
父から「任せる」と言われたものの、当時の会社の状況は悲惨でした。
主力製品は微粉末タイプ「龍角散」、水なしで口の中でサッと溶ける顆粒の「クララ」、「トローチ」という剤型を定着させた「龍角散トローチ」でした。しかし、何をやっても売り上げは落ちる一方、新製品もいろいろ出してはいましたが、いずれも鳴かず飛ばずで、最終的には返品、廃棄と死屍累々でした。
昔は物流事情が悪かったため、各製品を詰め合わせにしたセットを値引きして全国の問屋さんに大量に送り込む「特売」と呼ばれるイベントが一大セレモニーになっていました。どうもこのシステムは私の曽祖父の発案だったようです。
しかし物流事情が改善しても、相変わらずこれが続けられており、期末に売れ残って、まだ問屋さんには十分在庫があるにも関わらず、無理をお願いして追加で在庫を持っていただく。
4月にはそれが返品として返って来るという連続でした。つまり公然と粉飾が行われていたわけです。問屋さんからの手形も割り引かなくてはなりませんでした。
工場の設備にしても、老朽化が進み、いつ壊れるかも知れない状態で大規模な設備投資が必要でした。社員の高齢化も進み、既に退職金積み立ても十分ではありません。つまり、この会社は売り上げが悪いだけではなく、既に多くの時限爆弾を抱え込んだ状態だったのです。
会社の株に関しても、父は自分の相続に手一杯で、次の世代の対応まではできておらず、そのまま株を相続すると、多額の相続税が発生することは明白でした。会社の状態が悪くても、当時の算定方法だと株価が不当に高くなってしまうのです。
念のため家内には事情を話しておこうと思いました。以下、家内との会話です。
私: このままだと売れない株であるにも関わらず、多額の相続税が発生する。しかも個人保証の40億円も付いてきてしまう。相続放棄という手もあるがどうするか。
家内: 社長夫人になりたくて結婚したわけでもないから一向に構いませんけど、アナタはご先祖様にご恩返ししなくて良いのですか。皆さんに龍角散を買っていただいたお陰で音楽も勉強できたし、10年間お仕事を経験して、これからというときに諦めるのですか?
私: 40億円の借入は予想外だった。しかも今の会社に良いところは何もない。これから良くなる見込みもない。もしかしたら一生借金を払い続ける人生になるかもしれない。それでも良いのか。
家内: 私は元々レールを敷かれて、そこを走るだけの人生は面白くないと思っていたのです。やるだけやったらどうですか?
私: 分かった。そこまで覚悟があるのなら頑張ってみる。
家内には頭が上がりません。