アカマイ・テクノロジーズは9月24日、ゲストスピーカーを招きAI活用のトレンドやクラウド活用の先進的な取り組みを紹介するイベント「Akamai Cloud Day 2025」を開催した。
本稿では、AIエンジニアや起業家、SF作家などとして知られる安野貴博氏のセッションについてお届けしたい。安野氏は2024年の東京都知事選への出馬や、政治団体「チームみらい」の設立と第27回参議院議員選挙への出馬など、活躍の場を広げている。
安野貴博氏の都知事選大躍進を支えた「ブロードリスニング」とは?
安野氏のセッションタイトルは、「AI時代のDX戦略~変革を実際に起こすために必要な考え方~」だ。同氏はステージに登場すると、「生成AIを用いたエクストリームなDX(デジタルトランスフォーメーション)の一例をご紹介したい」と述べ、都知事選および参議院議員選挙でのAI活用の例を披露した。
都知事選を振り返ると、安野氏は2024年6月に記者会見を開き出馬の意思を表明してから、約1カ月後の7月7日の投開票で15万4638票を獲得した。この結果は小池百合子氏や石丸伸二氏らに続き5位の結果だった。
なお、この得票数は過去に22回行われた都知事選の歴史の中で、30代で第1位、議員経験なし、かつ政党からの支援を受けていない候補者の中でも第1位だという。
なぜ、当時ほぼ無名だったAIエンジニアが15万票を獲得できたのか。安野氏はその戦略について、生成AIを活用した「ブロードリスニング」による双方向型のコミュニケーションにあると説明した。
ブロードリスニングとは、テレビなどを使って一人の声を多数に配信するブロードキャストと逆の概念を示す。これまでの選挙戦は、ブロードキャストによっていかに多くの人に主義・主張を届けるのかによって繰り広げられてきたと言える。
しかし昨今はスマートフォンやSNSが発達し、誰もが自分の意見を表現できるようになった。そこで安野氏が着目したのがブロードリスニングである。単に広く意見を募集するだけでは、情報の受け取り手がパンクしてしまうため、ここにAIをうまく活用して情報を集約した。
「テクノロジーを使って、発信だけでなく受信もアップデートできると考えた。都知事選に出馬した56人の候補者の中で、無名の私が埋もれずに15万票以上を獲得できたのは、このメッセージの出し方で差別化できたから」(安野氏)
ブロードリスニング戦略その1 -「聞く」
ブロードリスニングを実現するために、安野氏は選挙活動を「聞く」「磨く」「伝える」に分解し、これらのサイクルを高速に回す中でブラッシュアップを試みた。
まず「聞く」の段階では、安野氏が提出したマニフェストに対する意見を可視化した。その一例として、NewsPicksで石丸伸二候補との対談動画へ寄せられたコメント分析を実施。この動画には約1万件のコメントが寄せられたそうだが、これを人が目を通して分類するのは非常に手間がかかる。
そこで、コメントに対しLLM(Large Language Models:大規模言語モデル)関連のエンベディング(埋め込み)という技術でベクトル化し、内容が似ているコメントをクラスタリングした。これにより、どのような内容に対する賛同や批判が多いのかを大枠で理解できるようになる。各クラスタのコメントはLLMが要約するほか、代表的なコメントの抽出なども可能だ。
他にも、多くの意見を募集するために「喋れるマニフェスト」を活用した。これは、マニフェストを見ながらチャット形式のUI(ユーザーインタフェース)でAIと対話できる仕組みで、利用者は疑問や意見をAIに投げかけることができる。
意見が提出された場合にはAIが論点を整理し、根拠や背景を深掘りした上で、意見書の形式に整えて安野氏への提出まで対応する。提出した意見は、その後の反映状況まで追跡可能とのことだ。
ブロードリスニング戦略その2 -「磨く」
続いて「磨く」の段階では、ソフトウェア開発のバージョン管理プラットフォームとして使われるGitHubを用いて、意見や変更提案ができる政策改善の仕組みを構築した。
