【金融国際派の独り言】長門正貢・元日本郵政社長「ランストン買収と証券業務ライセンス」

 1929年、米国の株価大暴落に始まる大恐慌では銀行破綻が相次いだ。公共性の高い銀行業の安全経営確保を狙った一つの措置が33年の銀証分離法グラス・スティーガル法だ。

 その後、証券業務再開は銀行業界の長らくの悲願だったが、諸制限付きながら再び証券業務が銀行に許されるのは87年のことだ。

 FRB(米連邦準備制度理事会)がモルガン・ギャランティー銀行等4行に社債引受を認可した。その後、89年にはまずモルガンによる株式引受も認可する。98年にはシティバンクとソロモンブラザーズを傘下に持つトラベラーズとが合併、銀証一体の事実が先行する。

 そして、99年には銀証分離法を廃止するグラム・リーチ・ブライリ―法が立法化され、銀証ガチンコ競争の時代に入るが、当初の認可は87年だった。

 興銀が米国債プライマリー・ディーラー(国債市場特別参加者)のオーブリー・G・ランストンを買収し、私が派遣されたのは、その87年のことだ。

 銀行・証券43社が参加するプライマリー・ディーラー協会の議長職を歴任した名門ハウスで、ウォール街に隣接のニューヨーク証券取引所ビルに本社を置く高収益会社だった。

 買収の狙いは①米国債トレーディング業務で高収益を継続しているノウハウを学ぶこと②流動性高い大・米国証券市場での立ち位置を強化すること③米国での証券業務ライセンスを取得すること、だった。

 専門弁護士やコンサルも交え、さまざま検討の後、91年に証券業務の申請書をFRBワシントン本部に提出した。

 だが、90年バブル崩壊後の邦銀の脆弱性を懸念したFRBは、邦銀からの全申請を拒否する姿勢に転じ、我々の申請書は後日、差し戻されてしまう。

 私が2003年にみずほ銀行・米州代表として再赴任した際、真っ先に取り組んだのがFRBへの証券業務の再申請だった。今回は幸い、06年12月に邦銀第一号として証券業務ライセンスを取得することが出来た。

 今日、みずほ証券が米国で相応の成果を上げている由であるのはご同慶の至りだが、認可を取得するのに、ランストン買収から20年、当初申請から15年を要したことになる。

 バブル崩壊や邦銀大統合等もあり、長い時間がかかってしまった訳だが、課題成就の為には「諦めない種蒔き」が大事だな、とつくづく感じた認可取得案件だった。

 中山素平先輩がおっしゃっていた。翌年の幸せを願う人は、今、花の種を蒔け。10年後の幸せを願う人は木を植えろ。30年後の幸せを求める者は人を育てろ、と。種蒔きでも開花に20年かかることもあるようだ。