アサヒグループHD会長・小路明善の『高付加価値型経済構造の下で、とにかくチャレンジを!』

世界が混沌とする中国力を高めるには?

 ウクライナ戦争に加え、中東情勢も不安定な状況が続く。先行き不透明な中を、国も企業も、そして個人もどう生き抜くかという命題である。

〝安全保障〟という概念が政治だけでなく、経済にも広がる時代を迎え、改めて日本の強さとは何か、という所から出発しなければならない。

「やはり、日本はリーディングカントリーになるということだと思います」とアサヒグループホールディングス会長・小路明善氏(1951年=昭和26年生まれ)は語り、目指す方向性として、「付加価値創出型経済」を挙げ、次のように続ける。

「経済立国として、高付加価値創出型経済構造をつくり、経済力を強めていくと。経済力というのは、日本は憲法9条がある中で、国力の根幹になるものなんです」

 今は、特に経済安全保障が言われ、経済が外交、国際関係と切り離せない。日本は高付加価値創出型経済で国力を高め、リーディングカントリーとしての地位を高めていくという考えである。

 1990年代初め、日本はバブル経済が崩壊。〝失われた30年〟と呼ばれる長期低迷期に突入し、長らくデフレに苦しんだ。GDP(国内総生産)を見ると、かつて世界2位の地位は2010年に中国に抜かれて3位になり、2024年にはドイツに抜かれて4位に転落。

 間もなく、イギリスやインドにも抜かれる見通し。

 1人当たりGDPとなると、1位はリヒテンシュタイン、2位ルクセンブルク、3位アイルランド、4位スイス、5位シンガポール、6位アイスランド、7位ノルウェー、8位米国という順で、上位を小国や北欧勢が占め、日本は38位(ちなみに37位は韓国、39位はチェコ)。

 こうした状況で、日本は再生の道をどう見出すか─。これは、本来、国の富を創出する企業の使命と役割は何かということを再考することでもある。

「一つは、産業界はこれまで守りの経営だったので、デフレ脱却が長引きましたね。最近は剰余金がたくさんあるので、もっともっと国内外の投資をすべきだと思います。もっと経営者はチャレンジするべきだと。チャレンジしない、守りの経営では成果はないと。また、社員の成長がなければ、企業の成長もないし、それはイコールデフレだと思います」

 

高付加価値創出型経済構造の構築へ向けて何が必要か

 日本は今、年率2%程度の成長を確保することを目標にしている。高市早苗・政権の『17分野の成長戦略』もその一環だ。

 今、米国・イスラエルとイランの戦争に端を発した石油不足でさまざまな原材料価格が高騰。停戦の延長を探る動きもあるが、中東情勢は流動的で、世界経済の先行きは不透明だ。そうした中を生き抜くための模索が続く。

 基本的には、原材料価格などの上昇によるコストプッシュ型のインフレではなく、ディマンドプルインフレ、つまり顧客(ユーザー)の需要増加によって物価が上昇する経済構造にしていかなくてはならない。

 そのためにも、「企業トップは今一度、チャレンジしていかなければならない」と小路氏は次のように続ける。

「それから無形資産の活用で無形資産の国際特許を取る。貿易や民間外交の推進、さらには最先端の科学技術の開発も大事ですね」

 高付加価値創出型の経済構造につながる最先端科学技術の開発には、「産業界と大学などとの連携が必要」と氏は訴える。

 

社会課題解決へ向け『産学融合』を!

「わたしは産学連携ではなくて、産学融合と言っているんです。大学も企業の中にどんどん入ってきてほしい」

 小路氏は、経団連(日本経済団体連合会)の教育・大学改革推進委員会の共同委員長を務める。

 共同委員長には、氏の他に、橋本雅博氏(住友生命保険会長)、小宮暁氏(東京海上ホールディングス会長)の両氏が名を連ねている。『産学融合』を果たすには、どうすればいいのか─。

「ケースバイケースになりますが、大学の先生ももっと民間に出向で来てもらうようにすると。経営学を語るのではなく、実践経営を体験してもらうと。社会実装できるような力を備えてもらうなど、実践教育をしてもらいたいですね。真理探究の学問と実践学問、この2つが重要ですね」

 産業界は〝失われた30年〟の間、生き残りをかけてグローバル化を進め、〝次なる成長〟を追求してきたわけだが、そのグローバル世界は今、〝分断と対立〟の真っ只中にある。

 では、グローバル世界で日本の大学はどの位置にあるのか? 

