AI時代の競争優位はデータにある、といった言説がニュースやSNSをにぎわせている。しかし、8月25日に開催されたオンラインセミナー「TECH+セミナー AIビジネス実装 Day 2026 Aug. AIを導入するために整えるべき基盤設計」に登壇したフリー(以下、freee)Chief Data Officer 兼 CDO室室長の城谷信一郎氏は、この見方に一石を投じる。

同氏によれば、真に他社を圧倒する強みは、使うほどに新たなデータが生まれ、AIと業務が賢くなっていく循環「データフライホイール」にあるという。本稿では、講演で語られたデータフライホイールという概念の整理から、freeeでの実践、あらゆる企業が自社で最初の1回転を回し始めるためのステップまでをレポートする。

「データがAI時代の勝者を決める」は、半分正しく、半分間違っている

freeeは「スモールビジネスを、世界の主役に。」をミッションとして、バックオフィス向けSaaSを複数展開している。同社では250種類以上のデータを1,000人以上の社員が日常的に活用。「SaaS is Dead」が語られる時代に、AIエージェントが使いやすいSaaSへの進化を掲げ、AX/DXを「生存戦略」と位置付ける。

その城谷氏が、冒頭の言説に疑問を呈する。

「『データがAI時代の勝者を決める』という言説は、半分正しく、半分間違っていると考えています。貯めたデータそのものは、“堀”にはなりません」(城谷氏)

理由は大きく3つある。データは市場や提携・買収で「買える」こと、先行者の優位も「真似できる」こと、そして鮮度が落ちれば価値は加速度的に「古くなる」ことだ。

ではどこに優位が生まれるのか。同氏は「データを集めることでも、サイロを解消することでもなく、データから顧客価値・事業価値を生み出すサイクルを、改善し続けられるかどうか」だと語る。

回る仕組みとしてのデータフライホイール

この「回る仕組み」こそが、今回の講演の主役となったデータフライホイールだ。データが使われることで新たなデータが生まれ、AIと業務が賢くなり、さらに使われる――。書き表せばシンプルだが、この循環を設計できるかどうかが分かれ目になる。

  • データフライホイールのイメージ図

    データフライホイールのイメージ図

城谷氏は、品揃えが購買体験と集客を呼ぶAmazon、走行データが自動運転技術を磨くTeslaを例に挙げ、「データから事業価値を生み出すサイクルは、他社が真似できるものではない」と説明した。

生成AIは、この循環に何をもたらすのか。同氏は、従来「価値を届ける“手”」と「回転を設計する“頭”」という2つの制約があったと振り返る。メールや電話は人手に頼って平日日中しか動けず、回し方を設計できる専門家も限られていた。

「生成AIは、価値を『届ける』側の制約を解いてくれました。ただしAIエージェントにはハルシネーションがある。自社の実データと文脈をどう注入するかが問われます」(城谷氏)

信頼ゼロから始まった、freeeの1回転目

では、freeeはどうデータフライホイールを回したのか。同社は明確な事業部制を採らない約2,000人規模の組織で、トップダウンとボトムアップのOKRを組み合わせやすい環境にある。それでも、と城谷氏は明かす。

「フライホイールは、最初はなかなか回りませんでした。始まりは『信頼ゼロ』からです」(城谷氏)

同氏がfreeeへ入社した2024年5月、データ活用は統計情報の集計が中心で、顧客ごとの属性に応じたアクションはとれていなかった。そこで城谷氏は、パーソナライズデータで付加価値を生む「表」と、回転を増やす基盤づくりの「裏」の取り組みの実績を交互に積み上げた。

約2年を経た2026年7月からは、基盤が一定整い、付加価値の回転が生まれ始める「フェーズ3」、いわばキャズムを超えた段階に入ったとする。

象徴的だったのがフライホイールの1回転目だ。サブスク型のfreeeにとって解約の兆しを顧客ごとに捉えたいが、会計・個人情報を扱うため統制やセキュリティの観点から活用が難しかった。城谷氏は入社後約1.5カ月で安全に使える環境を立ち上げ、顧客ごとの解約防止活動にまで踏み込み、解約の一部を未然に防いだ。同氏は「分析で終わらせず、アクションまで踏み込む。これが、フライホイールの1回転目だった」と振り返る。

