労働人口の減少が進むなか、人手と経験に頼った店舗運営を続けることは年々難しくなっている。だが、個別のツールを導入するだけでは部分最適にとどまり、店舗運営全体の改善にはつながりにくい。

7月14日~15日に開催された「DCSオンライン×TECH+セミナー 2026 Jul. リテールDX 顧客理解と店舗革新で描く、次世代リテールの姿」に、ヤオコー 執行役員 CDO 兼 デジタル統括部長の小笠原暁史氏が登壇。食品スーパーにおけるIT組織の変革から店舗DXの実装までの道のりを語った。

DXは「効率化」ではなく競争力の基盤

ヤオコーは埼玉県を中心に首都圏で食品スーパーを展開し、37期連続の増収増益を続ける企業だ。2025年10月にはホールディングス体制へ移行し、グループ全体で276店舗を運営している。

同社が変革に向けて動き出したのは2021年である。スーパーマーケットは典型的な労働集約型産業であり、労働人口の減少が進むなかで、人手をかけた店舗運営を続けることは難しくなっていた。加えて、顧客の購買行動もスマートフォンを起点としたものへ変わりつつあった。業界各社がDXに着手し始めるなか、対応の遅れは事業リスクに直結する。そうした認識の下、同社はDXを単なる効率化ではなく、店舗運営を維持、強化していくための競争力の基盤と捉えた。

DXといえばクラウド活用やAI、アプリ導入が連想されがちだ。小笠原氏はこれらを重要な手段と認めつつ、単なるITツールの導入がDXであるとは捉えていないと話す。

「DXとはデジタル技術やデータを活用し、業務の進め方やお客さまとの接点を変えて、事業の競争力を高めていく取り組みだと考えております」(小笠原氏)

店舗DXの目的も、現場の負荷軽減だけにとどまらない。限られた人員でも店舗運営の品質を維持し、接客や売り場づくりといった付加価値の高い業務に時間を使えるようにすることが重要だという。そのうえで欠かせないのが、テクノロジーをスピーディーに導入し、改善し続けられる体制を自社で持つことだ。この体制づくりが、ヤオコーにおけるDXの出発点となった。

社内DXを進める鍵は情シスの役割変化

では、その体制をどうつくるのか。小笠原氏が着目したのは、社内で最もテクノロジーに近い情報システム部門自身が変わることだった。当時の情シスは、運用・保守やトラブル対応、問い合わせ対応で常に手いっぱいの状態にあった。「ヤオコーに限らず、多くの企業の情シスが抱えていた構造的な問題」だと同氏は指摘する。既存業務に追われている限り、新しい価値を生み出す余力は生まれない。

当時のIT部門は、高コスト化とスピード不足という悪循環に陥っていたという。要因は、全体をコントロールするアーキテクチャや設計思想が整っていなかったことだ。結果として、約30の業務系システムが複雑に連動する「システムの複雑化」、過去5年におけるシステム投資の約30%が要件定義やコンサルティング費用に使われていた「ベンダー依存」、大手ベンダーに投資の約44%が集中し、投資対効果に見合わないケースもあった「オーバースペック」という3つの問題が顕在化していた。

「システム投資の多くが『つくる』費用ではなく、『整理する』『説明してもらう』といった費用に使われていることに、改めて問題の深さを実感しました」(小笠原氏)

DXを進める以前に、まずこの構造を変えなければならない。そこで同社は、これからの情シスに必要な行動指針として、「最新テクノロジーとビジネスの結合」、「既存業務の最小化」、「事業価値を生み出す部門としての意識」の3つを定めた。長年の役割を変えるには、仕組みだけでなくマインドも重要だったのだ。

思想・組織・基盤を整え、ベンダー依存から脱却

変革にあたりヤオコーが定めたデジタル活用の目的は、少人数でも高い運営品質を維持する「店舗業務のデジタル化」と、来店前後の接点づくりを含めた「顧客満足度の向上」である。ただ、当時はこの2つを実現するにもシステム的な課題が山積していた。そこで既存システム課題の解消を前提条件と位置付け、思想、組織強化、プラットフォームという3つの土台づくりから着手した。

  • ヤオコーのDX進化ロードマップ

    ヤオコーのDX進化ロードマップ

1つ目の「思想」では、自社で判断できる共通の軸をつくった。それまでは判断のよりどころが整っておらず、システムのサイロ化やブラックボックス化が進んでいたためだ。システム全体の在るべき姿を描くグランドデザインから、アーキテクチャ方針、IT標準化、マインドづくりまでを整えた。

2つ目の「組織強化」について、小笠原氏は「思想があっても、それを実行する体制と人材がなければ、絵に描いた餅になってしまう」と話す。IT部門は2022年度から2025年度にかけて55名規模へ拡大した。だが、やみくもに増やしたわけではない。立ち上げ期、拡大期、成長期と段階を踏み、スペシャリストの採用と定着のためのマネジメント整備、既存メンバーのスキルアップなどを積み重ねてきた。

「技術力を持つ中途人材とヤオコーの業務をよく知るプロパー社員が、お互いの強みを認め合い、連携できるようになってきたことが、組織強化の大きな成果です」(小笠原氏)

3つ目の「プラットフォーム」では、クラウドネイティブやデータドリブン、ローコード開発、ネットワーク最適化、モバイル活用、セキュリティ強化といった方針を打ち出し、DXを速く安全に実装できるIT基盤を整えた。クラウド基盤では、AWSのマネージドサービス活用に加え、DevOpsやIaCによる構成管理、New Relicを用いたオブザーバビリティ強化にも取り組み、店舗DXを継続的に展開・改善できる運用基盤を整備している。 ただし、基盤の整備自体が目的ではない。その基盤で新しい施策を試し、現場に展開し、改善し続けられる状態をつくることが本来の狙いだと同氏は強調する。