企業も大学も共に再編の時代を迎えて

 英国の教育専門誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)の『世界大学ランキング2026』によると、日本国内で1位の東京大学は世界ランキング26位。国内2位の京都大学は同61位、国内3位の東北大学は同103位、4位の大阪大学は同151位、5位の東京科学大学は同166位となっている。

 このTHEのランキングは、英国、欧州視点での評価ということを念頭に入れるにしても、日本の大学の世界的な位置付けは非常に低いと言わざるを得ない。

 東京大学にしても、最近医学部の不祥事が起き、ガバナンス(統治)能力が問われている。東大関係者からは、「総長制ではなく、経営を担当する理事長と教育を担う学長という体制にしたらどうかと」という声も聞かれる。

 日本の人口減、少子化・高齢化は産業界、教育界のみならず、医療・福祉、農林漁業などあらゆる分野に影響を及ぼしている。新しい秩序構築に向けた再編成は必至だ。

 いま国公立、私立を併せて約790校の大学があり、18歳人口や大学進学率を考慮すると、その数は非常に多いとされる。

「ええ、大学進学率は最高で見積もっても60%前後。今、18歳人口は110万人位ですから、60万人が大学に進学する。この60万人が、今後7、8年から10年位の間に急激に40万人位に落ちていくということになると、再編成は不可欠になってきますね」

 大学の〝質〟をどう担保するかという課題である。

「文部科学省がしっかりと大学の評価をして、評価に基づいた補助金制度やシステムをつくらなければいけない。まだ頭数で補助金があらかた決められている。若干評価する面はあるけれども、もっとダイナミックな評価をして、学生数が少なくても教育価値を上げている大学についてはそれなりの補助していくことも大事だと思います」

 大学も企業と同様に、整理淘汰される時代を迎えたということである。

 

地方にも、いい大学や高専がある中で…

 少子化問題はことに、地方で深刻だ。しかし、その中で「優秀な地方大学はいっぱいあります」と小路氏。地方にも努力している大学があるということ。

 例えば、秋田にある国際教養大学(モンテ・カセム学長)。リベラルアーツ(教養)を重視し、真理の追求、自由に学び、研究する環境を整え、海外からの留学生も多く受け入れている。秋田県立で、秋田県出身の学生は約30%。内外に門戸を開放し、高い教育水準を秋田の地で保っている。

「素晴らしい大学ですね。こうした大学は地方にもあります。それと高専ですね。高専の卒業生は、技術者として非常に注目されています」

 高専。独立行政法人国立高等専門学校が各地に設置する高等教育機関で、全国に51ある。1962年(昭和37年)に技術立国を目指す国が、高度な知識を持つ技術者を育成するために設置した。

 私立高専も、IT企業のSansanが中心となって設立した『神山まるごと高専』(徳島県・神山町)など、数校できている。

 そうした現状を踏まえて、小路氏は、「18歳の学生さんだけを対象とした大学経営とプログラムだけでは駄目なんです。社会人も入れる大学プログラムをどうつくるかというふうにしていかないと」と語る。

 リスキリング、リカレントという言葉が今、よく使われる。リスキリング、つまり、自ら学び直すことが大事と言われる。

 

リスキリングは、企業の人的投資の一環

 そして、小路氏は、リカレント(recurrent)についても、グローバルの時代を生き抜く上で重要と強調する。

「リカレントは反復、回帰、循環という意味で、新たな知識、スキル習得のために大学で学ぶと。知識やスキルの習得というより、もっと広く、リベラルアーツ、一般教養的な素養を修めることだと思います。外国人と接していると、アフターファイブ(午後5時以降)になると、仕事の話は一切しない。外国の人たちは例えば、われわれ日本の歴史や文化などをどんどん聞いてくる。日本人は、アフターファイブの食事の時間でも、まだ仕事の話をしている」

