宇宙航空研究開発機構(JAXA)は8月19日、2024年度の打ち上げを予定している「火星衛星探査計画」(MMX)に関するオンライン記者説明会を開催した。MMXは、火星衛星・フォボスからのサンプルリターンを目指す計画である。地球への帰還は2029年度を予定しており、火星圏からのサンプル採取は、実現すれば世界初となる。

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    フォボス表面でサンプルを採取するMMX探査機のイメージ (C)JAXA

フォボスの起源については、「捕獲小惑星説」と「巨大衝突説」があり、まだ結論は出ていない。もし前者であれば、D型小惑星に多く含まれる有機物など始原物質の採取が期待できるし、後者であれば、太古の火星物質を獲得できる。どちらでも意義は大きく、さらにこの2説の論争に決着を付けることもできるはずだ。

また現在、火星探査は世界的に注目されており、各国が探査機を送り出している。MMXが着陸するのは衛星ではあるが、フォボス表面には火星由来の物質もわずかに存在すると考えられており、その取得まで期待されている。今回の説明会では、主に火星に関わるサイエンスについて、説明が行われた。

火星物質が微量でも意味はある?

火星は地球に良く似た惑星だ。水や大気が存在し、かつては、活火山や海もあったと考えられている。地球と同じように生命が誕生していた可能性があり、もしかしたら、地中のどこかで今も生き残っているかもしれない。まだ直接的な証拠は見つかっていないものの、現在、最もホットなトピックの1つだ。

これまで、火星探査ローバーによる現地調査が行われてきたが、ローバーに搭載できる分析装置の重量には限界がある。サンプルリターンであれば、持ち帰るサンプルが少量であっても、地球の最先端の大型分析装置が使えるというメリットがあり、NASA/ESAの火星サンプルリターン計画(MSR)では、早ければ2031年にも地球に帰還する可能性がある。

現在、火星のJezeroクレーターでは、NASAのローバー「Perseverance」が活動している。Jezeroクレーターには太古の湖があったと考えられており、もしそうなら、生命の痕跡が残っている可能性が高い。MSRでは、Perseveranceが採取したサンプルを回収し、地球に持ち帰ることを計画している。

MSRが直接火星からサンプルを採取してくるのに、衛星探査であるMMXに何が期待できるのか。サンプル分析ワーキングチームPIであるJAXAの臼井寛裕氏(JAXA宇宙科学研究所 太陽系科学研究系 教授)は、「相補的な役割がある」と述べる。

火星には過去、無数の小天体が衝突している。大規模な場合には、衝突でまきあげられた物質が軌道上まで到達し、それがフォボスにも飛来。現在、フォボス表土の約0.1%は、このようにして火星から飛んできた物質であると想定されている。

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    火星からどのくらいの量がフォボスに飛来したのかを試算した (C)JAXA

もしJezeroクレーターに生命環境があれば、痕跡を検出できる可能性は高い。しかしクレーター内という狭い地域に限定されているため、予想が外れていたら、検出できないかもしれない。一方、MMXは少量ではあるものの、火星の様々な場所・年代で形成されたサンプルを分析できる強みがあるという。

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    MSR、MMX、火星隕石の比較。岩石の種類や時代、変質の大小に違いがある (C)JAXA

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    検出できるかどうかは、MSRは場所に依存、MMXは存在度に依存するという (C)JAXA

どうすれば生命の痕跡を見つけられるか

MMXのサンプルリターンで検出が期待されるものは何か。プロジェクトチームは国際学術誌「Science」で8月13日に発表した論文において、それを「SHIGAI」(Sterilized and Harshly Irradiated Genes, and Ancient Imprints)と名付けた。これはもちろん、日本語でいう「死骸」で、死んだ微生物のことだ。

SHIGAIには、「火星で生きていて、フォボスへの輸送過程・輸送後に死んだ微生物」と「火星で死んだ微生物やその痕跡がフォボスに輸送されたもの」が含まれる。MMXでは、世界に先駆け、この火星生命の痕跡を採取できる可能性がある。

地球上の生命の場合、痕跡(バイオシグネチャー)となるのは、化石化した微生物の形態学的特徴、DNAやタンパク質などが分解された生命特有の有機分子(バイオマーカー)、炭素や窒素の安定同位体比、などがある。もちろん、火星生命が地球と同様とは限らないのだが、まずはこれらが探索のベースとなる。

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    火星でもこれら生命の痕跡(バイオシグネチャー)が見つかる? (C)JAXA

生命の痕跡を保存していると考えられるのは水質変成鉱物である。この分析では、まず最初に化石のような有機物の濃集があるかどうかを、光学顕微鏡や放射光による観察で調べる。もし見つかれば、さらに電子顕微鏡などで詳細に分析し、化学組成や安定同位体比を調査。有望なものがあれば、さらに分子レベルの分析で重要なバイオマーカーを探す。

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    水質変成鉱物の分析は、3ステップで進めていくことになる (C)JAXA

ただそのためには、まず火星粒子を見つける必要がある。火星粒子の濃度は、前述のように約0.1%。つまり1,000粒に1粒くらいしかないわけだ。キュレーション・サンプル分析チームの菅原春菜氏(JAXA宇宙科学研究所 太陽系科学研究系 特任助教)は、「多量のフォボス粒子の中から極微量の火星粒子を見つけ出すための技術開発が鍵となる」と述べる。