こうして土台を整えた同社は、2024年度からの実装フェーズで、CX向上、データ活用、業務改善などの領域で各施策を経営目標に紐付けながら並行して改革を進めてきた。

店舗DXを支えるアプリ・データ基盤・生成AI

CX向上の領域では、アプリを起点とした顧客サービス基盤の構築を進めてきた。2025年度にリリースした新しい会員アプリをデジタルチャネルの入り口とし、決済機能の「ヤオコーPay」、ネットスーパーやECと連携させている。また、コンタクトセンターには生成AIを導入し、自動要約した通話内容を問い合わせ管理システムへ連携する仕組みを実装した。オペレーターの応対後処理時間は平均9分から2分へ短縮し、1人当たりの受電数も約25%向上したという。

データ活用の領域で最も重要だったのは、データのサイロ化の解消だ。データ連携基盤の整備から始め、現在はSnowflakeを軸としたモダンデータスタックへの移行を進めている。あわせて、Amazon Bedrockをベースに、LLMとしてClaudeを採用した社内専用の生成AIプラットフォーム「Yaoko AI Agent」も整備した。本部だけでなく店舗でも、スマートフォンから利用できる。今後は、AIエージェントを社内システムやデータソースと安全に接続し、店舗や本部の業務を支援するAI実行基盤へ発展させる考えだ。

AI自動発注とモバイル活用で、日々の店舗業務を支える

ここからが、小笠原氏が講演の中心に位置付ける「店舗オペレーションの高度化に向けた業務改善」である。店舗ではレジ、発注、売価変更、棚札の差し替え、在庫確認など日々多くの作業が発生する。これらは人手への依存度が高く、担当者の経験や習熟度によって作業時間や品質にばらつきが出やすい。そのためヤオコーは店舗業務を段階的にデジタル化し、省人化だけでなく、業務水準の平準化と働きやすさの向上を進めてきた。フルセルフレジは2022年度の7店舗から2025年度の約100店舗を経て、2026年度は約150店舗まで拡大する計画だ。電子棚札も現在の約60店舗から、2026年度には約110店舗まで拡大する計画である。個別施策で終わらせず、実験店での検証と現場のフィードバックを重ねながら、店舗オペレーション全体をデジタルで支える仕組みとして展開している。

  • 店舗オペレーション高度化に向けた実装ロードマップ

    店舗オペレーション高度化に向けた実装ロードマップ

発注業務の標準化と省力化に向けた取り組みが、AI自動発注である。気象や販促、過去の販売・在庫・廃棄・仕入れなど約30種類のコーザルデータを基に需要を予測し、在庫最適化から発注計算、自動発注へとつなげる。これにより、店舗の発注業務時間を約85%短縮し、欠品を抑えながら在庫を約15%削減した。これは2022年5月に全店展開した先行プロジェクトの成果だが、「デジタルやAIが本当に業務を変えるものだと実感してもらうには、重要な取り組みであった」と小笠原氏は振り返る。

また、店舗業務を支えるモバイルアプリの内製開発にも取り組んでいる。商品情報検索、在庫修正、発注入力、売上確認、ネットスーパーのピッキングなど、現場ニーズに応じた機能をOutSystemsで開発し、AWS上のバックエンドやデータ連携基盤とAPIで連携させている。今後はAI駆動開発やClaude Codeの活用も視野に入れ、ローコードとAIを組み合わせた開発手法の進化を見極めていく考えだ。

「やりたいけど、できない」から「やるかどうか」を自分たちで判断できる状態へ

土台づくりと実装フェーズを通じて、アーキテクチャ、IT環境、組織体制の水準は一段上がった。いずれの面でも、ベンダー主導モデルからの脱却が進んでいる。もちろん、業務的にもシステム的にも課題は多く残る。それでも、数年前と比べてできることの幅は確実に広がっている実感があるという。

「以前は『やりたいけど、できない』といった場面が多かったのですが、今は『やるかどうか』を自分たちで判断できる状態に近づいてきました。この変化が、私たちにとって一番大きな成果です」(小笠原氏)

この変化は、仕組みや基盤だけで実現できたものではない。整えた仕組みや基盤を実際に使いこなし、現場に価値として届けてきたIT部門メンバーの能力とモチベーションが支えている。この実行力が、次のステージへ進む原動力になると小笠原氏は言う。

では、次にどこへ向かうのか。次のステージは、データとAIを中核に、顧客体験と店舗オペレーションをさらに進化させることだ。データドリブン経営、サプライチェーン全体の最適化を目指すオペレーション変革、生成AIを業務支援の共通基盤とするAI活用の拡大、クラウドネイティブの4つが柱になる。内製開発でもClaude Codeなどを活用したAI駆動開発に取り組み、開発・運用の生産性向上を進めていく。

「食品スーパーのDXは、派手に見えないかもしれません。ですが、毎日の店舗運営を支えて、お客さまの食卓を支える仕事を、より持続可能な形に進化させていくことには大きな意義があります」(小笠原氏)

個別のツールを導入して終わりにするのではなく、自社で判断し、店舗に導入して、改善を続けられる体制までつくる。情シスの役割の変化から始まった一連の取り組みが、ヤオコーの「実装するDX」を支えている。