
奈良県橿原市にある県立畝傍高校は、県内でも有数の進学校だが自由な校風でも知られる。現在の高市早苗首相の出身校としても有名。神武天皇ゆかりの橿原の宮の近くであり、歴史と伝統を重んじる気風も強い。今回は阪和興業相談役の古川弘成氏、南都銀行会長の橋本隆史氏、近鉄グループホールディングス会長の都司尚氏、長谷工コーポレーション社長の熊野聡氏、奥村組社長の奥村太加典氏が畝傍高校の精神、思い出を語り合った。(司会・本誌主幹 村田博文)
阪和興業相談役 古川 弘成
南都銀行会長 橋本 隆史
近鉄グループホールディングス会長 都司 尚
長谷工コーポレーション社長 熊野 聡
奥村組社長 奥村 太加典
多くの卒業生が校訓を座右の銘に
─ 畝傍高校は名勝・大和三山の1つである畝傍山の麓にある伝統ある学校ですが、阪和興業相談役の古川弘成さん、校風から聞かせて下さい。
阪和興業相談役・古川弘成
古川 初代天皇・神武天皇が即位されたとされる橿原にあるという伝統は大きいと思います。そして校訓である「至誠、至善、堅忍、力行」は卒業生全員の中に焼き付いていると思います。
神武天皇ゆかりの地ということもあり、校内には明治天皇の「御真影」と「教育勅語」の謄本を保管していた金庫や「貴賓室」が現在もあります。
現在の校舎は1933年(昭和8年)の建造ですが、鉄筋コンクリート造で当時としては最高水準の耐震建築としたことで現在も使われています。
─ 南都銀行会長の橋本隆史さんは、なぜ畝傍高校に入ろうと思われましたか。
橋本 私は生まれが県南部の吉野町で近鉄電車の終着駅のある町です。吉野山の麓で、桜が綺麗なことでも知られています。
─ 吉野は後醍醐天皇が「南朝」を開いた場所としても有名ですね。
橋本 そうです。私は近鉄電車で1時間ほどかけて通学していました。実は父が旧制畝傍中学出身なんです。私は3人兄弟の一番下ですが、子どものうち1人は畝傍高校に行かせたかったようで私が行くことになりました。実際、父は非常に喜んでくれて、旧制中学時代の思い出を楽しそうに話していましたね。
入学する前は、真面目で勉強ばかりするような高校かもしれないと思っていましたが、入ってみたらヤンチャな生徒も多く、一気に好きになりましたね。
南都銀行会長・橋本隆史
─ スポーツは何か取り組みましたか。
橋本 私は弓道部でした。私たちの代では行けませんでしたが、1つ上の先輩たちがインターハイに出場しましたし、最近ではインターハイで優勝するなど強い部ですね。
ちなみに私の息子も畝傍高校なんです。しかも、弓道部に入ったので親としては嬉しかったですね。父の気持ちがよくわかりました。
─ 近鉄グループホールディングス会長の都司尚さん、橿原の風土と、そこにある畝傍高校への思いは?
