
ミートボールでシェア首位
「環境に応じて変化しながら変わらぬ味を維持している。素材を変えても安心・安全で懐かしい味を追求し続けてきた結果、今でも指名買いをもらっている」─。こう語るのは千葉・船橋に拠点を置く石井食品社長の石井智康氏。同社は1945年創業した食品メーカーだ。
石井食品と言えば、ミートボールやチキンハンバーグなどの食肉加工品を主力とする。中でもミートボールは弁当のおかずとして同社が定着させた。今では同社の年間売上高約108億円(2025年3月期)のうち約78億円を占める屋台骨。市場シェアは40%超のトップだ。
いま、食品業界は原材料費やエネルギー、人件費、物流費と、あらゆるコスト高に直面している。同社も3月に約10%の価格改定を実施。それでも利益を圧迫する要因にはなっているが、大幅な売り上げの減少には至っておらず、「足元の引き合いは崩れてはいない」(同)という。
石井氏が冒頭で語るように、同社の商品は常に〝旬〟の食材を使って味を磨き上げている。「同じミートボールでも常に使う食材を変えている」(同)のだ。そもそも同社がミートボールを生み出したきっかけは、世の中のニーズと自社の技術との掛け合わせが可能だったからだ。
1970年代初、主婦が弁当のおかずを全て手作りで作る時代から手軽で美味しく食べられるおかずを求めるようになっていた。そのとき石井食品は既に温めるだけで食べられる調理済みチキンハンバーグの開発に成功しており、その技術を活用して調理に時間と手間がかかるミートボールを作り出した。
「主婦にとっての弁当づくりは〝ペイン(苦痛)〟とも言える。その中で美味しさはもちろん、温めるだけで付け足せる簡便性はミートボールが生み出した価値の1つだ」と石井氏。その際、同社は赤ん坊の握りこぶしほどの大きさだった米国のサイズにせず、弁当にも子どもの口にも入る直径2.5センチへと大きさを改良した。
このように同社は加工食品業界でも、いち早く変革を重ねてきた。創業当初は船橋の海から海産物が多く漁れることをヒントに佃煮の製造販売を開始。50年代に入ると美味しさを長持ちさせるために真空包装品の開発に臨む。70年代には業界初の調理済みハンバーグを生み出し、チルド製造にシフトした。
80周年を迎える石井食品
一方で90年代に入ると、製造に対する考え方に変化が訪れる。多くの企業がコストを抑えるために海外に工場を作ったり、海外から原材料を仕入れたりするようになった。
だが、同社は逆を行く。97年に食品添加物を一切使用しない無添加調理を国内製造で実現。しかも、「全ての製品に品質保証番号を付け、原材料や原産地、加工日、アレルギー対象原料などを調べられるようにした」と石井氏は語る。
地域の農家と歩む第4創業期
そんな石井氏が次に目指す姿が〝第4創業期〟だ。創業当初を第1創業期、チルド製造への進出を第2創業期、無添加料理を第3創業期と位置づけ、食の安全・安心が求められるこれからは「地域の生産者とのネットワークを軸にしたライフスタイルフードカンパニーを目指す」と石井氏は意気込む。
神奈川県三浦市の特産品である大根とキャベツを使用したハンバーグ、滋賀県東近江市のキャベツを使ったハンバーグ……。「地域と旬」と銘打ち、地域農家の食材を使った商品開発を進めている。他にも栗ご飯やスープといった商品もある。
石井氏は「地域の食材を使うと同時に、煮込んだり、皮をむいたり、主婦の手間を代行するような商品を開発したり、佃煮の技術を応用して常温で日持ちする保存性が高い商品は非常食として家庭で保管できる」と話す。しかし、美味しさには妥協はしない。「今も農家へ飛び込みで交渉するなど、泥臭い取り組みを続けている」と同氏は話す。
その石井氏は創業者の孫で5代目社長だ。しかし、これまでの歩みは一味違う。当初は会社の跡取りとして周囲から期待されることに違和感を抱いてアクセンチュア・テクノロジー・ソリューションズ(現アクセンチュア)に入社してソフトウェアのエンジニアとして歩んだ。その後、フリーランスとなってベンチャー企業を中心に新規事業のソフト開発などに従事した。
仕事はうまくいっていたのだが、ある日、妻の病気が見つかったことがきっかけで食への関心が高まった。「健康を維持するために重要な要素は運動・食・睡眠。その中で外部要因が多いのが食。スタートアップを起業して食に関する課題を解決したいとも思ったが、工場など初期投資が大きすぎてハードルが高い。そのときに無添加調理の技術や工場など、家業にその環境が整っていることに気づいた」。
2017年に石井食品に入社し、翌年から社長になった石井氏。一般的に食は保守的なもので大きな変化が生まれにくい。しかし、日本には四季があり、食材にも旬がある。石井氏はそこに目を付ける。ややもすれば価格競争に陥りがちな食品業界にあって、自社の技術と地域の食材という資源を融合させることで、価格競争とは一線を画す考えを打ち出している。
しかしながら26年3月期は増収減益を見込むなど環境は依然として厳しい。石井氏は自社を「食の実験企業」と例えるだけに、次の80年に向けた新たな挑戦のカギは同社の創意工夫にかかっている。