求められる人間的なアナログな価値

司会:それはきっと企業にも言える話で、それが分かっているアクセンチュアは色々と組み合わせようとしているわけですね。ここまでの話を聞いていると、最終的に帰結するのが、まずはコミュニケーション能力を磨け、ということになる、ということになりそうですね。

上田:これまでのやり方が悪いというわけではなくて、戦後の高度経済成長期には、ものづくりでGDPもトップになり、株価も上がっていったわけです。その当時は、企業ランキングのトップ10にも日本企業がごろごろ居たわけですよ。ものづくりの時代は、完全に標準化なので、一斉にみんな一糸乱れずにやるということでよかった。その成功のストーリーがイナーシャ(慣性)としてある。でも時代は、GAFAに象徴されるようにサービス業に転換している。もちろん、ものづくりもありますけど、そうした動きにやはりまだついて行けてないというのは、なかなか人間というのは急にそんなに変えられないというところでしょう。

日本も決してダメというわけではなく、時代が変わってきていることを感じてそれに追随しようとしている。それを政府はSociety5.0というわけですね。ドイツのIndustry4.0のように掲げるわけです。でもドイツという国は実は社会科学者が非常に多いんです。だからIndustry4.0をやるときに、人文科学者がAIはどうあるべきか、というような社会体質も含めて制度設計をしている。それに比べて、日本には社会科学の専門家は100人もいないという話をある社会学の先生から聞いたことがあります。そういった点も踏まえて、人間中心社会の制度設計というものを真剣に考えないといけないはずなんです。

Industry4.0は、情報社会とされています。情報社会は標準化しないと、この端末がつながらない、という問題が発生することになりますが、人間は多様性があることが前提です。人によって好き嫌いが異なるわけですから、標準化してはいけないんです。だからこそ、ある種のコミュニケーションを取りながら、いろいろな制度を作っていったり、技術を作っていったり、サービスを作っていったりしないといけないわけです。

こうしたことはこれまでのものづくりには必要なかったので、日本から抜けていた。ものづくりの世界では、一度、これを作ると決まったら、みんなで一生懸命頑張って、それぞれ手分けしてパーツを作って、それを組み合わせると完璧なものができる、という姿が見えた。でも、サービス業でそうやって個別にパーツを作って組み合わせてみたら、あれ、こんなはずじゃなかった、といったことがいっぱい発生しているわけです。テレビ番組にしても、自信をもって制作して、視聴率が振るわなかったということも往々にしてあるわけで、これはもう、やってみるまでわからないということですよね。

司会:やってみるまで結果がわからない、というのはネットの世界も同じですね。なんでこれがこんなにウケてるの? とか何でこれがウケないの? とか、それが分かれば誰でも何億PVとか何億再生も稼ぐことができるんでしょうけど、それができないから、多種多様な記事や動画を作って、さまざまな人間のニーズに対応しようとするわけです。そういう意味では、人間というのは一番厄介な存在であり、一番面白い存在と言える。そうした人間を相手にするのであれば、将来はMathWorksのツールが人間の心理に対応しましたとかいう可能性もあるかもしれませんが、当面は、同じ人間が、相手の心を踏まえてそういった問題に対処していくしかないでしょう。

保科:アクセンチュアでは何年も前から、人中心にビジネスやサービスを考える重要性を説いてきました。いろいろなものがAIに置き換わる中で、人は何をすべきか、人の価値は何かが問われています。例えばシェイクスピアを演じるにしても、人間が演じることとロボットが演じることでは全く意味が異なります。これからは、人のブランド価値を考えていかなければいけないのです。

このような時代においては、むしろアナログであることが高い価値になると思います。例えば、ロボットホテルの登場によって無条件に高級旅館がなくなる訳ではなく、機械による自動化が進めば進むほど、人のおもてなしを大事にする高級旅館の価値は上がるでしょう。人としての価値とは何か、どう見せればよいのかが問われるのです。この時に、言わば文系的な価値、つまり、文化や歴史やストーリーを語ることが大切になると考えます。

司会:今の話を聞いて上田さんに話を振ろうと思うのですが、未来のビジョンを見せることって、人をひきつけやすい話だと思うわけです。その最たる存在がスティーブ・ジョブズでしょう。ジョブズがスタンフォードの学生向けに語ったスピーチは有名ですが、さきほどの東大のクラブ活動なども、それを通じてコミュニケーション能力を意図せずして学べるのは、東大クラスの学生だから、という話もでそうな気がしないではないんです。つまり、大学にもいろいろなレベルがあって、そうした東大や京大レベルではない学生であっても、これだけは抑えておかないといけないという部分があると思いますか?

上田:適材適所だと思います。勉強が得意な人もいれば、コミュニケーションが得意な人もいれば、世の中にものを生み出すのが得意な人もいる。人間それぞれですよね。いままでの物差しは、教育も含めて、勉強ができるということを中心に進められてきた。

けれども海外に目を向けると、例えばフランスに出張に行って、空き時間に美術館に行くと、何人かの小学生か幼稚園かは分かりませんが、子供たちをつれて、先生が芸術品を見せて、その絵などの意味を説明している様子を良く見かけるわけです。

そういった、小さいときから芸術に触れさせるといったような文化が果たして日本にあるのかな、と思うんです。そういう経験の中で、培われるものがあるのかな、という気もします。日本は残念ながら、最近はプラネタリウムなどの科学の普及なども頑張っていますけど、そういう文化的なものに触れ合う機会はそれほど多くないのではないかと思います。

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