  • フライホイールの1回転目

    フライホイールの1回転目

2回転目に現れる2つの摩擦と2つのエンジン

問題は2回転目以降に現れる。関わるアジェンダ・部署・データ・判断が一気に増え、城谷氏が「摩擦」と呼ぶ抵抗が生じる。摩擦は大きく2種類だ。信頼や実績がなければ協力を得られず、統制が優先されリスクを取りにくい「組織の摩擦」と、データが散在し品質も低く、使ってよいかの判断が都度発生する「技術の摩擦」である。

「本当の敵は、2回転目以降に現れます。だからこそ『基盤』が重要になります」(城谷氏)

freeeはこれを2つのエンジンで解く。組織の摩擦には「信頼のエンジン」。象徴的な1回転を短期で見せ、成果を現場の手柄にしながら、長期的な基盤構想を繰り返し仕込む。そして技術の摩擦には「基盤のエンジン」で臨んだ。

  • 2つの摩擦と、2つのエンジン

    2つの摩擦と、2つのエンジン

4つの問いに、5つの観点で答える基盤

技術の摩擦は、突き詰めると「どこにあるのか」「使っていいのか」「どういう意味か」「合っているのか」の4つの問いに集約されるという。小さく試すあいだは誰かが答えられても、全社に広げると答えられなくなる。freeeはこの問いに答える基盤を、5つの観点で組み立てた。

  • 基盤づくりの5つの観点

    基盤づくりの5つの観点

第一に、品質は発生源でつくり込む。

「発生したデータ以上の品質を、後の工程でつくり込むことはできません。データ品質が、あらゆる活用の上限を決めてしまうのです」(城谷氏)

だからこそ、発生源でのつくり込みは最も安い投資であるという。freeeでは、データをつくる人と集める人のあいだで品質と責任を取り決める「データコントラクト」を、250以上のデータソースごとに結んでいる。

第二に、それらを専門部隊が1つのプラットフォームへ集約する。

第三に、使う条件を“しまうとき”に決める。「このデータ、使っていいんだっけ」と使うたびに会議していては回転が止まる。そこでデータを格納する時点で「誰が・何の目的でなら使ってよいか」のラベルを貼り、使う側はラベルを見るだけで判断できるようにした。

第四に、意味と文脈を整える。売上の定義や係数は事業部ごとに異なるため、データモデリング、マスターデータ、セマンティクス、コンテクストの整備を進めなければ「AIは使えない」と城谷氏は言い切る。

  • 意味と文脈の整備

    意味と文脈の整備

第五に、AIがアクセスできる「口」をつくる。整ったデータと文脈を、MCP経由でAIエージェントに開く。変化の少ないルールや業務ルールは「ストック型コンテクスト」としてGitHubで集中管理。商談メモやチャット・電話ログなど大容量の「フロー型コンテクスト」の扱いについては、現在検討中だという。

このような、「表」で実績をつくり、「裏」で基盤を仕込む進め方の結果、2025年7月からの約1年間で案件数は四半期あたり平均約20%で増加。プロダクト・ビジネス・社内の4領域で40件以上が並走し、その回転が生まれ始めている。

自社の型を診断し、90日で1回転を

最後に城谷氏は、これからフライホイールを回す企業に向けた実践ステップを紹介した。

まずは「自社の型」の診断だ。意思決定(トップダウンかボトムアップか)とデータの発生源(紙かデジタルか)で4つの型に分類される。

例えば、製造業など現場の力が強い「現場熱意型」は、最初に「表」にリソースを厚く配分し、一番痛みを抱えるラインで実績を出し、それをテコに「裏」の共通基盤投資を引き出す。

一方、建設業などトップの号令が効くが紙ベースの「号令型」は、先に「裏」に厚く張り、デジタル化を進めつつ象徴的なユースケースをつくるアプローチが適している。

型を診断した後は、以下の4つのステップで設計を進める。

  • 1. 論点の整理:自社の型に合わせた「表」と「裏」のリソース配分を決める
  • 2. 循環プロセスの設計:「表」から「裏」、「裏」から「表」へ学びを還元する仕組みをつくる
  • 3. 体制の設計:現場課題を解く人材と、基盤を整える専門部隊を分ける
  • 4. 経営との合意:配分と評価指標を合意する
  • 「データは貯めるだけでは価値になりません。活用し、学び、改善し続けることが競争優位性につながります。ぜひ今年中に、皆さまの会社でも『最初の1回転』を回していただければ」と呼びかけ、城谷氏は講演を締めくくった。