
海事領域の〝連合〟で 日本再生につなぐ
今、『つなぐ』は環境が激変する中を生き抜くキーワード。国も、企業も人も単独では生きていけない。互いに、自らの強み、得意な分野を持ち寄り、付加価値の高いものをつくり上げ、弱点や課題を克服していく。
その具体例の1つが、海運、造船、舶用機器メーカーが連携して日本の海事クラスター(産業群)を再興していこうという戦略だ。
この海事クラスター再興は、日本再生、ひいては地方創生にもつながっていくという関係者の認識。
「僕は国際的にも海事クラスターをしっかり強くしておかないと、国として大変なことになりますよと、ずっとあちこちで申し上げているんですよ」
日本郵船会長・長澤仁志氏(1958年=昭和33年1月生まれ)は海事クラスター連合の重要性を訴え、実践し続ける理由について、次のように語る。
「こんな島国で、しかも資源がなくて、輸出入の99%は船でしか運べないようなところで、自分たちが運べるものを作る、自分たちが必要なものを運ぶ人たち、こういった人たちがいないと大変なことになりますよと言っているわけです」
長澤氏が日本郵船に入社したのは1980年(昭和55年)春。日本は二度にわたる石油危機を乗り切り、省エネ・省資源を合言葉に、新しい経済ステージに向かおうとしていた。
長澤氏が入社した頃は、日本の海運業界には活気があり、造船や舶用機器メーカーにも勢いがあった。
その後、海運業界も様々な経済変動の波を受け、生き残りのための再編などを行い、荒波を乗り越えてきた。
日本人船員の労働コストが高くなれば、外国人船員の採用・育成を図り、国際競争力を付け、コロナ禍という未曾有の環境の下でも、モノの輸送ルートや人員確保を図り、好業績をあげ、財務体質を強くしてきた。
一方、造船所や舶用機器メーカーは円安進行の中で、「非常に苦しんでおられる。そして人手不足ですよね。こういった状況で、われわれとしても看過できる状態ではないので、今回初めて、造船業界、海運業界の7社が連合した」ということである。
日本郵船、商船三井、川崎汽船の海運3社と、今治造船、JMU、日本シップヤード(NSY)、三菱造船の造船4社の計7社が液化CO2(二酸化炭素)の輸送船(LCO2船)を共同開発することで合意。その連合構想が発表されたのは、昨年8月末のこと。
LCO2船とは、低温かつ高圧力で液化されたCO2ガスを貯留し、効率よく海上輸送する大型専用船のこと。具体的には、発電所や製鉄所、化学工業から排出されるCO2を回収し、貯留拠点まで輸送する。
現在は、低炭素・脱酸素社会を実現するために、CCS(地中にCO2を貯留する技術)やCCUS(Carbon dioxide Capture, Utilization and Storage、地中にCO2を貯留した上で有効活用する技術)といった技術が確立されている。これらの技術と共に、CO2を経済的に運搬する輸送船・LCO2船の開発も重要になってきている。
〝7社連合〟は、まず、このLCO2船の共同開発を進めるが、今後、アンモニアなどの次世代燃料船の開発へと拡大していく計画だ。現在は、7社連合だが、他の国内造船にも参画を呼びかけている。
それにしても、ここへ来て、これまで激しい競争を繰り広げてきた造船所同士が、海運と〝連合〟を組むことになった動機とは何か─。
自らの身は 自らの手で守る!
