CDC 6600に対するIBMの対応

1964年のCDC 6600の登場にショックを受けたIBMは、CrayのChippewa研究所を見習って、1965年に本社から遠く離れたシリコンバレーのMenlo Parkに「Advanced Computing Systems(ACS)」を設立し、200名のエンジニアを移籍させた。

しかし、開発はそれほど順調には行かず、IBMは1969年にACSを閉めて、開発チームをニューヨークに呼び戻すことにした。しかし、190人はIBMを退職してシリコンバレーに残り、Gene Amdahlが設立したAmdahl社などの設立母体となった。

その後、富士通はAmdahl社と提携しIBM 360互換のメインフレームを開発した。Amdahl社のテクノロジはIBM ASCの技術そのものではないが、ACSの技術を母体としたものであった。

また、IBMは1964年にスーパーコンピュータ「System 360 Model 91」をアナウンスした。しかし、1号機がNASAで稼働したのは1968年になってからであり、CDCは、CDCの受注を妨げるためにペーパーマシンであるModel 91を早期に発表したとして告訴し、同意審決の結果としてIBMはService Bureau Corporationの譲渡などを含めて約1億3000万ドル相当をCDCに支払った。しかし、CDCが要求していたIBMの会社分割は認められなかった。

CDC 7600と8600

CDCは6600に引き続き7600という次世代のスパコンの開発に取り掛かり、1969年に出荷を開始した。この時代にはトランジスタの速度も向上し、27.5nsとCDC 6600の3.6倍のクロック速度が実現できた。

加えて、演算ユニットのパイプライン化でスループットを向上することで、全体ではCDC 7600は6600の約10倍の性能を実現した。CDC 7600は、ライバルのIBM System 360 Model 195より、若干、速く、世界最高速のスパコンであった。

図1.27に示すように、8個の60bitのXレジスタと8個の18bitのA、Bレジスタを持っており、CDC 6600と同じ考え方のCPUを使っている。

  • CDC 7600 CPUの構成

    図1.27 CDC 7600 CPUの構成。8個の60bitのXレジスタと8個の18bitのAレジスタ、8個の18bitのBレジスタが9個の演算ユニットに接続されている

CDC 7600はより高密度、高発熱になっており、システムは十字型ではなく、大きなC形になった。

そして、その次のマシンとして1968年からCDC 8600の開発に取り組んだ。大雑把に言うと、CDC 8600は、4台のCDC 7600を小型のキャビネットに詰め込み、クロックを8ns引き上げることにより、CDC 7600の10倍の性能を目指すというものであった。

しかし、図1.29の写真に見られるように、非常な高密度実装が要求され、冷却が困難で信頼度の確保が難しいことから開発は遅れ、Crayはこの設計をご破算にして、やり直すことを提案する。しかし、CDCは財政的に苦しい状況で、8600の開発は凍結して、並行して開発していたSTAR-100の開発を優先することになり、1972年にCrayはCDC を去ることになる。

図1.29のCDC 8600のプロトタイプの写真であるが、Cray-1を彷彿とさせる円柱状の作りである。しかし、Cray-1よりずっと小さく、当時の技術では実現は非常に困難であったことが偲ばれる。

  • CDC 8600のプロトタイプ

    図1.29 CDC 8600のプロトタイプ (出典:[Gordon Bellの講義資料]( https://gordonbell.azurewebsites.net/craytalk/ ))

(次回は4月20日に掲載します)