都司 私は通学に1時間ほどかかる県北東部の宇陀市からバスと近鉄電車を乗り継いで通っていました。先ほど、お話に出た校舎は、外観だけでなく、重厚な階段の手すりや黒い油引きの床張りなどが歴史を感じさせ、非常に誇らしい建物だと感じていましたね。
近鉄グループホールディングス会長・都司 尚
妹尾河童さんの自伝的小説『少年H』を映画化した際には、校舎がロケに使われました。戦時中、海軍経理学校に貸与されていたこともあり、米軍による機銃掃射の痕も残っています。
聞いたところでは、関東大震災の後だったこともあって、非常に強固な建物を建造したそうです。おそらく、もう少し後の建設だったら、資材不足でここまでの建物は建たなかっただろうと言われています。
─ 長谷工コーポレーション社長の熊野聡さんが畝傍高校を志望した理由は何でしたか。
熊野 私は県北西部で大和川が流れる河合町の出身ですが、県内のもう1つの進学校である奈良高校も、畝傍高校も同じくらいの距離なんです。
中学校の時の進路指導の時に、先生から「君は畝傍タイプや」と言われたんです(笑)。何をもって畝傍タイプと言ったのかは未だに謎なんですが、その一言で志望しました。
奈良高校はサラリーマン家庭の子が多く、畝傍高校は地元で商売をしている家庭の子が多いせいか、気風が自由という特徴がありました。私の家はサラリーマン家庭ですが、畝傍の自由な雰囲気が合いましたね。
古川さんがご紹介された校訓「至誠、至善、堅忍、力行」は座右の銘にしています。高校の同級生が、私が社長に就任したお祝いにと書を書いてくれて、それを額装して社長室に飾っているんです。この校訓は橋本さん、味の素元社長の西井孝明さんなど、卒業生の多くが座右の銘にしておられます。
また、在学中は交流がありませんでしたが、奥村さんと私は同級生なんです。卒業後の同窓会で初めて遠くから奥村さんを拝見し、会社に帰ってから弊社会長の辻(範明氏)に「奥村社長は私の同級生なんです」と報告したところ、会食をセットしてもらい、面識を得ました。
─ 奥村組社長の奥村太加典さんは高校時代を振り返って、どういう思いがありますか。
奥村 私は香芝市という大阪府寄りの市の出身です。高校時代を振り返ると、のんびりしている学校だったなという印象があります。畝傍高校は奈良県中部・南部を代表する進学校で、1つのステータスでしたから、「畝傍に行けたらいいな」と思っていました。
入学後は多くの人から「いい学校に入りましたね」と言われ、安心してのんびり過ごした面もあります(笑)。
また、私は奥村組の5代目社長ですが、2代目の奥村太四郎が旧制畝傍中学を卒業しており、そのことも多少意識していました。
─ スポーツは何か取り組みましたか。
奥村 私はバレーボール部で、頭を鍛えるよりも体を鍛えていたという感じでした(笑)。2学年上、2学年下はいずれも奈良県で2位になっていましたが、私たちの代は県でベスト16が最高の成績でした。
女性初、奈良県初の高市早苗首相
─ 現在の高市早苗首相が畝傍高校出身ですが、その他に多くの人材を輩出していますね。
古川 「真珠湾攻撃」で「トラトラトラ」(奇襲ニ成功セリ)と打電した淵田美津雄・海軍中佐(最終階級は大佐)は卒業生ですね。一時は最も多く防衛大学校に学生が入学していた時もあったんです。
また、政治家では文部省(現文部科学省)の大臣などを歴任した奥野誠亮さんもおられましたし、国際連合日本政府常駐代表特命全権大使の吉川元偉さんも卒業生です。
実業界では、元三井住友フィナンシャルグループ社長の西川善文さん、カプコン会長の辻本憲三さん、前川製作所創業者の前川喜作さん、先程お名前の出た味の素元社長の西井孝明さんなどがおられます。SCSK初代社長の中井戸信英さんとは同期です。
─ 高市さんが首相に就任して、改めて畝傍高校が注目されましたね。
奥村 本当に喜ばしいことです。私は高市首相の1学年下なのですが、姉が首相と同級生だったこともあり交流があります。衆議院で首相に選出された時、予め打っておいたお祝いのショートメールを即座に送りました。首相に未読メールが積み上がっていたこともあり、返信は25日後に届きました(笑)。
その後、高市首相に対するメディアなどからのバッシングがあった際には「私の周りはみんな総理を応援しています」というメッセージを送ったところ、それには即日返信が届きました。
古川 首相になられる前に、奥村さん、熊野さん、私、当社社長の中川洋一で食事をさせていただいたことがあります。高市首相は業界の生の声を聞こうという意識を強く持たれているなということを感じましたね。
奥村 その時には、今の働き方改革は、特に建設業にとっては供給力を極端に落とすものになってしまっているので、このままではしわ寄せが様々なところに出てきてしまうというお話はさせていただきました。
熊野 私は食事をご一緒する前、報道で見ている限りは「シャープな方だな」という印象でしたが、お会いして関西弁などが出ておられる姿を目の当たりにして、一気にファンになりました。
私にとって高校に加えて大学の先輩ということもありますが、考え方、お話の仕方なども含めて、非常に素晴らしい方だと思います。
─ 世界が不安定な時に強い経済、強い日本をつくるというメッセージが若い世代を含めて響き、それが高い支持率につながっていると感じますね。橋本さん、都司さんは高市首相の誕生にどういう思いを?
