
7月に米国でステーブルコイン普及法(ジーニアス法)が成立した。トランプ大統領はステーブルコインの普及によって「世界の基軸通貨としてのドルの地位を次世代にわたり確保する」という。トランプ関税で揺らぐドル通貨覇権を支える切り札になるのか。
まず関税導入の米国側の言い分を振り返ると、米国が主導する安全保障や世界貿易体制、国際金融体制に各国がただ乗りしているから、費用を負担すべきということだった。ただ、現実には米国が覇権や通貨覇権から獲得する利得は相当大きい。それが金融やIT部門に集中し、疲弊する製造業労働者や地域経済に還元されないことが問題なのだ。覇権や通貨覇権の維持が難しくなったのは、中国やグローバルサウスの台頭だけが理由ではなく、所得再分配など国内でそれらを支える正統性が揺らいでいるからだ。
ならば米国にとって合理的な選択は、国内で適切に所得再分配を行い、覇権や通貨覇権の国内的な正統性や信認を高めることではないのか。関税導入で、負担を海外に強いることは、ドル通貨覇権の動揺を助長するだけに見える。
この謎を解く鍵が、冒頭で紹介したステーブルコインによる通貨覇権戦略なのだろう。関税導入などで国家制度に裏付けられたドル基軸通貨体制が多少揺らいでも、ドル連動型のステーブルコインを普及させることで、国家制度の外側から通貨覇権を維持する狙いがあるのではないか。
ステーブルコインとは、法定通貨と1対1で価値が連動するように設計されたデジタル通貨のことだ。ブロックチェーン上で安定的な決済手段や価値保存手段として利用され、価値の不安定なビットコインやトランプコインとは異なる。米国連邦準備制度理事会とは無関係に発行されるが、米国短期国債などの安全資産を裏付けに持つため、ドル通貨と1対1に連動する。ドルキャッシュと同じように、銀行口座や信用履歴を必要としない安全通貨であり、高インフレで通貨価値が不安定なグローバルサウスの国々で、利用が徐々に広がっている。
今後、ドル連動のステーブルコインが普及すると、世界の通貨秩序はどうなるのか。表面的には、国際通貨体制において、ドル通貨のシェアが徐々に下がり、ユーロと人民元のウエイトが高まる形で、複数基軸通貨制に徐々に向かうというのが一つの有力なシナリオだ。しかし、そこにステーブルコインが加わると、世界通貨秩序は、単なる複数基軸通貨制ではなく、制度的通貨と非制度的通貨が混在するハイブリッドで不安定な多極構造に向かう可能性がある。ステーブルコインが国家制度の外側から侵入し、欧州や中国などの通貨主権を侵食する形で膨張するからだ。
だから欧州は中央銀行デジタル通貨(CBDC)の導入を急いでいるのだろう。日本の政策当局が、通貨主権が侵食されるリスクについて思考停止に陥っていないか心配だ。