なぜ年齢があがるほど数学嫌いが増えていくのか

司会:実際、大学で人を育てている身として、藤原先生は、今のお話はどう思いますか?

藤原:私は工学部の数学教育と同時に、2019年4月からは経済学部の数学教育も担当したんです。基本的には、東大の学生ですので、経済学部であっても、高校までは数学の勉強をしてきているわけですが、いざやってみると、いろいろなところで数学というものを学生が面白がってない、ということをひしひしと感じます。

それはなぜかというと、数学教育、数学学習というのが成績に絡んできてしまって、純粋な学習としての本来、学生が感じるべき、興味や喜びというものと違うフェーズでものを言っているためなんです。これは、受験がそういう社会を作っているとも言えるわけです。本来なら、評価軸はたくさんあるべきなんですが、評価軸が1本になる。本来は文系の学生だって、高校の時には数学が得意だったという人は結構いるわけです。

だから、大学の在り方というものも考え直さないといけないし、大学の在り方は、中等教育の在り方と結びついていて、中等教育での数学教育、あるいは、データサイエンスに結びつく情報教育をどうするかとずっと長いスパンの問題になるわけですが、ちゃんと今考えておかないと、変なことが拡大していくのではないかと思います。

文系・理系の垣根を越えて価値を生み出すためには?

司会:そこら辺の話ですと、それをどう教えるのかということを抜きにして、日本でも2022年度から高校で「情報I」が必修になってそれなりのことが、教えられることになりそうですが、そこら辺の取り組みとして、海外の事情とかはどうなんでしょう。外資系という括りで申しわけないですが、保科さん、海外の話を聞いていたりします?

保科:私は教育の専門家ではありませんが、上田さんと藤原さんのお話を伺って思うのは、価値創造が重要であるという点では、国内外問わず、企業も似ているということです。

アクセンチュアのイノベーション拠点「アクセンチュア・イノベーション・ハブ東京」では、新しい価値を創造していくために、データサイエンティストやデザイナーなど、様々な人材を揃えています。ビジネス課題を抱えたお客様に対して、デザイナーは顧客の視点で課題を捉え、一方、データサイエンティストは、データを使って課題解決に取り組みます。いわゆる文系、理系の人材が分野の垣根を超えて一緒になって新たな価値創造に取り組んでいるのです。

アクセンチュアでは、お客様の課題に合わせて社内の様々な部門からメンバーが集まってプロジェクトチームを組んでおり、人材の多様性を重視しています。これは、私の所属部門においても同様です。私の部門は博士号取得者が多数在籍していますが、意外にも、コンピュータサイエンス以外を専門とする人材の方が多いのです。ちなみに私も物理化学を専攻していました。

データサイエンティストとして必要なスキルには、文系的な要素と理系的な要素、両方あると思います。文系的な要素は、顧客体験とはどうあるべきか、あるいは社会はどうあるべきなのか、人間や社会を中心にして、物事を俯瞰的に捉えた上で課題にしっかり向き合うこと。理系的な要素としては、課題設定からデータを使った検証に至るまでデータドリブンで客観的な視点で取り組むことです。

ジャンルに関わらず、解決すべき課題を捉え、自分なりの理論、仮説を立案した上で、検証に必要なデータをどう集め、そのデータをどのような手法と組み合わせ、何を見出すのか、設定した課題に対してどのような結論を導き出すのか、学生時代にこのプロセスをしっかり経験した人材はビジネスの世界でも活躍しているように感じます。また、ビジネスの世界で活躍するためには、テーマの背後にある、根本的課題を幅広い視点で深く掘り下げる力ももちろん重要です。