フォボスの粒子とは化学・鉱物組成が異なるため、判別は可能と考えられているものの、モタモタしていたら、すぐにMSRのサンプルが地球に届いてしまう。1粒1粒を詳細に見て選別していては時間がかかりすぎるため、粒子形状情報と化学・鉱物学的情報を組み合わせたスクリーニング分析技術の開発を進めているそうだ。

その一方で入っていると困るものも

このようにMMXでは火星生命の探索まで期待されるものの、その一方で懸念されるのが惑星検疫上の問題だ。死骸ならともかく、まだ生きている未知の微生物を地球に持ち帰り、それが環境中に漏れ出してしまえば一大事。人間に感染する危険性も無いとは言い切れない。

これを防ぐためには、探査機側にも地上側にも厳重に管理できる仕組みが必要となるが、MMX探査機はこれを想定した設計にはなっておらず、もしこの対策が追加で必要となってしまえば、システムが成立しなくなるだろう。

そこで、プロジェクトチームは、MMXが生きている微生物を採取する確率を検討。国際的な要請は「100万分の1以下」なので、これより下であることが分かれば、現在の計画のままサンプルリターンを実施しても問題は無い。

まず火星上にどのくらい微生物が生きているかだが、地球上で最も火星環境に近い南極の永久凍土をベースに数値を想定。これがフォボスに到着し、なおかつ生き続けるためには、火星上での小天体の衝突に耐え、飛行中の空力加熱に耐え、宇宙空間の放射線に耐え、さらにフォボスへの衝突にも耐える必要がある。

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    フォボスで生存するためには、これらの滅菌をくぐり抜ける必要がある (C)JAXA、千葉工大、東工大、東大、東薬

現在まで生き残るためのハードルは極めて高いと言えるが、その確率は50万分の1と推定。MMXで想定しているのは10gのサンプル採取なので、この場合の確率は3,800万分の1と結論づけた。これを受け、2019年3月のCOSPAR(国際宇宙空間研究委員会)総会において、MMXは無事「安全」であると認定されている。

ただ、生きている微生物が入っていては困るが、死んだ微生物は入っていて欲しい。この点について、惑星検疫の検討を行った黒澤耕介氏(千葉工業大学 惑星探査研究センター 上席研究員)は、「確実とは言えないものの、1個以上取れる可能性がある」とした。

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    MMXのサンプル中に、死んだ微生物が入っている可能性は? (C)千葉工大

MMXの開発状況と意義の3本柱

MMXの現状については、プロジェクトマネージャである川勝康弘氏(JAXA宇宙科学研究所 宇宙飛翔工学研究系 教授)から説明があった。

各国に先駆け、2029年度にサンプルを持ち帰るためには、確実に2024年度に打ち上げる必要がある。火星に効率良く行けるタイミングは限られており、たとえ開発が遅れたからといって、打ち上げを2~3カ月遅らせるということもできない。惑星探査機には、地球周回衛星に比べ、そういった難しさもある。

MMXは、打ち上げ時重量が約4トンと、日本最大の深宇宙探査機となる。2021年2月に基本設計が完了。現在、エンジニアリングモデル(EM)の製作・試験、詳細設計を進めているところだ。

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    ロケット搭載時のコンフィギュレーション。3モジュールで構成される (C)JAXA

川勝プロマネは、「挑戦的なミッションなので、難しい基本設計だった」と述べる。探査機は、「往路」「探査」「復路」の3モジュールで構成。火星到着時に往路モジュールを切り離し、探査+復路モジュールでフォボスの観測・サンプル採取を行い、最後は復路モジュールだけで帰還し、カプセルを地球に届ける。

この複雑な運用の機体を、4トンという重量内に収めないといけない(このうち半分以上は推進剤が占める)。打ち上げは、日本最大のH3ロケットを使うが、これでも能力はギリギリのため、重量オーバーは許されない。さらに、新型コロナウイルスの感染拡大により、海外パートナーとのコミュニケーションも大変だったという。

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    落下塔での試験なども活用しながら、開発は着実に進んでいる (C)JAXA

MMXでは、1回の着陸で10g以上のサンプル採取を目指している(着陸回数は2回の予定)。10gのサンプル中に、火星粒子は30粒ほど存在すると想定されているが、なるべく多くの火星粒子を得るためには、サンプルの量は多ければ多いほど望ましい。

はやぶさ2は、目標としていた0.1gを大きく超える5.4gのサンプルを地球に持ち帰った。採取方法が異なるため(はやぶさ2は弾丸発射方式、MMXは筒を突き刺すコアリング方式)、MMXに直接的な関係はないものの、川勝プロマネによれば、フォボス表面の密度が大きければ、目標(10g)の「2~3倍ほど採取できる可能性はある」という。

これまでMMXの意義については、日本の小天体探査戦略と、有人を含めた国際宇宙探査の面から語られることが多かったが、川勝プロマネは「新たに3本目の柱として火星生命探査が加わった」と指摘。「火星衛星だけでなく、火星圏探査としても、日本独自のユニークな探査だと海外にアピールできる」と意気込んだ。

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    MMXの新たな3本柱。1機の探査機でここまでの成果が期待できる (C)JAXA