本連載の第19回で、「紙の地図からコンピュータへ」という、陸戦における指揮所の変化について取り上げた。今回は指揮管制装置との関連から、軍艦における戦闘指揮の変化について取り上げてみよう。

かつては艦橋で指揮を執っていた

日本海海戦について描いた有名な画があるが、それを見ると、聯合艦隊の東郷司令長官や部下の幕僚は、旗艦「三笠」の露天艦橋で指揮を執っていた様子が分かる。また、太平洋戦争を描いた戦争映画がいろいろあるが、そこで日本海軍の軍艦が出てくるものを見ると、やはり司令官や艦長は旗艦の艦橋から指揮を執っている。

ところが、同じ太平洋戦争において日本海軍と対峙したアメリカ海軍では、指揮官が艦橋ではない場所に陣取るようになってきていた。その場所とは何かというと、戦闘情報センター(CIC : Combat Information Center)である。

CICはその名の通り、戦闘指揮に関わる情報が集中する場所で、彼我の位置情報をグリース・ペンシルで書き込むボードやレーダー装置のディスプレイを設置しており、さらに見張員からの口頭での報告も、他の艦から無線で入ってくる報告・連絡・指令も、みんなCICに集中する。

そして、敵情に関する情報が入ってくると、それを逐次、担当の乗組員がボードを書き換える形で反映していく。現在ならコンピュータの画面で行うところだが、なにせ1940年代の話だから、ボードに手書きというわけだ。

第二次世界大戦中に造られた米海軍の軽巡洋艦「パサデナ」のCIC(出典 : US Navy)

時代は下って、スプルーアンス級駆逐艦のCIC。1970年代のテクノロジーだから、使われているコンソールも時代相応(出典 : US Navy)

そして第二次世界大戦の後、軍艦ではCICから戦闘指揮を執る形が一般的になった。つまり、戦闘指揮の中枢が艦橋からCICに移り、艦長や司令官もCICに詰めるようになったわけだ。もしも操艦指示が必要になったときには、CICから艦橋に電話で指示を出すことになる。また、CICでとりまとめた状況を表示するためのコンソールを艦橋に置くこともある。

CICが必要になった理由

では、どうしてこういった変化が生じたのか。結論からいえば、艦橋から指揮を執るのでは限界があり、状況認識の観点からいって具合が悪かったのである。

「艦橋に所定の機器を設置しても同じでは?」と考えそうになるが、そもそも軍艦の艦橋というところは、限られたスペースにさまざまな機器と人が集まっていて、そんなにスペースの余裕がない。それに、昔は「操艦指揮≒戦闘指揮」だったが、両者の独立性が高くなり、しかもセンサーや武器の高度化・多様化を考えれば、戦闘指揮の機能を独立させてCICという形にする方が、理に適っている。

艦長や指揮官が、自ら双眼鏡で目視できる範囲内で海戦が行われていた時代であれば、艦橋から指揮を執ることには合理性がある。艦長や指揮官以外にも見張員がいるが、これもやはり艦橋ないしはその周辺に陣取っているから、見張員からの報告を受け取るには艦橋にいる方が都合がいい。

それに、昔の海戦では砲の射程距離が短かったから目視可能な範囲内で話が完結していたし、ときには自艦を直接、敵艦にぶつけて沈めることもあった。そうなると、操艦指示がそのまま交戦の指示ということになるから、やはり艦橋から指揮を執る方が理に適っている。

ところが、艦隊が展開する海域が広くなり、さらに航空機が加わったことで、海戦を行う戦闘空間が一挙に広くなった。もはや艦橋から目視できる範囲内では完結しない。

おまけに、対潜戦(ASW : Anti Submarine Warfare)・対水上戦(ASuW : Anti Surface Warfare) ・対空戦(AAW : Anti Air Warfare)と、軍艦が受け持つ任務が多様化して、センサーや武器も多様化した。目視に加えてレーダー、ソナー、航空機、他の味方の艦といった具合に、情報ソースが多様化しただけでなく、そのレーダーがまた、対空捜索用だけでも距離・方位測定用と測高用が別々にあり、さらに対水上レーダーまで加わる。

