ちょっと前の話になるが、突然のニュースで永らく記憶領域の隅っこに置かれていた記憶がよみがえり、思わず「おおっ!!」と声を上げてしまった。Infineon社による「Spansion」のWinbond社への売却とブランドの復活だ。オールドファンや当時の関係者の多くの中にも同じ反応を持った方がいらっしゃると察する。
Spansionの歴史を紐解くとAMDと富士通による合弁事業がその始まりである。私は、合弁事業が発表された1993年当時AMDに勤務していて、その成り立ちや、合弁工場設立のいきさつについてはよく承知しているが、Spansion分社後の事情についてはSpansionの趨勢とともに移動せざるを得なかった知人から伝え聞いた話しか知らない。成立してから紆余曲折の後、Winbondへ売却されたSpansionの数奇な運命は、変化の激しい半導体産業の歴史そのものである。
1.Spansion復活までの大まかな経緯
私は、AMDと富士通が合弁でNOR型Flashメモリーの新会社を設立した当時、AMDの日本法人に勤務していた。この合弁会社は設立後にスピンオフしたので、その後のいきさつは会社の推移とともに移動していった仲間からの口伝でしか知らないが、概略は以下の通りである。
- 1993年:AMDと富士通が合弁で(出資はほぼ折半)NOR型Flashメモリーの新会社を設立することを発表。新会社名はFASL(Fujitsu AMD Semiconductor Ltd.)とし、会津若松の富士通の工場の敷地に工場建設を決定(200mmウェハ処理)
- 2004年:製品ブランド名であった「Spansion」に社名を変更
- 2005年:Spansionは分離独立し米NASDAQ市場への新規上場を果たす
- 2006-2009年:NAND型Flashメモリーの携帯電話やデジタルカメラの記憶素子市場への侵攻に押され、劣勢に立たされるも、会津若松では300mm化への積極投資を敢行
- 2010年:技術移行や歩留まり向上で問題を抱え赤字経営に陥るが、2008年に発生したリーマンショックの影響でチップ価格が急落。日米法人の連鎖破綻の結果となった
- 2009年:ジョン・キスパート氏がCEOに就任。ターゲット市場を車載・産業機器の組み込みアプリケーションに絞り、自力再生を成功させる
- 2014年:Cypress社との対等合併を決定、合併した会社はCypress Semiconductorに統一されたのでSpansionブランドは市場から消滅
- 2019年:ドイツのInfenion社がCypressを買収。Spansion部門はInfenion社に組み込まれたが、NOR型Flashメモリーの技術開発は継続。
- 2026年:Infenion社はかつてSpansionから引き継いだ車載・産業機器向けNOR型Flashメモリー事業とFRAM事業をWinbond社に売却。Winbondはこの事業を独立部門として運営するためにSpansionブランドの復活となった。
設立から33年で複数の会社を渡り歩きながら、NOR型Flashメモリーの技術開発を営々と継続し、一度は消滅しながら不死鳥のごとく復活したSpansionブランドにはこれに関わった人々の多くの苦労と思いが込められている。
2.日米半導体摩擦の最中、業界を驚かせたAMDと富士通の突然の合弁会社設立
Spansionの成り立ちは、1993年のAMDと富士通による合弁会社FASL(Fujitsu AMD Semiconductor Ltd.)の誕生までさかのぼる。
1980年中期から益々激しさを増した米国と日本の半導体貿易摩擦の原因の一つに日本半導体メーカーによる半導体メモリー市場での大きな躍進がある。その代表例がDRAM分野で、この市場での日本企業の大躍進に押されて米国のDRAMブランドは次々と市場撤退を余儀なくされた。Intelがそのビジネスの軸足をメモリーからマイクロプロセッサーに大転換したのはよく知られた事実である。
メモリー分野でDRAMと同じくらい重要だったのが不揮発性メモリーのEPROMだった。
