大友浩嗣・大和ハウス工業社長が語る、国内市場で成長するための方策とは?

「現場第一主義」の強みを生かして

 ─ 大友さんは今後5年、10年先を見据えて、大和ハウス工業をどんな会社にしていきたいと考えていますか。

 大友 大和ハウス工業は創業70周年です。私もその中で40年間仕事をしてきましたが、変化することを恐れない会社だと実感しています。そしてベースに建築があり、プラスして不動産という武器を持って、各事業本部が成長しています。

 ただ、直近5年間の国内での成長は少し厳しい状況です。人口減少など明るいニュースは多くありませんが、我々の事業領域はフローとストックの両方があり、各事業領域の成長の芽はまだまだあります。国内では例えば住宅事業を始め、業界トップではない領域はありますから、逆に言えばまだまだ成長できるということです。

 もう1つはバリューチェーンをさらに強くすることで、事業間のシナジーがさらに発揮できるようになります。フローとストック、それぞれの事業をしっかり見ながら、成長を考えていくことが大切だと思います。

 ─ 例えば具体的に取り組んでいることは?

 大友 当社には7つの事業本部がありますが、それを戸建て住宅や賃貸住宅などの部門を統合した「ハウジング・ソリューション本部」と、商業施設や物流施設などを統括する「ビジネス・ソリューション本部」の2つに分けた上で、執行と管理・監督を分け、ガバナンスを強化しています。

 ─ 今、会長と社長の役割分担は、会長の芳井(敬一)さんが海外をメインで見て、大友さんが国内をメインで見ることですね。この理由は?

 大友 芳井は海外に加えて日本経済団体連合会(経団連)、大阪商工会議所の仕事などの財界活動、住宅生産団体連合会や高齢者住宅協会といった業界団体の他、国土交通省関連の活動も担っています。これを今まで大和ハウス工業の社長としてグループ会社も含めて見ていたわけですから大変だったと思います。

 今回、芳井が会長として海外本部長を兼務するのは自らの意思です。元々、海外を手掛けていたこともあり、しっかり取り組みたいという考えが芳井にあったのです。そして、本部長として人を育て、誰かに引き継ぎたいという思いで取り組んでいます。

 ─ 一方で国内市場ですが、少子高齢化、人口減の中、どのように需要を開拓しますか。

 大友 各領域でそれぞれ課題もマーケットも違うので、一言では言えませんが、日本には地震などの災害が多くありますから、建物の質は命に関わります。

 その意味で、戸建て住宅、マンション、流通店舗、建築、いずれの領域でも良質、安全なものはまだまだ足りていないと思っています。日本を強くするためにも、絶対に必要な部分ですし、それをしっかり進めていくことが我々の役割、責任です。ですからまだまだ需要は掘り起こせると考えています。

 ─ 地方の活性化も日本の大きな課題です。どう貢献できますか。

 大友 大和ハウス工業の強みは現場力、現場第一主義です。その強みを生かす意味で地方再生は重要な課題です。大和ハウス工業は北海道から沖縄まで営業所・支店を持っており、都市部だけで事業展開をしているわけではありません。

 それぞれの地域の課題をしっかりと解決することが仕事です。各地にはそれぞれ違う課題がありますから、そこに合った提案をしていく。東京・大阪・名古屋といった大都市圏だけでなく、地方の現場で働く社員がたくさんいるという我々の強みを地方の活性化で生かしていきます。

 ─ 地方自治体などからも相談はありますか。

 大友 はい。やはり地方自治体からお声がかかるというのは非常にありがたい話です。70年間事業をしてきて、そうしたお声をかけていただける会社になっているというのは、諸先輩方、そしてお客様のおかげだと思います。国内事業の掘り起こしと地方再生は両輪で考えて取り組んでいきたいと思います。

発表前日に告げられた社長交代

 ─ ところで、大友さんが社長交代を聞かされたのは発表の前日だったそうですね。

 大友 そうです。私は3月まで経営戦略本部長を務めていました。その中で議論してきたのが、第7次中期経営計画の前倒しの話です。5年間の中計の3年が経ったところでしたが、売り上げ、利益ともに前倒しでの達成が見えてきました。

 ただ、第7次中計を策定した時と今では、世の中が大きく変わりました。ロシア・ウクライナ戦争、中東紛争、トランプ大統領の2期目など世界の政治・経済の動きも早く、その変化の中で中計を前倒しすべく議論を進めていました。対外的な発表は2025年2月でしたが、社内的にはもっと前から事前に準備していたのです。

 もう1つ、今年は70周年の節目ですから、引き続き芳井が社長を続けると思っていましたし、社内には交代という話は全く浮上していませんでした。私も同時進行で様々な仕事を手掛けており、私が後任になるということも考えていませんでした。

 ─ 芳井さんから告げられた時はやはり驚いた?