そして、無線通信の導入により、目視範囲外からもさまざまな情報が流れ込んでくるようになった。情報ソースが多くなれば、それだけ、流れ込んでくる情報の量が増える。また、自艦だけでなく他の艦や航空機が情報ソースに加われば、情報が入ってくる頻度も高くなる。すると、旗艦に求められる能力のひとつに「通信能力」が加わる。単に、司令官と幕僚が陣取る場所があれば旗艦が務まるという時代ではなくなったわけだ。

こうなると、さまざまな情報ソースから次々に流れ込んでくる多様な、ときには錯綜した情報を、いかにして迅速に整理して艦長や指揮官に提示するか、という課題が生じる。情報は入って来ないより入って来る方がいいが、その情報を的確に利用できなければ意味がない。大量の情報が流れ込んできて捌ききれなくなり、結果として状況認識ミスから判断ミス・意志決定ミスにつながれば、それは敗北への第一歩である。

それを解決する手段として最初に登場したのが、冒頭で言及した「ボードとグリース・ペンシル」だった。そして、その機能をごっそりコンピュータ化して情報の提示や意志決定支援といった機能を受け持つのが、現代の指揮管制装置だ。

だから、さまざまなセンサーや兵装ごとに、情報を表示したり、指示を出したりするためのコンソールを設置するだけでなく、艦長・指揮官向けに、全体状況を提示するための大きなディスプレイを設置するのが、一般的なCICのスタイルだ。艦長や指揮官は、大型ディスプレイに集約・表示する状況を見ながら指示を出す。その指示を受けた部下はそれぞれ、自分の担当範囲となるセンサーや兵装を扱って、探知や交戦を行う。

イージス巡洋艦「バンカーヒル」のCIC。奥の方に大型ディスプレイが見える(出典 : US Navy)

余談だが、CICという名称が一般的であるものの、戦闘指揮所(CDC : Combat Directoin Center)と呼んでいるネイビーもある。

潜水艦はちょっと違う

ここまで書いてきたのは水上戦闘艦の話である。半分余談みたいになるが、潜水艦では事情が違うので、その話も。

潜水艦の場合、「艦橋」というとセイル(艦の上部に突き出した構造物のこと)のトップにある場所のことだが、もちろん、ここは浮上航行時しか使わない。潜航すると、艦内にある発令所が艦の頭脳となる。そして、艦長は発令所に詰めて指揮を執る。

潜水艦にはCICみたいな区画はなくて、発令所の一方に操舵・潜航関連の機器を、反対側に兵装関連のコンソールを並べるスタイルが一般的だ。つまり、操艦の指揮を執る場所と交戦の指揮を執る場所を、発令所が兼ねている。そして、その発令所の中央に潜望鏡が陣取っている。

例外がソナー室で、ソナー員は発令所に隣接した独立区画のソナー室に陣取る。つまり、「手」も「頭脳」も「眼」も発令所に集中しているのだが、「耳」だけ別の場所にあるわけだ。

ちなみに、広島県呉市の「海上自衛隊呉資料館(てつのくじら館)」を訪れると本物の潜水艦を展示しているが、そこでは発令所も見ることができる。ここで書いた話を頭に入れてから現地を訪れると、艦内の仕組みを納得しやすくなるかも知れない。

執筆者紹介

井上孝司

IT分野から鉄道・航空といった各種交通機関や軍事分野に進出して著述活動を展開中のテクニカルライター。マイクロソフト株式会社を経て1999年春に独立。「戦うコンピュータ2011」(潮書房光人社)のように情報通信技術を切口にする展開に加えて、さまざまな分野の記事を手掛ける。マイナビニュースに加えて「軍事研究」「丸」「Jwings」「エアワールド」「新幹線EX」などに寄稿しているほか、最新刊「現代ミリタリー・ロジスティクス入門」(潮書房光人社)がある。