《対談》【小長啓一・元通産事務次官&武藤敏郎・元財務事務次官】「日本も中国も先人の知恵に学び、現実的な対話を継続するパイプづくりが大事」

途絶えた日中の「パイプ」をいかに再構築するか─。日本と中国との間では政治的緊張関係が続いている。ただ、日中両国は経済面でお互いに欠かせない関係にある。だが、言うべきことを言い、主張すべきは主張するために必要なこととは何か。1972年の日中国交回復に立ち会った、元通産事務次官の小長啓一氏、中国との対話の機会となる国際会議で重要な役割を占める元財務事務次官の武藤敏郎氏が語り合った。   

                     

国交回復の歴史に学ぶ

 ─ 日中関係が台湾問題などを受け、微妙な状況が続いています。「引っ越しができない関係」である両国が今後どんな関係を築くべきかという時に過去に学ぶことも大事かと思います。元通産事務次官の小長啓一さんは、1972年に田中角栄首相の日中国交回復交渉時に秘書官として同行され、事務方として尽力されましたね。

 小長 当時、田中さんは台湾との関係を気にしておられました。米国を始めとした西側諸国は、台湾は諸国と外交関係を結ぶなどしていましたが、ある種の独立体ではないという認識も持っていました。日本としても曖昧な立場を取っていました。

 ところが田中角栄首相は、公式には言及しないものの、台湾は中国の領土だとせざるを得ない空気、国際情勢の中で訪中せざるを得ませんでした。

 首相が訪中する際、本来は政府や与党の中で交渉方針などを決めて送り出すのが普通ですが、当時は政府も与党も意見がまとまっていない状況でした。田中さん自身は自分の考えをまとめていたわけですが、決定的なポイントとなったのは米国の動きです。

 ─ 当時、1971年7月に米国務長官のヘンリー・キッシンジャーが訪中し、72年にリチャード・ニクソン大統領が訪中することを発表しましたね。

 小長 ええ。実際に72年2月にニクソン大統領が訪中することになります。

 71年の発表段階で、田中さんは「中国に一番近いポジションにある日本が、米国に後れを取るわけにはいかない」として、国益の観点から訪中を決断されたわけです。

 本来の自民党のルールでは、政府、党との調整があってしかるべきですが、当時の状況下では、その時間はないわけです。交渉がうまくいかずに帰国したら総辞職にならざるを得ないという悲壮感に満ちていました。

 ─ 当時の田中首相を取り巻く環境を中国も理解していたということですか。

 小長 理解していたと思います。その時点で中国側も日本、田中政権と友好関係を結ぼうと決断するわけです。訪中した田中さんを手ぶらで帰さないために交渉をまとめなければいけないという気持ちで対応したのではないかと思います。

 ただ、現実の交渉を側で見ていると今にも決裂するのではないかというくらいの激しいやり取りをしていたのも事実です。その中で、戦時中の日本軍の行動について「あの街で何人を殺し、何軒の家を壊した」という話が中国側から出されました。

 その際、田中さんは「中国人民に多大なご迷惑をおかけした」と謝罪しました。ところが「スカートに水がかかってチョット失礼」という程度に通訳されたため、その言葉を巡って紛糾する場面もありました。

 民間ベースでの対話再開の行方は?

 ─ 元財務事務次官の武藤敏郎さんは今、日中関係の仕事もされていますね。日中国交回復から54年が経って、今の日中関係になっています。武藤さんは現在、アジアの政・財・学のリーダーが集まる国際会議「ボアオ・アジア・フォーラム」で理事も務めていますが、日中の対話の現状をどう見ますか。

 武藤 今の日本の財界も、中国との交流を何とか復活したいということで、経団連が代表団を送るなどしていますが、中国としては歓待するという雰囲気にはなっていません。ただ、おそらく民間ベースでは交流したいという気持ちが中国側にもあるのではないかと思っています。

 私は、日本と中国の有識者らが両国の課題を議論する「東京―北京フォーラム」で実行委員長を務めています。

 25年11月に開催予定で、航空券、ホテルも手配していたのですが、25年11月の衆議院予算委員会で、立憲民主党の岡田克也氏の質疑を受けた高市早苗首相による、いわゆる「台湾有事発言」を受けて、中国側からフォーラムの開催を延期したいというレターが届きました。

フォーラム

2026年3月に中国海南省・ボアオで開催された「ボアオ・アジア・フォーラム」。民間対話の糸口は?