EPROM(Erasable Programmable Read-only Memory)は一度書き込んだデータが保存される記憶素子で、データを書き換えるにはデバイスの真ん中に位置する石英ガラスの透明な窓に強い紫外線を照射することで可能となる。AMDはIntelと並んでEPROM市場の主要メーカーであったが、日本メーカーの低コスト攻勢により劣勢に立たされることとなった。AMD/Intel側はこれを「日本メーカーによるダンピング」だと主張し、EPROMの問題は日米半導体摩擦のきっかけの一つだった。
AMDの社史をめくっていたら、現在ではめったにお目にかかれないEPROMの写真を見つけた。ここに写っているのは64KB/256KBのEPROMデバイスで、それぞれAm27C64/Am27C256とマーキングされていて、デバイスの真ん中に位置する石英ガラスの窓からデバイスのチップがボンディングされてるのを目視できる。半導体の歴史の古き良き時代を象徴するかのような「のどかな」佇まいである。
私のAMD入社は1986年。日米半導体摩擦の真っただ中であった。
日米の貿易摩擦の中心課題となっていた日米の半導体業界は政府関係者を含むハイレベルな交渉会議を何度も行った。これらの会議には当時若輩の私も英語がある程度理解できるという理由で、何度も同席した。しかし度重なるハイレベルの会議は、米国側の「もっと買え」に対し、日本側の「買ってほしいならこちらが要求するものをもってこい」、という押し問答が続くばかりで少しも進展がなかった。この背景には、コンシューマー製品/自動車/通信機器などの日本メーカーが得意分野とするアプリケーションにはすでに日本の内製品がその需要を支えていて、コンピューターを得意分野とする米国半導体メーカーが売り込みたい製品とのギャップが大きかった事情がある。
両業界は政治的には角突き合わす関係にあったが、ビジネスでは強かに手を組む関係が生まれるのが半導体業界の妙である。日米交渉が膠着状態に陥っていた最中に発表された「AMDが富士通とNOR型Flashメモリーの合弁会社を設立」のニュースは大きな衝撃であった。AMD/富士通の合弁会社は当面のところFASL(Fujitsu AMD Semiconductor Ltd.)と命名された。
私は、両社の幹部たちが一堂に会したFASLの会津工場鍬入れ式に立ち会った貴重な経験を得たが(AMD側の通訳の仕事でしかなかったが)、このイベントには地元出身の国会議員なども駆けつけるなど、かなり大掛かりなものであった。というのも、この協業のスキームは、AMDが開発した最新のNOR型Flashメモリーの設計技術と、富士通が持つ日本半導体のお家芸である綿密で高品質な製造技術・生産能力を合体させたもので、半導体貿易摩擦が過熱する中、理想的な日米連携の事例として賞賛されたためである。
しかし、発足当初は、日米の全く異なる企業カルチャーのぶつかり合いの連続で、私は異なる国同士の合弁事業の困難さを目の当たりにするという貴重な経験をさせてもらった。この辺の詳細についてご興味のある方は、私の過去のコラムをご参照願いたい(巨人Intelに挑め! - サーバー市場に殴りこみをかけたK8(18) 【番外編】ジョイントベンチャーと温泉宿の浴衣)
3.新生Spansionの今後
Flashメモリーが登場した当初は、「NOR型かNAND型か?」の議論が盛んだったが、それぞれの特徴を活かしたアプリケーションに自然と市場が分かれていった。
読み出しアクセス速度が速いが、高集積化しにくいNOR型はコンピューターのプログラムやファームウェアの格納などの用途に使われ、高集積化がしやすいNAND型はSSDのようなデータストレージ用途に使われるようになった。しかしAI時代が到来するとデータセンター向けのSSD需要の急増でその市場規模は比較にならないほどの差がついてしまった。
数奇な運命に翻弄されたSpansionは、これからWinbondの傘下で車載、産業機械、宇宙衛星などのアプリケーションでその特徴を活かした市場で生き続けていく。