橋本 私は総務大臣、自民党政調会長時代などにお会いしていますが、21年に自民党総裁選に立候補されて惜しくも敗れた時にたまたまお伺いしたんです。
落ち込んでおられるのかと思ったら、ものすごいファイトで「橋本さん、次も行くからね」とおっしゃっており、非常に強い意志を感じました。今回のご就任は本当に嬉しいですね。
都司 高市首相が畝傍のご出身だということは、もちろん知っていましたし、その後のご活躍にも注目していました。今回、首相にご就任されたわけですが、女性初ですし、奈良県初のことです。これも非常に誇りですね。
思い出に残る名物先生たち
─ 畝傍高校は共学ですが、男女の比率は?
都司 我々の時は2対1くらいだったと思います。当時は9クラスあって3つが男子クラス、残りが男女クラスでした。
古川 私の時はコースが文化系コース、文理コース、理科系コースと分かれるのですが、理科系はほぼ男子でしたね。
男女クラスに入れるかどうかというのが、当時の男子生徒の関心事でしたね。私は1年、2年と男子クラスだったのですが、3年で「頼むから」という思いで文理コースに行って男女クラスになり、嬉しかったことを覚えています(笑)。
奥村 かつては文理コースがあったんですね。私たちの時は文系か理系かだけでしたね。
─ 伝統校には名物の先生も多いかと思いますが、思い出に残る先生はいますか。
都司 私は高校3年生の時に教わった化学の塚田先生が印象的ですね。京大工学部化学系学科を卒業され、元々、通産省の官僚で研究職だったそうですが、教育を通じて国家を変える人間を育てたいといって教師になられたと聞きました。
最初に言われたのが「私は受験向けに教科書に書かれたことをそのまま教えるつもりはない、化学の真髄を教えたい。おそらく1年かけて教えられるのは受験に必要な範囲の半分、あとは自分で勉強せよ」とのことで、受験まで1年を切る中、大変不安になりました。
ただ、授業が始まってみると化学の本質的なところまで掘り下げた内容は非常に興味深く、それまで化学イコール暗記という概念が覆され、一気に化学が好きになりましたね。
奥村 私は2年生の時の担任で、柔道を教えてくれた深瀬先生です。天理大学の出身でオリンピックの候補選手にもなったことがある方でした。
プールの授業をさぼって正座させられたことや、柔道の授業で油断されたのか、私が2回投げたところ、あらゆる技で投げられたことを思い出します(笑)。
古川 私は1年生の時に教わった山崎先生です。私は中学は卓球部でしたが、高校では小説や詩を書いたり、弁論部に所属していた文化系でした。1年生の時、気になる女の子にラブレターを書いたんです。そうしたら、その女の子の親が「こんな手紙をもらった」といって学校に持ってきたんです。
山崎先生がその手紙を受け取って「女の子にラブレターを出すくらい元気のある人間がいる。みんなも勉強ばかりせず見習いなさい」と言って、出し手の名前を出さずに手紙を読み上げたんです。しかし、すぐに私が書いたと広まって、今でも同窓会では「ラブレターを出した古川くん」と言われます(笑)。
熊野 残念ながら、あまり先生の名前を覚えていません(笑)。それぐらい高校時代は勉強しなかったですね。私は浪人の1年間で一生分勉強したと思います。
浪人して2カ月くらいの時、畝傍高校の同級生から「遊んでいるけど、一生に一度くらい真剣に勉強したら?」と言われて勉強をしたのがよかったですね。その同級生には感謝しています。
橋本 私は3年生の時の担任である小泉先生です。我々に「自由に物事を考えて、思う通りにやりなさい」と言ってくれて、自由な形で高校最後の1年間を過ごすことができました。
考え方についても右から左から、どちらも知らないといけないということ、自由に発想することの大事さも教えてもらいました。
それぞれが語る奈良県活性化への思い
─ 古川さんは商社のトップとして国内外で活動してきたわけですが、奈良県活性化への思いはいかがですか。
