
「脱炭素社会に向けてサステナビリティと経営を両立させ、日本の産業競争力を高めたい」─。当社はサプライチェーン全体のGHG(温室効果ガス)排出量算定・排出量可視化、環境項目の一元管理のソリューションを提供している会社です。
なぜ環境に関する事業をやっているかは、わたしのこれまで歩んできた人生全てが影響しているからと言えます。
わたしは小学生の頃に建築家になりたいという夢を持ち、浪人を経て東京大学の工学部建築学科に進みました。しかしそこで大きな決断に迫られます。
建築家になるためには意匠系研究室に進むのが王道ですが、そこでは部活のように毎日模型を作ったりプロジェクトに参加したりせねばならず、中学から打ち込んできたラグビーと両立が不可能でした。
まだカーボンニュートラルという言葉が世の中で言われていない頃でしたが、建築家の夢を捨て、断熱材や建物の省エネ性能の評価を行う建築熱環境の研究室を選択します。そうして大学生活はラグビー部の週6日の練習に打ち込む日々。4年生ではキャプテンとして、勝ちに行くためにチームマネジメントも経験しました。
建築家を諦めたわたしは、社会人として一番成長できそうな金融業界を選び、JPモルガンに進みます。しかし勤めて3年、ある日突然、会社に立ち入れなくなりました。リーマンショックで解雇されたのです。この経験は非常に強烈なものでした。
このピンチの時に最初に声を掛けてくれたのは、浪人時代の友人で、東大少林寺拳法部のキャプテンとして共に高みを目指していた仲間でした。彼は三井物産で働いていて、「中途入社の試験を受けろ」と誘ってくれました。人材不足だと聞いていたのですが、彼はわたしが入社したあとに金融業界に転職していきました(笑)。
三井物産では大企業やベンチャー企業と組み、ゼロからつくりあげるビジネスが社会課題につながる尊さを何度も経験しました。海外企業と日本企業で働いた経験があるからこそ、世界における日本の産業競争力を高めたいと思うようになりました。
サステナビリティの活動は、欧州のルールではかると日本は遅れていると言われがちですが、わたしは違うと思っています。
日本には古くから八百万の神という信仰があり、自然や物を大事にしてきた文化がある。つまり、違う角度から見れば元来サステナビリティの価値観を持ち、行動してきました。ですから今後日本は、海外の物差しではなくアジアを巻き込み新しいルールをつくっていくことが重要で、わたしは今そのことに全力投球しています。
過去の出来事全てが今のわたしに繋がっていて、おおもとを辿ると、大学時代にラグビーに全力投球する道を選んだあの決断が、現在に大きな影響を与えているというふうに思います。
勝ちにこだわり学生時代を過ごしたラグビー。今でも試合前の夢を見るという