藤原:数学の勉強も同じだと思いますね。つまり、これは何を数学として中等教育で勉強するか。大学教育においては、やることははっきりしていますが、中等教育の数学の教材が、計算技術を教えているところがあるわけです。でも、数学の本質は計算技術じゃないですよね。しっかりとした構造を持っているので、その構造を学ぶ中で、自分のいろいろなところに適用できる技術であったり、考え方であったり、ほかの分野への糸口だったりするわけです。そういったものに対する時間が、いったい数学教育の中で取られているのだろうかと思うと、まず取られていないのではないかなと思います。

でもだいたい高校で教えている計算技術なんてたかが知れているわけです。頭打ちの天井が決まっている中でいろいろ教えても、伸びる先がない。天井を取り払えれば別だと思いますよ。取り払えれば、どこにでも吹き出していける学生はいるわけですから。ただ、天井を押さえている以上、そうやって吹き出せる口がなくて、結局、数学に対する興味を削ぐ、といったことが起きているのではないかなと思います。

これからの数学教育に求められるもの

上田:こういう議論は教育論なのか、AIのための教育なのか、一般のための教育なのかで変わってくると思います。

数学の話も出てきましたが、もともとの地頭もあると思いますが、一般論として、個人が非常に興味を持つということが極めて重要で、そういう観点で見ると、AIや数理サイエンスの教育となったところで、興味がわかないと、上からこういう授業、勉強をしますといったところで、結局、また計算論を学ぶだけになって、なにも進歩しないことになります。

興味をわかせるというのはどういうことかというと、例えばFacebookにしても、CEOの下は全部フラットで、いろいろなアイデアを出す。アイデアを出した人を評価するし、アイデアに協力した人も評価するというみんなでシェアするコミュニケーションを上手く使ってる。そういうことが文化として出てくれば、じゃあ、もっとこれを高めるためにどんな勉強をしたらよいか、というように必要性が生まれ、人間の脳が活性化する。野球のすごいイチローに対して、代わりにラグビーをやりなさい、と言ったところで、本人に興味が無かったら絶対にものにならないわけです。

また、こうした議論でいつもコメントするのですが、ものづくりの時代はこれを作ったらマーケットを押さえられるといった低価格や低電力など、KPIがはっきりしているのですね。それは人が評価されるのではなく、ものが評価されるからです。それができたら市場を押さえられるとなったら、それは社長はじめ、チーム一丸になって一糸乱れず進む。でも今は全世界がサービス業になってきました。

もちろん、ものづくりの分野も依然ありますが、今、AIとしての観点でも問題になっているのはサービス業なので、AIでの教育とは何かの観点で語る必要があると思いますね。

ただ、数学教育はそれとは別にあると思います。これは、マグロを釣りに行きたいといったときに、釣るためには、すごい性質のよいカーボンの釣竿が必要だと言い出す。確かに、それは将来、役に立つかもしれないけど、今、マグロを釣りたいのに海にも行かなかったら釣れるわけがないのです。海に行ったら、マグロを手で掴んで掴まえてもよいわけです。そういう考え方が、求められる時代になっているのは感じます。

藤原:それはまったくそのとおりで、私が言いたかったのは、今までの数学教育ではそれはできないことがはっきり見えているということです。

非常にベーシックなことしか教えない。数学の教育者もベーシックなことしか知らない。大学で数学を教えていて、何が問題かというと、学生たちが非常に苛立っているのを感じるわけです。自分たちはAIや機械学習を勉強したい、知りたいのだが、カリキュラムの中に、それがきっちりと組み込まれていないという苛立ちです。

そもそもカリキュラムをどうやって作ればよいかということも難しいのですが、いろいろな統計などにしても、統計の数の並びに興味を持てる学生はかなり特殊な学生なわけです。そうすると、一緒に話せるベースを学生と教員が共有しないことには、学生だって、数だけ見て興味を持てる子も居るし、数の後ろにある考え方や社会とかを理解できなければ興味を持てない子もいる。本来は千差万別なんです。それに対して、きちんと対応できるような体制を作らないと、年間何十万人規模で、AIを勉強させると言っても、同じ色に染めよう、という話になってしまう。