 ─ 再開は難しい状況だと。

 武藤 我々が機会を見て再開を望むと伝えたところ、中国側は環境が整えば再開することが必要だと思っているという趣旨の返答がありました。ただ、政治的な問題でもあり、我々が環境を整えることはできませんから、現時点において再開の目途は立っていません。

 やはり政治的な解決をしない限り、先には進まないだろうと思います。中国側は、高市首相の発言を撤回するよう執拗に言っていますが、日本側として私も、首相の発言を撤回できるとは思いません。

 ただ、もう少し別の場で、誰かが日本側の真意を中国側に伝え、「棚上げ」するような知恵を出さなければいけないのではないでしょうか。

 ─ かつて中国の最高指導者・鄧小平が尖閣諸島の問題を次代の解決に委ねようと「棚上げ」したケースがありました。

 武藤 そういう知恵を出す努力をすることが大事だと思います。必要なのが、やはり日中間の対話のパイプだと思います。

 トップ、民間など各層での対話が重要

 ─ かつて「政冷経熱」、「政経分離」と言われた時期もありましたが、今は通用しなくなりました。小長さんは中国とのパイプという観点で経済人の役割をどう考えますか。

 小長 日中国交回復前後を振り返っても、小坂善太郎さん、小坂徳三郎さん兄弟を中心としたミッションが民間ベースでありましたが、そうこうしているうちに、先程お話したようなキッシンジャーの動きになり、田中さんの決断につながっていきます。

 日本と中国は一番近い国であり、基本的な友好関係は維持しなければいけません。ただ、人が代わり、情勢が変われば対応も変わるということは客観的に見ておく必要があります。

 それでも基本は、一番近い国同士が十分な意見交換のないままに牽制し合っているのは不幸な事態ですから、それを一刻も早く解決して、相互依存関係を強化していく必要があります。

 その中で、田中さんが当時の中国の周恩来首相との対話の中で、新たな日中関係を築く対話の際に過去、中国は様々なことを学ばせてくれた恩人だということで歴史の話をしています。

 田中さんは鎌倉時代(13世紀)の元寇に触れて「最近、日本が中国を攻めた話ばかりしているけれど、元寇はどうだったんですか」と言ったところ、周恩来は「いや、あれは蒙古だ」と答えました(笑)。そうして「もう、この話はやめよう」といって別の話題になったのです。

 これから仲良くしようという時に、過去の粗探しばかりするのは、害はあっても益はないという判断がお互いにありました。こういう知恵には学ぶ必要があると思います。

 ─ 日本、中国ともに政府は世論も見ていますね。

 武藤 世論は政府の方針や報道によって形づくられるものだと思います。両国の世論は、それを踏まえたものです。例えば日本を訪れた中国の若い世代は「日本食が美味しい」、「親切だ」、「アニメが面白い」という形で、実際に交流してみると違う雰囲気になります。若い世代の交流は必要だと思います。

 中国政府は国民の訪日を自粛させていますが、放っておくとどんどん行ってしまうからです。 また、トップ同士の対話はやはり必要だと思います。

 岸田政権の時、習近平国家主席とは、23年のAPEC(アジア太平洋経済協力)首脳会議で初めて会談し、「戦略的互恵関係」や継続的な対話の重要性を確認し合いました。トップ同士がそういう対話をすると雰囲気が変わってくるのです。

 

 日本に問われる長期の国家戦略

 ─ 高市首相も外交戦略を強化していますが、習近平国家主席もかなりしたたかな外交を展開していますね。

 武藤 米トランプ大統領との会談もそうですが、中国は、世界の指導者としての役割を果たし、世界における存在感を高めていきたいということで、着々と手を打っています。しかも長期的な視点で、かつ広範にわたって手を打っています。

 例えば15年に「中国製造2025」という産業政策を打ち出しました。続いてAI(人工知能)国家戦略が策定され、その中でAI人材を10万人養成するという目標が掲げられました。

 そして実際に養成され、その成果がディープシークの躍進などで表れています。米国にもありますが、やはり長期的視点の国家戦略が重要になってきます。

 ─ 日本は戦後80年間の動きを見ても、長期の戦略を構築するという点が非常に弱いように思います。

 武藤 日本は自由主義、民主主義で、みんなで決めること、そしてマーケットが大事だという方向で来ました。その中では誰かが旗を振るというよりは、みんなが流れるようにしていくと、いい方向にいくのだという思い込みがあります。

 かつては例えば5カ年計画をつくっていたのに、今はつくっていません。方向を示すことが簡単ではなくなっているんです。もちろん、官僚だけでつくるわけにはいきませんから、政治がきちんと処理しなければいけません。

 ただ、政治の側に、先を見た計画をつくることへの熱意があまりないのが現状です。本当は、日本の経済再生のためには必要なものです。

 小長 武藤さんがおっしゃっていることに関連して言うと、戦後日本は、特に通産省が中心になって「産業構造ビジョン」のような計画には何回かトライしてきました。向こう10年間の産業構造改善をどう進めていくかという議論をし、産業界との調整も進めてきたのです。

 ところが、その後の自由経済の中で、そうした計画は必要ない、民間が自由にやればいいという流れになりました。結果的に「失われた30年」があり、その後は産業構造ビジョン的なものはないままに推移しています。

 統制経済にカムバックする必要はありませんが、やはり日本の進むべき道を、産業構造ビジョン的なもので示していく必要があるのではないかと思います。

 ─ 日本が進むべき針路を示すことが大事だと。

 武藤 自由市場は、どう進むべきかということは示さず、何が一番利潤が大きいかということを示します。したがって、「こっちへ進め」という大方針が出ると、その上で市場経済が合理的に働くと思うんです。

 市場経済に任せておいたら、日本の進むべき道が明示されるかというと、そういうことはありません。やはり、政治の指導力というのは必要だと思います。そうして、日本がどういう国になっていくかという議論が盛んになれば、官僚が貢献できる余地も大きくなると思っています。