ついでクラウドサービスの話。基調講演で紹介したZebraあるいはVerizonとの協業は「これは単に最初のものであって、他にも色々あるが、現時点では何もいえない。これについて何か話が出来るのは、2016年2月以降になると思う」との事だった。ちなみに「Verizonは北米では非常に有力なサービスであるが、ヨーロッパや日本、アジアでは当然別のサービスが必要になる」としたものの、「では他の地域でも通信会社との協業が?」と尋ねても「多分ね(maybe)」とはぐらかされた。このあたりも来年2月以降になりそうだ。またRenesas Devconに先立ちAmazonはAWS IoTを発表し、RenesasもRXシリーズをベースとした開発キットをリリースしているが、Synergyについては「今のところは無いんだが、その先の話はまだ待ってくれ」との事であった。

ちなみにこうしたサービスとの接続に必要となるソフトウェアだが、現状はすべてVSAの形で提供される。「(こうしたものは)まずはVSAからスタートする。実際には(VSAの形で)非常に多くのオプションが提供されることになるだろう。もしこの中で、より注力すべきと認識されるものが出てきたら、それをQSAに切り替えてRenesas自身が提供する形にする。その後、それがさらに広く使われるようになったら、いずれはSSPに統合することになると思う。ちなみにどんなサービス向けのVSAが何時ごろ提供されるかを話すのはまだ時期尚早だが、今はZebraやVerizon、それとBug LabsやSkkynesのサービス向けのソフトウェアもVSAで提供される。これらはあくまで一例だが、いずれもそれぞれのベンダから、Renesas Gallery経由で提供される事になる」との事だった。

なお日本の読者へのCarbone氏のメッセージは「我々は、Synergy Platformを日本の営業チームが日本のパートナーと一緒に、日本のマーケットに投入する。ツール、デザイン、ソリューション、さまざまなパートナーと一緒になって、日本語で提供する予定だ。また我々は、十分なサポートも提供の予定だ。例えばSynergyの日本語ベースのチャットサービス、あるいはフォーラムサービスなども予定している。もちろんパートナーも日本語でサポートを行う。我々は日本を重要なマーケットと考えている。Synergyはカスタマセントリックなプラットフォームであり、顧客やパートナーのアイデアによって活性化することになる。我々はSynergyを、Safe&SecureなIoTプラットフォームとして提供するので、どうかその上に新しいアイディアを利用したアプリケーションを構築して欲しい」というものだった。

Synergy以外のMCUの動向

Renesas Synergyとは別のセッションでは、同社の(Synergy以外の)製品ロードマップも発表されたので、こちらもご紹介しておきたい。まずRL78であるが、現在の製品ラインアップに加えてF12の後継とG1Dの後継製品がまもなく登場し、さらにASSP/LCD/GPのすべてのラインアップで後継製品を予定しているとする(Photo37)。

Photo37:Under Developmentの3製品は、すでに日本では発売されているが、これはRenesas Americaのロードマップということでやや投入が遅れている

一方RX100/200シリーズ(Photo38)であるが、こちらもPhoto37と同様にRX23T/231/113の各製品が今後投入されるのは決定している。問題はその先で、現在は90nmプロセスで提供されているRX62T/63Tの後継は130nmプロセスのRX2xxになるとされる。RX1xx/2xxをより微細化したプロセスに移行する考えは今のところ無いという話であった。

Photo38:なんで移行しないのかという質問に対しては「性能や周辺機器のトータルでのバランスを考えて130nmが一番適当と判断した」という、割と決まり文句が返ってきた

一方RX600世代に関しては、すでに一部製品は40nmに移行しているが、今後はすべてが40nm世代に移行し、さらにその先にはv3コアも予定されているとの事(Photo39)。もっともこのv3はあくまでまだ計画中という話なので、具体的なスケジュールなどは現時点では不明という話だった。これはRZファミリ(Photo40)もほぼ同じで、とりあえずDDR I/Fを持った製品と大容量RAMを内蔵した製品をあくまで計画中ということだった。

Photo39:このあたりは開発は日本が主体なので、細かい事は日本に聞いてくれというニュアンスではあった

Photo40:次世代コアは64bitにならないのか? という質問を別途インタビューで投げたものの、現時点では一切コメントできないということであった