 リスキリング、リカレントに自らの専門性、教養を高めるためにも、「企業と個人は共に、自分の保有スキルの可視化が必要」と小路氏は語る。

「要は、自分が何を強みとして持っているのか。また、弱みは何なのか。これからの仕事に必要なスキルは一体何なのか。それはやはり会社と個人が可視化しなければ、見えるようにしておかなければいけないということです」

 リスキリングを漠然と捉えてはいけないということだ。

 

酵母細胞壁を活用した「節水型乾田直播栽培」の米づくり技術

「昨日より今日、今日より明日という思いで個々人が成長していく。個々人の成長の総和が企業の成長になる。企業の成長の総和が産業界の成長になり、産業界の成長の総和が日本経済の成長につながっていくということですね」

 小路氏は、個人の成長がひいては日本の成長につながるという考えを述べ、「個人が常に成長すること、若い人が成長していくことが非常に大事」と語る。

 政府は「強い経済」の実現に向けて、経済安全保障という概念を交えて、〝17の成長分野〟を掲げる。これに民間も『不可欠産業』になることで成長の中身を充実させるという考え。

 日本の食料自給率は38%、エネルギー自給率に至っては15%しかない。こうした状況の改善に民間企業はどう関わっていくべきか。

「まず、自給率と産業の空洞化ということを、産官学でどう食い止めるかということを考えなければいけないと思うんですね」

 小路氏は「自給率向上で言えば、わたしどもの会社には、『節水型乾田直播栽培』という米づくりの一環として、酵母細胞壁を活用した肥料をつくる技術があります」と語る。

 ビール、ウィスキーや味噌、しょうゆなど、醸造品の製造に欠かせない微生物の酵母。この酵母から酵母エキスを抽出する過程で副産物として生じるのが酵母細胞壁である。酵母エキスは、パウダー、ペーストなどに加工され、調味料となる。

 酵母細胞壁は長らくの間、飼料としての用途しかなかったが、アサヒバイオサイクルが酵母細胞壁には食物繊維、たんぱく質などの栄養素が豊富に含まれていることに着目し、健康食品への活用を進めている。

 日本では水田が多く、米は100%自給しているが、世界を見てみると、水田が少なく、畑作をしている国や地域も多い。

「そのビール酵母菌を使って農業資材をつくろうと。ビール酵母菌を肥料にして、今、アフリカのケニアで成功しています」

 水を張らない状態の田に種子をまき、少量の水分で米を栽培する方法だ。要は、こうした〝日本の強み〟をいかに発揮していくかということ。

民間企業の知的財産、無形資産は日本の国力を高めるだけでなく、海外の各国の成長にも役立つことになる。

(アサヒバイオサイクル社が開発した『節水型乾田直播栽培』はアフリカ・ケニアなどで活用されている)

「米以外の農産物の自給率を上げる開発をこれからしていこうと思っています」と小路氏も抱負を語る。

 自分たちの強みを深掘りすることで、グローバル視点で活路を開いていくということ。

 先に、『不可欠産業』と記したが、そうした個々の強みを磨き上げることで、世界にとって『不可欠』な存在としてグローバル市場で戦うという戦略も必要になってくる。

 米以外の農作物は、トウモロコシにしても小麦にしても、日本は輸入比率が非常に高い。

「そうした農産物の自給率を、日本のバイオ技術を使ってどうやって高めていくか。それからエネルギーは再生エネルギーを含めて、どう広め、自給率を高めていくか。これはもうやらなければいけないということです」

 

経営陣は一層の投資を

 経済のグローバル化は今後も進むが、経済安全保障や食料・エネルギー自給率向上という課題も相まって、国内投資もまた最重要課題の一つとなってきた。

「ですから技術立国、投資立国、外交立国、教育立国などを進めることによって、不可欠産業は生まれてくるのだと思います」

 民間の活力と高市内閣の『17の戦略分野』政策を掛け合わせることが、国内の産業空洞化を防ぐことになる。

 こうした中、経済リーダーの取るべき基本姿勢とは何か?