日本の海事クラスターは世界の環境が大きく変わる中で、シェアを落としてきた。
1つは中国の台頭である。中国は造船にも注力、シェアをかなり伸ばし、現在はかつての日本のポジションを占めている。韓国の造船業も同じくシェアを伸ばし、進展している。
今は、トランプ政権の自国第一主義ではないが、自国の利益だけを最優先する時代になろうとしている。つまりは、自らの国や産業は自らの手で守り、育成していかなくては世界から置いてけぼりを食らうことになりかねない。
海運と造船、そして舶用機器メーカーは、業種は違うが、海事クラスターという括りでは同じ範疇に入る。無資源国・日本にとって必要なエネルギーや食料、その他の工業用品などを運ぶ時の経済効率性(競争力)はもちろんのこと、安心・安全に物資を運搬できるかという経済安全保障の観点からも、「海事クラスター関連企業の連携が必要」という長澤氏の問題意識だ。
長澤氏は日本郵船に入社(1980)して45年。長らく自動車やエネルギーの輸送業務に携わり、LNGグループ長(2004)を経て、07年に経営委員に就任。その後、常務経営委員、代表取締役専務経営委員、代表取締役副社長経営委員を務め、経営陣に入ってからも、時代の変革期・転換期にあって、内外の環境変化をにらみながら、これからの企業経営のあるべき姿を考えてきた長澤氏。そして、19年、代表取締役社長に就任、23年から取締役会長を務める。
社外活動では、日本船主協会副会長(2021)、日本経済団体連合会(経団連)で副会長とロジスティクス委員会の共同委員長(もう1人の委員長は池田潤一郎・商船三井会長)を務めている。
今回の海事クラスター連合で、世界における日本の造船シェアを、「最低でも2割位は取れるようにしないといけない」と長澤氏は強い危機感を示す。
「業界としてコンセンサスを取っているわけではありませんが、そういった目標を目指して強くしなければいけないと。そのためには、つなぐということが必要になってくるんです。一社でやっても、できるわけではない。海運業界もそうですし、造船業界もそうですし、舶用機器メーカーなどの人たちとの接点を多くしていく。やはり、どこか無駄があるし、それらを極力排除して競争力を付けてもらう。韓国、中国の造船所に対抗してもらうと。それが、何とか2割位までのシェアに復活させようということです」
混沌期こそ、しっかりと 自分の足で立つ態勢を
氏をそうした動きに駆り立てるものは何か? 「自分たちの次の次の世代に、必要な物が運べないという事態を招かせないようにするためです。何で運べないのかとなった時に、(日本国内で船舶を)造れませんという事態だけは避けたいですからね」と長澤氏は語る。
世界での中国の造船シェアは高い。この面においても、中国は世界に大変な影響力を持つようになっている。
もし、中国との関係がおかしくなり、中国から、「もう船は造れない」と〝宣言〟され、エネルギーや食料、その他の工業品、日用品を日本に運び込めなくなったら、大変な影響をきたす。
米中対立が続き、米トランプ政権の高関税政策発動で、世界の貿易・物流は相当な影響が出そうな情勢。自国第一主義が高まり、世界の随所で、〝分断・対立〟が起こりそうな気配だ。
実際、日本郵船はロシアとの〝協業〟で、かつて痛い目にも遭った。
同社は、ロシアの海運会社・PAO Sovcomflot(パオ・ソフコンフロート)とLNG(液化天然ガス)船を数隻共有していたことがある。
日本の大手商社も参画した日露共同開発のサハリンでの石油と天然ガス開発プロジェクト『サハリン2』に、日本郵船もPAO社と共に関わってきた。
「極めてまともな関係でした」と長澤氏は語る。
「お互いにビジネスマンとしての関係で、全く理不尽なことも言ってこないしね。もちろん議論はありますよ。当然、インタレストが違うことはありますからね。でも、無茶苦茶なことを言っているなということは全くなかった」
そうした関係が続いていた矢先に、そのロシアによるウクライナ侵攻が起きた。ロシアに対し、米国、EU(欧州連合)や英国による経済制裁が始まり、日本郵船・PAO両社共に身動きが取れなくなってしまった。
最終的には、両社はジョイントベンチャー(合併)を改組。共同で所有していた船舶の一部を相手に売り払い、一部を日本郵船が買い取ることになった。
関係を全く断ち切るわけにはいかないということだが、合弁の仕組み改編に踏み切らざるを得なくなったのである。
政治と経済が今は密接に関係する時代である。かつては、『政経分離』という言葉が使われ、国と国の関係がうまく行っていない時でも、経済面での交流は行われたこともあった。
しかし、今は政治的関係が悪化したり、国と国が対立するような事案が起きると、たちどころにその影響が経済領域にまで及んでくる。
だからこそ、「自分たちの足でしっかり立てる態勢を取っておく必要があるのだと思います」と長澤氏。
混沌とした世界状況で 産業基盤の強化を!