 大友 ええ。社内的にも何の根回しもありませんでしたから。告げられたのは前日の夜8時半でした。昼間、東京で仕事をした後、翌日の役員会に出席すべく夜に大阪に入りました。8時にホテルに到着してすぐ、芳井から「部屋に来て欲しい」と電話が入り、部屋に行ったら、すぐに社長交代の話があったんです。

 ─ すぐに「わかりました」と返事をしたわけですか。

 大友 大和ハウス工業の返事は「はい」と「イエス」しかありませんから(笑)。

 ただ、自分がなるとは思っていませんでしたし、芳井と年齢が近いため、その話はしました。しかし芳井からは「そういう問題ではない」という言葉があり、すぐに返答しました。そうして翌日、役員会の後に記者会見が行われたという流れです。準備をする時間もありませんでしたから、普段の状態で会見に臨みました。

初めてのチャレンジを後押しする姿勢に…

 ─ 改めて、大友さんが大学を卒業した際に、大和ハウス工業を志望した理由を聞かせて下さい。

 大友 大学の時には、様々な職種の企業の説明会に行っていたのですが、新聞や雑誌を見ると大和ハウス工業は「流通店舗」という事業が成長していて、街づくりができる会社だと紹介されていました。社会課題を見ながら、ビジネスモデルをつくっていく会社で、しかも街づくりができるという点に魅力を感じて志望しました。

 ─ 記憶に残るプロジェクトはありますか。

 大友 年代年代でありますが、若い時には「こういう建物にしたい」、「このくらいの売り上げにしたい」といった目先の目標、目的があったと思います。

 支店長に就いてから一番大きかったのが大型複合商業施設「イーアスつくば」(茨城県つくば市)の開発でプロジェクトリーダーを務めた経験です。当時は当社の中で土地を買うのは住宅と建築で、流通店舗事業はあまり土地を買わせてもらっていませんでした。

 しかし、大型の施設を請負だけでなく、BM(建物管理)、PM(賃貸運営管理)、さらには建物全体の運営まで手掛けることを考えると、やはり自社で土地を持たないとなかなか難しいという話になりました。

 そこで、つくば市の4万2000坪の土地取得を考えたわけですが、商業施設開発で定評のある競合との勝負になり、最後に当社ともう1社の2社に絞り込まれたのです。

 大型の流通店舗の運営を手掛けた実績がない中、社内外の方々の協力を得て、その施設がどう成長していくかを想定した売り上げ予想モデルを作成しました。その想定が「年間1000万名の来場と、300億円の売上高」というものでした。

 それをベースに社内稟議をつくったのですが、最終的に「やってみなさい」と言ってくれたのが当時の樋口武男会長、村上健治社長、大野直竹副社長といった先輩方でした。途中の過程では厳しいご指導もありましたが、最後は背中を押してくれたのが嬉しかったですね。

 ─ それで土地を勝ち取ったわけですね。どういう結果になっていますか。

 大友 やるからには失敗できないということで様々なことを考えたわけですが、参考にしたのがオリエンタルランドさんです。商業施設とパーク運営とはもちろん違いますが、商圏や売り上げの見方を勉強にさせていただいてモデルをつくりました。

 結果、開業して18年経ちますが、年間売上高400億円、来場者は1300万人と、当初の想定を超える施設となりました。

 しかも、この施設を核に周辺に戸建て住宅、賃貸住宅、マンション、事務所ができるなど、ゼロから1つの街を作り上げる入口としての役割を果たすことができたのです。

 ─ 樋口さんは「アスフカケツノ」(安全・安心、スピード・ストック、福祉、環境、健康、通信、農業という注力分野の頭文字を取った言葉)という言葉を使っていましたが、これは生きていますか。

 大友 脈々と生きています。当社では昨年度、「Daiwa Future100(ダイワ・フューチャー・ワンハンドレッド)」という社内起業制度に初めて取り組みました。期間は決めていませんが、300億円を用意して、起業したいという社員を後押ししようと募集をかけました。

 昨年度は896件の応募があったものを15件に絞り、4件が最終選考を通過しました。その時に、どういう事業に投資するかを話し合った時に入れさせてもらった条件が「アスフカケツノ」に関連するものかどうかということでした。

 ─ 896件も応募があったそうですが、社内の前向きな姿勢が感じられますね。

 大友 ええ。しかも、ベテランの域に差し掛かった40代の社員からの応募が一番多かったんです。面接もさせてもらいましたが、若手を含めて「自分に任せて欲しい」というパッションを感じました。

 私は社長就任の際に、大和ハウス工業を自分の言葉で「70年目のベンチャー企業」と表現しました。社内に伝わるチャレンジングスピリットは決して変えてはいけないと考えています。

創業者・石橋信夫氏の言葉

 ─ 大友さんの座右の銘を聞かせて下さい。

 大友 天台宗を開いた最澄の教えで「一隅を照らす」です。この言葉は「現場主義」だと考えています。

 国の宝は武器や金品ではなく、「人」です。「人」が自分の現場で一生懸命働く、それを磨き上げることで少しずつ社会が明るくなっていく。そういう「人」こそが大切だという意味だと捉えています。昔から好きな言葉で、就任の時にお話させてもらっていますし、今、全国を回って社員の皆さんに話をする時にも伝えさせてもらっています。

 参考にしているのは、創業者の石橋信夫相談役の姿です。私が30代の頃、石橋相談役の健康状態を考えても、これが最後だといって、全国を回ったんです。

 ─ 当時大友さんの役職は?

 大友 35、36歳で埼玉の川越営業所長になりたての頃でした。石橋相談役は全国の支店だけでなく協力会やオーナー会も含めて回って話をしていました。

 ─ 石橋さんの言葉で印象に残ったことは?

 大友 私は所長になりたてだったこともあり、その地域をしっかり知ることが大切だと話していたことを覚えています。また、人事の話もしていました。「人事はちゃんと動かんとあかん。同じところばっかりにいたらあかん」という話をしていました。

 同じことは、後に樋口も「大根は摘んで他で植えたら大きく育つ」と話していました。長く1カ所にいるのではなく、若い時にはいろいろな経験をした方がいいという意味の言葉です。

 ただ、石橋相談役が全国を回っていた当時、私は埼玉の浦和から川越へと、県内で転勤したところでした。それを相談役に話したところ一言、「それは一緒や」と言われました(笑)。県内では同じようなものではないかと。私にとって非常に思い出に残る出来事です。