前編では、日本企業がDX推進および、そのための要である内製化に苦戦する原因として「データとインサイトに基づく意思決定サイクルの欠如」を指摘しました。本稿では、これを克服し、内製化に成功して真のビジネスアジリティを獲得するための具体的なステップと、その過程でオブザーバビリティが果たす重要な役割について解説します。

内製化の新たなアプローチ:「意思決定の内製化」

内製化を考える上で、重要な視点の違いがあります。それは「開発内製化脳」と「意思決定内製化脳」の決定的な差です。

「開発内製化脳」の企業は、開発工程そのものを内部化することに焦点を当て、エンジニアの採用や最新の開発ツール・フレームワークの導入を優先します。

前編の「内製化の本質と限界」の章でもご紹介した、ウォーターフォールモデルの考え方です。この考え方は一見合理的に思えますが、「開発を内製化すること自体」が目的化してしまうと、採用したエンジニアの活用方法が不明確となり、結果的にせっかく採用した優秀な人材のエンゲージメントが下がり、人材流出という悪循環に陥りがちです。

一方、「意思決定内製化脳」の企業は、ビジネスのアジリティに直結する本質的なアプローチを採用します。すなわち、ビジネスに関わる主体的な意思決定権を自社・自部門に取り戻すことを最優先するのです。

先進的なDX成功企業の多くがこの方向にシフトしており、今後のデジタル競争力を左右する重要な差別化要因となっています。この意思決定内製化を進める上では、必ずしも開発から内製化する必要はありません。何よりもまず、実現に向けた体制を構築するためには、自社のシステム全体を理解して、データに基づいた意思決定ができる環境を整備することが重要なのです。

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段階的な内製化:3ステップアプローチ

主体的な意思決定サイクルを確立し、真のビジネスアジリティを獲得するための内製化の段階的なアプローチは、以下の3ステップで構成されます。

1. 知る(気付ける):オブザーバビリティの獲得

変革の第一歩は、現状を正確に把握することから始まります。多くの企業では、複雑に絡み合ったシステムの全体像を理解している人がほとんどいません。オブザーバビリティツールを導入することで、システム全体を通じてデータを収集し、それを可視化することができます。

オブザーバビリティの特徴は、単に「症状」を捉えるだけでなく、「根本原因」を特定できる点にあります。例えば、あるビジネスKPIが急激に低下した場合、その原因となるシステムの問題点や顧客体験の変化を迅速に特定することができます。

重要なのは、このフェーズでは必ずしも内製化を急ぐ必要はないということです。必要な外部パートナーの支援を受けながらオブザーバビリティを導入し、まずはデータを「知る」ことに集中します。これにより、その後の内製化の優先順位を適切に決定するための基盤が整います。

2. 動く:分野横断のコラボレーション

共通のデータとインサイトが得られるようになると、次のステップとして各部門間の協業体制構築が進みます。

従来は分断されていた開発部門(Dev)と運用部門(Ops)が協力するDevOpsから始まり、さらにビジネス部門(Biz)やセキュリティ部門(Sec)も含めた横断的な協力体制へと発展させていきます。ここで重要なのは、システムの理解を通じて得られた具体的なデータに基づいて、どの領域から内製化を進めるべきかを判断することです。

多くの企業が陥る誤りは、「開発の内製化」を無条件に最優先することです。しかし実際には、組織の状況や課題に応じて、開発ではなく運用やセキュリティ対応などから段階的に内製化を行うことは有効です。

このように「動く」フェーズでは一度にすべてを内製化するのではなく、データに基づいて優先順位を決め、確実に成果を出せる領域から着手します。これにより、小さな成功体験を積み重ね、組織全体の自信とスキルを段階的に高めていくことができます。

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    組織内で横断的な協力体制を構築し、自信とスキルを段階的に高めていく

3. 決める:継続的な意思決定サイクル

最終的な目標は、BizDevSecOpsを横断する継続的な意思決定と改善サイクルの確立です。このステージでは、各領域が相互に影響し合い、データに基づいた迅速な意思決定が可能になります。

オブザーバビリティによって得られるデータとインサイトを活用し、以下のような戦略的判断が可能になります。

  • 何を内製化し、何を外部に委託するか:必ずしもすべてを内製化する必要はなく、ビジネス価値創出の観点から最適な判断を行う。

  • リソースの最適配分:限られた人材やスキルを最も効果的な領域に集中させる。

  • 新機能や改善の優先順位付け:顧客体験やビジネスKPIへの影響度に基づいて判断する。

この「決める」フェーズでは、経営層から現場まで、組織全体が同じデータと指標を共有しながら、それぞれの責任と権限の範囲で迅速な判断ができるようになります。これがビジネスの真のアジリティを生み出す源泉となります。

自社内のリソースだけで実現できないのか

ここまで読まれて、「オブザーバビリティという言葉は知らなかったが、社内で同じような取り組みを人力で行ってきた。今のままでも、これらのフェーズを実現できるのではないか?」と疑問を持たれる方もいるかもしれません。

確かに、従来型の人力によるデータ収集のアプローチでも、システムデータを収集して意思決定の参考にすることは可能です。しかし、決定的な違いは「スピード」と「精度」にあります。

月次の稼働レポートを翌月に作成しているのでは、問題が発生してから対応するまでに大きな時間差が生じ、ビジネスチャンスを逃したり、顧客体験の低下から顧客の離脱を招いたりします。

刻一刻と変化する市場環境に対応するには、リアルタイムでシステム全体を理解できるオブザーバビリティが不可欠なのです。24時間365日の意思決定サイクルを実現するためには、オブザーバビリティという能力を備え、「デジタルの目」を獲得することが必要不可欠な時代になっているとも言えるのです。

内製化の成功がもたらす組織文化の変革

オブザーバビリティを基盤とした意思決定内製化は、技術的な側面だけでなく、組織文化の変革ももたらします。具体的には以下のような変化が期待できます。

  • 「内向き」から「外向き」へ:社内の政治や手続きより、顧客価値や市場環境を重視する文化へ。

  • 「計画に従う」から「学習する」へ:厳格な計画遵守より、データに基づく柔軟な対応を重視する文化へ。

  • 「トップダウン」から「ボトムアップ」へ:経営層だけでなく、現場の知見を活かした意思決定を行う文化へ。

  • 「弱い権限」から「強い権限」へ:データに基づく信頼関係により、現場の意思決定権限を強化する文化へ。

結論:24時間365日の主体的な意思決定サイクルの確立

変化し続ける時代において、日々刻々と変化する状況に対応するには、常に主体性を持った意思決定サイクルの確立が不可欠です。「知る」「動く」「決める」の3ステップアプローチにより、組織は急速に変化する環境に対応するための基盤を構築することができます。

24時間365日、主体的に意思決定サイクルを回し続けることにより、本質的な迅速性を獲得し、真のDXを実現する--。これこそが、現代のビジネスリーダーに求められる最重要課題といえるでしょう。

この内製化とオブザーバビリティの取り組みは、一朝一夕に実現するものではありません。しかし、その第一歩を踏み出すことで、組織は変化の波に乗り、持続的な競争優位性を獲得することができるのです。

次回の最終回では、さらに踏み込んで、オブザーバビリティによって、システムのパフォーマンスがビジネス指標とどう連動するのかをリアルタイムに可視化し、経営の意思決定に役立てる「ビジネスオブザーバビリティ」と呼ばれる取り組みについて解説します。