この仕組みは、OSS(オープンソースソフトウェア)の開発工程から着想を得たそうだ。OSSの開発は多くの人によって支えられているが、GitHubのようなバージョン管理ツールやコラボレーションツールが、一役買っていると考えられる。
そこで、このOSS開発の思想を政策の改善に応用できれば、多くの人で"政策のバグ"を修正し改善できるというのが、安野氏のアイデアだ。
その結果、都知事選期間中の6月21日~7月6日の15日間で、232個の課題が提起され、104のプルリクエスト(変更提案)があり、そのうち85個が実際に政策に反映されたとのことだ。
なお、GitHubを使用していない人からも意見を募集するために、現在は「喋れるマニフェスト」からAIとの対話を介して提案できる仕組みを構築中だという。
ところで、政策に関する議論は往々にして白熱しがちなものである。特に安野氏が実現したような広く意見を集めるプラットフォームがあれば、なおさらだ。議論は荒れなかったのだろうか。
安野氏はここでもAIを活用した。荒らし目的のコメントや建設的ではない意見はAIによってフィルタリングすることで、人が対応する手間を削減したという。
同氏は「AI技術を突き詰めればさらなる可能性があるはず。議論の中には『口ぶりや表現は悪いがロジックとしては正しい意見』もある。LLMは表現とロジックを分離して翻訳する作業が得意なので、将来的にはAIによって建設的な議論のためのモデレーションも期待できる」と説明していた。
ブロードリスニング戦略その3 -「伝える」
「聞く」「磨く」を経てブラッシュアップした政策を、より多くの人に届けるためにも安野氏はAIを活用した。それは、AIによってYouTubeの生配信をするというもの。ここまでの活用例と比べると、よりキャッチーなAIの活用法ではないだろうか。
具体的には、YouTube生配信のプラットフォームを活用して、「AIあんの」がリアルタイムに寄せられたコメントや意見に回答する仕組みだ。このAIはRAG(Retrieval-Augmented Generation:検索拡張生成)の技術を活用しており、安野氏らの政策をテキストやスライドで学習している。そのため、寄せられた質問に対して適切なスライドを示しながら、AIが解説する。
現在は電話版の「AIあんの」もリリースしており、YouTubeだけでなく電話でも意見やコメントを寄せられる。また、集められたコメントのログデータはAIが収集しており、さらなる政策の改善などに利用される。
2025年の参議院選においては、7月3日~19日までの17日間で、YouTube版で約2万件、電話版で1350件のコメントに回答したとのことだ。人であればこれだけ多くのコメントに対応するのは難しい。まさに24時間稼働しても疲れず、寝ずに対応できるAIならではのコミュニケーションだと言えるだろう。
DXは単なるデジタル化ではなく新たな価値創造を
DXを説明する文脈で、「デジタイゼーション」と「デジタライゼーション」に分類されることがある。デジタイゼーションは既存業務のアナログな作業をデジタル化することであり、例えば紙の文書をスキャンして電子化することなどが相当する。
一方のデジタライゼーションはデジタル技術やツールの利用を前提として、既存業務のフローや仕組みそのものを変える手法だ。
これまでの選挙戦は、ブロードキャストという既存の仕組みをいかに効率化するのかが着目されてきた。しかし安野氏らが取り組んだブロードリスニングは、AIやデジタルツールが高度化した現代だからこそ実現された、既存の枠組みにはとらわれない仕組みである。
安野氏は「選挙とAIのような一見すると遠そうな分野であっても、AIの使い所は山ほどある。皆さんのビジネスの現場においても、AIを活用して改善できる解決策はたくさんあるだろう。DXと称して既存のプロセスをただデジタル化するのではなく、ぜひ新しい価値創造にトライしてほしい」と会場にメッセージを送り、講演を締めた。