今、世界を見渡せば、〝分断と対立〟が進む。
「(当該国の)ウクライナ抜き、そしてEU(欧州連合)抜きで米露両国が停戦協議をしようとしていますね。いわゆる核を持っている国、力を持つ国が世の秩序をどんどん変えていくということになった時に、世界は大変なことになるのではないか」と長澤氏は懸念する。
歴史を振り返ってみても、第1次世界大戦(1914―1918)が終結後、米国はW・ウィルソン大統領が『国際連盟』を結成して平和な国際秩序をつくろうと提案。『国際連盟』は実現したものの、肝腎の米国は加盟しなかった。国内で、「他国の節介を焼くのは反対」という世論が高まったからである。満州問題を抱えていた日本も国際連盟を脱退し、戦争に突入した。
「ええ、国家間の外交的な話し合いで物事を解決していこうという流れが崩れて、結局、世界は第2次世界大戦に突入していきました。戦後に国際連合という形ができて、秩序が保たれたといっても、いろいろな所でヒズミが出てきてしまった。いろいろな意味で、地政学的リスクが広がっているし、2030年頃までは相当に気を付けなくてはいけないと思います」
そして今、米トランプ政権の高関税策の導入である。隣国のカナダ、メキシコ両国とも米国との間で緊張感が漂う。
欧州やアジア諸国の中から、米国離れが始まることを懸念する向きもある。こうした混迷の中で、日本の立ち位置をどう図っていくか─。
「安全保障の面では、日本はアメリカなしでは考えられない」とは長年、外交・安全保障を研究してきた専門家の弁。
日米同盟を結ぶ日本だが、関税政策では肝腎の安全保障政策でも、「日本は安全保障にタダ乗りし、経済成長を追ってきた」というのが、米国現政権の認識である。
裏を返せば、自分の国は自分で守れ─というのがトランプ政権の外交・安全保障政策ということ。
ドイツのエネルギー コスト上昇を教訓に…
エネルギーは、産業活動や、国民生活にも深く関わる。ドイツの苦境を見ると、それがよく分かる。2024年のドイツのGDP(国内総生産)はマイナス成長となった。フォルクスワーゲンなどの有力自動車メーカーが独国内の工場閉鎖や人員整理に追い込まれている。
同国の経済苦境は、エネルギーコストの上昇が大きな要因の1つとされている。
ロシアからパイプラインで天然ガスの供給を受けていたドイツは、ウクライナ戦争勃発を機に、ロシアとの関係が悪化。安価なロシア産天然ガスを活用できなくなった。
エネルギーコストの上昇は電気料金の高騰につながる。ドイツの電力料金が日本の1.5倍、米国の3倍にも跳ね上がった現実を見て、長澤氏は産業政策づくりを進める上で、国としての基本軸をしっかり構築する必要があると語る。
これは日本に限られた事ではないが、生成AI(人工知能)の時代を迎えて、莫大な電力需要が沸き起こることにどう備えるか─という喫緊の課題がある。
生成AIは、様々な情報、データを学習し、人に代わって、テキストや画像、動画といったデジタルコンテンツを瞬時に作成するのだが、それには莫大な量の電力が消費されるということ。
「凄まじい電力消費になると思いますが、これはよく分からない。人によっては倍だと言う人もいるし、いや4倍だとか、6倍だと言う人もいます。よく分かりませんが、電力消費が増えることだけは間違いない。それが増えた時に競争力のある電気でないと日本は勝てないわけです」
米トランプ政権は、石油、天然ガスなど化石燃料の積極活用で米国を再び〝偉大な国〟にするという政策を打ち出す。
これまで世界規模で進められてきた脱炭素の動きに当面、ブレーキがかかるが、多くの経済リーダーたちは脱炭素を中長期的課題として捉えている。
長澤氏も、こうした脱炭素の動きについて、「これは今の企業人の大きな命題だと思って、一生懸命やります」と語る。
その解決に向けて、液化水素やアンモニア燃料、グリーンメタノールといった次世代燃料での船舶運航、環境を意識したバッテリーの開発など、様々な挑戦が進む。
