CM-5発表以降のThinking Machines

1989年にはThinking Machines(TMC)はDARPAの助けを得て、売り上げ4500万ドルで70万ドルの黒字となった。この成功から、Handler CEOはMITにほど近いCarter's Ink Buildingを年600万ドルで10年間借り上げるリース契約を結んだ。通りを挟んで向かいにオフィスを構えるLotus Development社は8ドル/平方フィートの賃料であったが、TMCの賃料は37ドルと大幅に高額であったという。

また、TMCは追加で120人を採用し、総従業員は400人以上に膨張した。TMCは先進的なハイテクの旗手と見られており、資金の豊富な大会社に買収されるような道を探るとすれば最適な時期であったが、Handler氏は、TMCは単独でTFlopsのマシンを開発できると信じており、買収や合併などの機会をすべて潰してしまった。

TMCは、1991年10月にCM-5を発表した。しかし、競合相手のIntel、Kendall Square Research(KSR)、MasPar Computer、nCubeなどがCM-5より高性能のマシンを出荷し始めていた。

そしてKSRなどから、DARPAのTMC優遇は不公平であるという抗議が起こり、DARPAの優遇が停止された。その結果、TMCは1992年末の決算では1900万ドルの赤字になってしまった。そして、Hillis氏はあまり会社に出てこなくなり、給料は凍結され、レイオフも始まった。

しかし、Handler CEOは巨大な大理石のアーチをCarter's Ink Buildingに作ったり、シアトルのスパコンの学会に出席するのに、サンフランシスコに泊まって往復したりしていた。また、会社が危機にあるにもかかわらず、会社のカフェテリアの料理のレシピ本の出版に多くの時間を割いていた。

結局、取締役会は、Handler CEOはビジネススキルを全然持っていないと判断し、最終的に彼女は追い出されてしまう。そして、1993年の8月にTMCは破産して潰れてしまった。

TMCのハードウェア部門は、西海岸のシリコンバレーで日の出の勢いであったワークステーションメーカーのSun Microsystemsに買収された。そして、これらのスパコンを開発していた人たちがSunのビジネスサーバの開発の中心となった。

(次回は1月24日に掲載します)