今回の研究は、基底状態と励起状態のスピン多重度を保存するという条件が課された上で量子回路が設計された。たとえば、2つの分子軌道(HOMOとLUMO)に2つの電子を含む一重項状態は、3つの電子配置の重ね合わせで表される。この3つの電子配置を過不足なく表現する回路を設計することで、誤差の原因の1つである電子数やスピン多重度の異なる成分の混入が防がれているという。実際に、スピン保存量子回路は、ほかの設計指針に基づいた回路よりも小さい計算誤差でエネルギーを計算できることが明らかにされた。

従来の励起状態計算(VQD)法では、2つのパラメータを事前に調整した上で、コスト関数からエネルギーが求められていた。事前調整が必要なパラメータに対する適切な値は分子構造に依存するため、VQD法を用いてポテンシャルエネルギー局面を記述するのは困難だったとする。しかし、スピン保存量子回路を用いることにより、パラメータの片方の値をゼロに固定することが可能だ。

さらに、|〈ψ(θ)|ψ0〉|2をゼロに近い値にするという制約条件を課した最適化手法を用いることで、もう片方のパラメータも事前調整を回避することができたという。このように、励起状態が満たすべき条件を制約とする最適化計算によって励起状態を計算することから、VQE/AC法と命名された。

  • (左上)フェノールブルー色素のFC構造(H、C、N、O原子が白、灰、青、赤色で記載されている)とCI構造(緑色で記載)。(右上)スピン保存量子回路の設計。(a)2つの軌道(HOMO、LUMO)に2電子を含む一重項の電子配置。(b)3種の一重項電子配置の重ね合わせを表現する量子回路。(下)従来法におけるコスト関数C(θ)とVQE/AC法の概念

    (左上)フェノールブルー色素のFC構造(H、C、N、O原子が白、灰、青、赤色で記載されている)とCI構造(緑色で記載)。(右上)スピン保存量子回路の設計。(a)2つの軌道(HOMO、LUMO)に2電子を含む一重項の電子配置。(b)3種の一重項電子配置の重ね合わせを表現する量子回路。(下)従来法におけるコスト関数C(θ)とVQE/AC法の概念(出所:共同プレスリリースPDF)

実際にスピン保存量子回路とVQE/AC法を組み合わせた多参照計算の一種であるCASSCF法を用いて、フェノールブルー色素の基底状態・励起状態が、IBM Quantum System One上で計算された。すると、FC構造、CI構造いずれの場合も、計算誤差をわずか2kcal/molに抑えてエネルギーを求めることに成功したという。

励起状態計算のために開発されたVQE/AC法だが、制約条件を変えることで、励起状態に限らず、さまざまな状態の計算に応用することが可能になるとする。また同計算法を用いることで、任意の分子構造の基底状態・励起状態のエネルギーを同一の計算条件で求められるようになった。そのことから研究チームは、将来的には安定構造や状態間の交差点の構造最適化への応用が期待できるとした。