エネルギーの安定確保は まさに国家的命題
エネルギー確保は、食料の安定供給と並んで大変重要な国家的課題である。世界全体が分断・対立の時代を迎え、先行き不透明感が増しているだけに、無資源国・日本にとって、エネルギーと食料の安定確保は重要。
今年2月、政府は『第7次エネルギー基本計画』を作成し、公表した。その骨子として、『GX2040ビジョン』を謳い、地球温暖化対策計画と共に、エネルギー安定供給と経済成長、脱炭素の同時実現に取り組んでいく─としている。
再生可能エネルギー(比率は2021年度で約20.3%)を2040年までに全体の40%から50%にまで拡大し、最大の電源にするとしている。太陽光を全体の23~29%、風力を4~8%とする方針だ。
また、原子力発電に関しては、その比率を約20%とし、再生可能エネルギーと共に〝最大限活用する〟としている。
一方、CO2を排出する火力発電(比率は2021年度で72.9%)は30%~40%に削減。液化天然ガス(LNG)を新しいステージへの『移行電力』と位置付け、転換期におけるエネルギーの安定供給を支える役割をLNGに担わせるとしている。
転換期には試行錯誤が付きまとうものだが、産業界にとっては、新しいステージへの挑戦が成長のカギともなり得る。とは言え、再生エネルギー開発には新たな設備投資などコストがかかるのも事実。
日本が新しいステージへの『移行電力』と位置付けるLNG。例えば、米トランプ政権は、アラスカの北極圏での開発を進め、現地で採取したLNGを太平洋沿岸までパイプラインで運ぶ構想を打ち出している。
北極圏での開発と1300キロにも及ぶ遠大なパイプライン構築には約6.8兆円もの建設費がかかるといわれ、国内のガス企業にも参加を呼びかけているが、莫大な投資をして、事業の経済性が期待できるのかどうかといった懸念があるのも事実。
国を支えているという 気概を持つ人材の育成
海事クラスターの連合構想は、新しい国のカタチづくりに直結する。戦後80年の中で、日本は世界有数のモノづくり国として成長・発展してきた。しかし、造船は世界シェアがかつての50%以上から10%台に低落しているのは先述したとおりである。
日本の造船がピークにあった1970年(昭和45年)を振り返って、長澤氏が語る。 「あの時、日本の海運会社は日本の造船所に全ての船の発注をして、出来上がった船に日本人が乗って、世界の海へ繰り出していったわけです」
1970年の最盛期、日本の海運業界は5万7000人の雇用を抱えていた。それが今は2千数百人にまで減少。
海運の人材を育成してきた東京商船大学は、大学再編の中で東京水産大学と統合し(2003)、現在は東京海洋大学になっている。
日本人の船員が減少している中で、日本郵船はフィリピンに商船大学(学生数約540人)をつくり、人材を確保。雇用面でもグローバル化が進む。時代や経営環境の移り変わりの中で、海運業界も再編を重ねてきた。
決して、国内での人材育成に手をこまねいているわけではない。所管の国土交通省は海運業界と連携して、『海技教育機構(独立行政法人)』を設立。
同機構の下に、『海技大学校』(兵庫県芦屋市)があり、さらに宮古(岩手)、館山(千葉)、清水(静岡)、唐津(佐賀)などにある海上技術学校や海上技術短期大学校で海運に携わる人材を育成している。
海技大学校や海上技術短期大学校は、航空のパイロットを養成する航空大学校と同格に位置付けられている教育機関。
「教育改革も含めて、皆頑張っています。われわれはどちらかというと、縁の下の力持ちでいいと思っているんですが、アピールが足りない。ですから、もっとアピールしていきたい。自分たちがエッセンシャルワーカーで国を支えているんだという気概を持った人が集まってくれるようにしたい」と長澤氏。
人口減、少子化・高齢化が進む転換期の中で、日本が持つ潜在力をどう掘り起こしていくか。日本再生という観点からも注目される海事クラスター再生戦略である。