古川 事業としては、日本国内が中国の影響で産業縮小が始まっていますから、東南アジアに事業を伸ばしてきました。加えて、現在の社長である中川が米国事業出身ですから、米国を今後伸ばしていこうとしています。その意味で物事を広域的な視点で考えています。
例えば交通面では大阪府と近く、往来が多いですから、京奈和自動車道の早期開通で交通面での充実を進めていく必要があります。周辺の大阪、京都、和歌山も含めて、企業立地にしても観光にしても、広域的な考え方で進めることが重要です。
─ 橋本さんは奈良商工会議所会頭も務めていますが、奈良県経済の現状をどう見ますか。
橋本 私は生まれも育ちも奈良で、奈良の銀行で働いており、皆さんのように全国展開ではありません。その視点から見て、観光が奈良公園周辺に固まっているという課題があります。
できれば奈良盆地全体、さらに私の地元である吉野も含めて、奈良県全体を見据えた活性化に向けて、奈良の産業界全体、地方銀行としても注力していきます。
それが地銀の使命ですから、今後も地域の方々と一緒に頑張っていきます。周辺には神社仏閣が世界遺産を含めてありますから、それを次の30年、50年に向けて残していくような活動も進めていきます。地道ではありますが、長期的な目線で取り組むことが重要です。
─ 熊野さんの会社はマンションを柱とした建設業に取り組んでいるわけですが。
長谷工コーポレーション社長・熊野 聡
熊野 奈良県における本業に加え、明日香村と官民連携包括協定を結んで応援しているんです。古民家再生や、遊休農地を使ったコミュニティファーム、飛鳥ハーフマラソン特別協賛など、観光にもつながる取り組みを進めており、今後も地域の活性化に向けてお手伝いをしていきたいと思います。
─ 都司さんは鉄道を通じて、広域に活動していますね。
都司 私も広域でエリアを捉える視点は非常に重要だと考えています。関西では観光業が今後もさらなる成長が期待される産業となりますが、奈良県内においては県北部の奈良公園周辺に観光のお客様が集中し、いわゆるオーバーツーリズムの状況です。
一方で、奈良県中部では、畝傍高校の南に位置する「飛鳥・藤原の宮都」について、世界遺産登録に向けた取り組みが進められています。
さらに南には、世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」などの和歌山方面、東には伊勢神宮をはじめとする三重県方面があり、それらを含めた紀伊半島全体を一体の観光エリアとして捉えていく必要があります。我々も他の鉄道事業者や自治体などと連携しながら、広域観光の推進に取り組んでいきたいと考えています。
また、インバウンドの方々に対しても、広域的な周遊を意識し、例えば大阪を起点に奈良、三重、和歌山と紀伊半島を一周していただくような周遊ルートを提案し、関西全体の魅力向上につなげていくことが重要です。
─ 奥村さんは建設業を通じて、様々な地域を活性化させていますね。
奥村組社長・奥村太加典
奥村 奥村組の本社は大阪にありますが、奈良が創業の地です。その奈良に対しては、建物の建築、インフラ整備など、まさに本業の部分を通じて、しっかりと貢献していきたいと思っています。それに加えて、企業版ふるさと納税等を通じた社会貢献にも取り組んでいきたいと考えています。
また、リニア新幹線が奈良に入ることが見通されています。その時に広域で発展するためには奈良自身がもう少し強くなる必要があるのではないかと思います。
強くなることで、他の都市、エリアともさらにつながることができると思うんです。
その意味でも、リニア新幹線が早期に入ってくれることがありがたいですし、大きな起爆剤になるのではないかと思います。
国土交通省出身の作家・歴史学者である竹村公太郎さんが、奈良を「1000年の長い眠りについた街」と表現されています。
今の奈良は東海道新幹線、名神高速道路などの国土軸から外れてしまっていることが、奈良が長年発展していない原因だということを書かれています。リニア新幹線は、それを大きく転換するきっかけになってくれるのではないかと期待しています。




