富士フイルムグループは、デジタル化の波によって主力事業の写真フィルムが急速に衰退するという、「本業喪失の危機」を経験した。しかし、この危機を乗り越え、ヘルスケア、高機能材料など多様な事業ポートフォリオを構築する多角化企業へと変革。現在では年間売上高3兆円を超える企業グループへと成長している。
7月11日に開催されたオンラインイベント「TECH+ summit DX day for Executive 2025 Jul. 変革のシナリオ」で講演した富士フイルムビジネスイノベーション 取締役 常務執行役員 チーフ・テクニカル・オフィサー(CTO) 兼 CTO戦略室長の鍋田敏之氏は、富士フイルムグループの変革の軌跡とAI戦略について詳しく語った。
本業喪失の危機から多角化企業への変革
1994年に富士写真フイルム(当時)に入社し、写真フィルムの感材開発からキャリアをスタートした鍋田氏。「私が写真フィルムの開発に従事していた2000年頃、アナログからデジタルへの急激なシフトが起こり、フィルム市場は急速に減衰していった。まさに『本業喪失の危機』のど真ん中にいた」と当時を振り返る。
当時の富士フイルムは、売上の6~7割をイメージング事業が占める、いわば"一本足打法"の経営だった。主力の喪失は、企業の存続そのものを揺るがす事態である。この未曾有の危機に対し、同社は真正面から向き合った。その核心にあったのが新たな成長戦略の構築だ。
縦軸に「既存技術/新規技術」、横軸に「既存市場/新規市場」を置いた四象限のマトリックス分析を用いて、イメージング事業で培った技術の棚卸しを徹底的に実施。「市場があるか」「技術が使えるか」「競争力が持てるか」という観点から分析を行い、ヘルスケアと高機能材料分野への進出を決定した。
その結果、写真フィルムに依存していた一本足打法から脱却し、ヘルスケア、マテリアルズ、ビジネスイノベーション、イメージングの4つの事業領域を持つ多様な事業ポートフォリオを実現した。
ヘルスケア事業で証明したAIの力
鍋田氏がイメージング事業からヘルスケア事業に異動した際の取り組みは、同社のAI戦略の出発点となった。特に医療画像診断の分野で、AIの活用が大きな成果を上げている。
講演では、脳梗塞の診断を例に、現在のAIの実力が紹介された。「専門医でも見つけるのが至難の業である脳梗塞の所見を、AIが発見できるようになっている」と同氏は説明する。CTスキャンの画像からMRI画像レベルの診断支援を可能にするこの技術は、同社の医療事業の競争力向上に直結している。
富士フイルムは、同AI技術を医療画像管理システム「PACS(Picture Archiving and Communication System)」に統合。データを保管・閲覧するだけのシステムから、データを利活用して新たな診断価値を生み出すシステムへと進化させ、グローバルトップシェアの牙城をさらに強固なものにしている。「AI技術によって、2020年から22年にかけてさらに競合を引き離している」と同氏は強調する。
2018年4月には、医療AIのテクノロジーブランドとして「REiLI(レイリ)」を発表した。REiLIは漢字で「怜悧(=賢く、聡明である)」という意味を持つ日本語由来のAI技術ブランドである。この発表以降、同社の医療システム事業は売上高成長率13%を記録するなど、飛躍的な成長を遂げている。
そして、全事業の変革へ - 5つのコアAIエージェントによる事業展開
富士フイルムビジネスイノベーションでは、医療AIで培った技術をオフィスソリューション分野に展開している。その中核となるのが、5つのコアAIエージェントだ。
このうち最も重要なのが「認識・構造化AIエージェント」である。鍋田氏は「DX・AI活用における根本的な課題は構造化にある」と指摘する。企業が蓄積するデータの9割は非構造化データであり、これがDX推進の大きな障壁となっている。
「医療分野で培った画像認識技術と、ビジネスイノベーションが持つ自然言語処理技術を融合させています。企業内に蓄積された文章や画像などの非構造化データを分析・整理して、価値ある情報へと転換する技術に集中してテクノロジー投資をしているのです。どこに何が書いてあるかをAIが意味理解することで、初めてデータの自動的な整理・整頓が可能となります。この一丁目一番地ができて、初めてその後の効率化や付加価値創出というステップに進むことができるのです」(鍋田氏)
この技術により、請求書や納品書などの帳票類を自動で認識・構造化し、従来のOCRでは不可能だった意味理解に基づく情報抽出を実現している。
そして、構造化されたデータは、さらなる価値を生み出す。それを担うのが「提案・高付加価値化AIエージェント」だ。これは、企業内に存在する契約情報や製品の稼働ログといったクローズドなデータと、業界動向や公開情報といったオープンなデータを掛け合わせ、新たなイノベーションを創発するAIである。
鍋田氏は、自社での実践事例を挙げた。ある顧客企業に対し、最適な提案を行うために、AIが過去の契約内容、製品の稼働ログ、顧客が取得しているISO認証情報、業界動向、社内の類似成功事例という散在していたデータを瞬時に統合・分析。そして、「このお客さまは環境意識が高いので、ペーパーレス化による環境貢献を切り口にした提案が有効だろう」といった具体的なシナリオを複数提示するという。
「これまで営業担当者が自身の経験と勘に頼り、膨大な時間をかけて行っていた仮説立案を、AIが支援する。クローズドデータとオープンデータを掛け合わせることで、お客さま一人ひとりに最適化された、新たな価値提案を創出する。これが我々の目指す姿です」(鍋田氏)
知的価値創造企業として、未来を創る
富士フイルムグループは、IT・AI技術を成長ドライバーの中心に据えた戦略を展開している。グループ全体のIT・AI技術アセットを最大限活用し、2030年度には売上高1兆3000億円以上の達成を目指している。
特に注目すべきは、このうち7000億円以上をIT・AI技術の連携加速によるサービス関連売上で実現する計画だ。これは、同社がハードウェア中心のビジネスモデルから、AIを活用したソフトウェア・サービス事業への転換を本格的に進めていることを示している。
鍋田氏は「発展し続け、未来に生き残れる企業」として、変化をチャンスと捉え続ける重要性を強調する。
「富士フイルムグループは、変化をチャンスと捉え、常に新陳代謝を繰り返しながら、事業の中身を巧みに入れ替え、進化し続けてきました。この企業文化の下、AIを戦略の中心に据え、グループ全体で『モノづくり』を超えた『知的価値創造企業』として、未来を創るリーディングカンパニーを目指していきます」(鍋田氏)
写真フィルムからの事業転換という大きな変革を成し遂げた同社の次なる挑戦が注目される。





