルとなった。

手術後、たった2日間で退院したがトイレ、シャワールーム付きのホテルのような個室。あまり眺めのいい部屋なので娘たちは一緒に泊まろうとしたほどだった。食事や移動は地域のボランティアがやってくれるから、看護師は本来業務に専念できる。日本の病院生活とのあまりの違いに、私たちは、くらくらする思いだった。

しかし、この「日本では考えられない」治療は、会社と私がフルカバーの保険に入っていたから可能だったのだ。でなければ恐らく数百万円の支払いに迫られたのではないか。アメリカには公的な健康保険制度がないから、国民は、民間保険会社と個別契約を結ぶしかない。逆にいえば、保険金を払ってゆくだけの余裕のない人は"無保険"という、セイフテイーネットのないジャングルを生き抜いてゆかなければならない。

もっとも、年収が1万ドル前後(各州によって基準が異なる)で、個人資産も夫婦で3,000ドル以下の低所得者層にはメディケイドという公的医療制度が適用される。また65歳以上の人を対象とするメディケアという社会保障システムがあり全米で約4,000万人が支給対象者となっている。

問題は、メディケイドの対象になるほど貧しくない、しかし負担の重い民間医療保険に加入できない所得階層の人たちがおよそ5,000万人もいることなのだ。全人口の20%近くが「無保険」という背筋が寒くなるような状態なのだ。無医村ならぬ、診療不可能という世界で、人々は、どんなに不安を抱えながら暮らしているのだろうか、と思った。

ところが日常的に接する人は、余り気にしていないようなのだ。最大の理由は、官公庁と大企業の従業員は、組織が生命保険会社と提携したしっかりした健康保険制度に守られているからなのだ。個人の保険料支払いは税控除が効かないが、法人の保険料負担は税控除出来るから、企業にとっても福利厚生上のメリットがある。退職しても企業健康保険組合の傘の下にいられるから「無保険状態」にならないですむ。やがて65歳となればメディケアの世話になればいい。これが大多数のサラリーマン、公務員の考え方なのだ。

結局、個人営業者、零細農業従事者、アメリカに来たばかりの移民といった人たちと、その子弟が被害者なのだ。しかし彼らは圧力団体を形成するだけのパワーがない。「もう一つのアメリカ」と呼ばれる第三世界が米国内部にあるというゆえんなのだ。

では、高齢者はどのような状況に置かれているのだろう。無論、毎月数万ドルを使える一握りの人々は別だ。私の関心は、ごく普通のサラリーマン夫婦が引退後、どのように暮らしているかに関心があった。(続く)