
2002年5月、いわば自社では幽閉状態でありながら、業界で経済産業省の物流効率化補助金事業を推進していた私に、工場勤務の若手社員から呼び出しがありました。
言いたいことがあるので、夜1人で成田駅近くまで来てくれというのです。何やら物騒な雰囲気です。行ってみると、工場勤務の若手社員が数人待っていて居酒屋の個室に通されました。席に着くなり、「社長は今の会社で良いと思っているのですか」と聞いてきたのです。
当時、私は番頭連中から現業には、一切関与させないよう規制されていた立場でもあり、このような形で私と会っていることが役員連中に知られると、君たちの立場が悪くなるからやめた方が良いと説得したのですが、彼らは納得しません。
工場から見ていても、会社が以前より更に悪い方向に向かっていると訴えるのです。
確かに知名度を利用して、やみくもに開発した風邪薬や胃腸薬のプロジェクトは見事に破綻し、思いつきのように計画されたサプリメント事業も、製品サンプルに重金属が混入して品質的に問題があるなど、私が経営していた時よりも、更に状態が悪化したことは明白です。
社員たちは、私が株主なのだから何とかならないのかと迫ってきました。しかし政権奪還計画はそう簡単に教えることはできません。いずれ何とかするからと、社員をなだめて、その場は何とか収めたのです。
02年6月、私は北京にいました。家庭薬協会の国際委員会ミッションで北京の衛生省を訪れ、中国での家庭薬製品の販売可能性について中国政府との情報交換会に参加していたのです。
しかし中国で販売したいのであれば、中国に工場を建設して技術も商標もすべて中国に移転するのが前提であるとの提案には正直驚きました。それでは中国の製品になってしまうからです。
夜の大宴会ではフルートでテレサ・テンの曲を演奏したところ、中国の衛生省の皆さんは一緒に歌い、白酒を何回もカンペイして大いに盛り上がりました。私は内心「このままでは、とても当社が対応できる案件ではない」と確信したのです。実はこの判断が当社の中国ビジネスの大成功につながります。
この中国ミッションには別の目的がありました。それは私の帰国予定日の翌日が株主総会だったことです。役員連中はまさか前日まで海外に行っている私に、何かできるとは夢にも思っていなかったでしょう。
しかし毎晩の宴会後、ホテルの部屋では日本にいる家内と母親、個人的な顧問弁護士とFAXでやり取りし、綿密な株主総会のシナリオを作成していたのです。非上場企業であっても、株主総会直前の取締役会で役員に再任か非再任かを通告するのが一般的です。
しかし今回は当時の役員連中から対抗措置を講じられる恐れがあったので、一切通告しませんでした。当時の役員連中には前日まで海外に行っていた私には何もできないと思わせることが私の狙いでした。