「経営トップを含めた経営陣が投資へ向け、チャレンジング精神を強く持つということ。守りの経営から攻めの経営ですね。(日本は)守りの経営でデフレが長引いてしまったわけで、剰余金がたっぷりある。その剰余金をいかに投資に向けて、効果的に使っていくかということですね」

 

不測事態が頻発する時代

 小路氏は1951年(昭和26年)11月生まれ。1975年に青山学院大学を卒業後、アサヒビール(現アサヒグループホールディングス)に入社。10年間の労働組合専従などを経て、2000年人事戦略部長。その後、執行役員を経て、2007年常務取締役、2011年アサヒグループホールディングス(HD)取締役、アサヒビール社長。2016年アサヒグループHD社長兼COO(最高執行責任者)、2018年社長兼CEO(最高経営責任者)に就任。2021年に勝木敦志氏に社長職をバトンタッチし、会長に就任という足取り。

 小路氏は社長時代の2019年、経営理念を刷新し、『期待を超えるおいしさ、楽しい生活文化の創造』というミッションを掲げた。この経営理念下で生まれたのが『スーパードライ生ジョッキ缶』。コロナ禍で、外でビールが飲めない中、自宅で生ビールを飲む感覚が味わえるということでヒット商品となった。

 そして、成長投資として、社長時代に5年間で2兆4000億円を海外に投資。西欧、中東欧、豪州でトップブランドを持つ企業を買収し、現在は全売上高の50数%、利益の約6割を海外であげるまでになった。

 ちなみに、2025年度12月期第3四半期は売上高2兆1548億円(前期比0.6%減)、営業利益2024億円(同5.5%減)と減収減益となった。

 これは、2025年9月にサイバー攻撃を受けたことによって、商品を生産・出荷することができなくなった影響が大きい。

 海外のハッカーによるランサム(身代金)ウェア攻撃であったが、同社は要求された身代金の支払いを拒否。半年近い間、業務に影響が出たが、現在は完全復調に向かっている。サイバーセキュリティの難しさを象徴する事件であったが、どの企業も同様の被害に遭う可能性があり、他人事ではない。

 インターネットやAI(人工知能)の登場によって、最先端技術の活用で得られるメリットが大きくなる半面、その隙を突いた新手の犯罪が登場するというデメリットもある。こうした矛盾が同居する時代をわたしたちは迎えている。

 世界は今、『分断と対立』の時代に入り、価値観や利害、それぞれの思惑が激しくぶつかり合う。日本はGDP世界第2位から4位に転落し、近いうちにイギリスやインドにも抜かれる見通しだが、潜在力を発揮すれば、日本は世界をつなぐ役割を担うことができる。では、日本はどう動くべきか。

「日本は課題解決先進国としての潜在力はあります」という考えを小路氏は示し、「チャレンジが大事だと思います」と語る。

 

若い日の〝もがき〟が……

 小路氏は社会に出て約50年。アサヒビール(現アサヒグループHD)に入社し、28歳から38歳まで同社労組の専従に就いた。当時の労組幹部の社会主義に傾いた価値観には違和感を覚えつつ、社員の雇用の安定、働き甲斐が感じられる会社づくりに貢献したいとの思いは強かった。

 旧社名は『朝日ビール』であったが、当時は業績不振で〝夕日ビール〟と揶揄されることもあった。

 希望退職者の募集も実行され、「自分たちのことを忘れないでくれ」と退職する社員から涙ながらに訴えられ、組合専従として辛い経験もした。

 この時の経験がその後の経営者人生に「大きな影響を受けました」と語る小路氏。

「異分野とかイデオロギーに20代、30代に触れたことは良かったと思っています。(労組は)同質化社会ですからね。その中でどういう人生を歩んでいくのか。どう生活設計を、キャリアプランをつくっていくのか。それは同質の考え方だけでは完全に幸せなものにならない」

 小路氏は若き日の経験をこう述懐しながら、「やはり違う意見の人と交わらないと成長しませんね。そこで自分が磨かれ、新たな発見もできるわけですからね」という感想を述べる。

 メーカーというのは、ホールディングス制であっても、「常に得意先を含めた現場に行って、得意先の声や社員の声なき声を聞いて、それを経営にどう反映するかが非常に大事だと思います」と小路氏。

『人』の質を高める経営は、新しい国づくりにつながる。